397・宮本武蔵「二天の巻」「逃げ水の記(2)(3)」


朗読「397二天の巻53.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 51秒

りろ」
仲間ちゅうげんどもは、くら両側りょうがわってて、伊織いおりあげた。
伊織いおりは、なんのわけかわからなかったが、仲間ちゅうげんどもの小面こづらしゃくにさわって、
なにさ。なにも、りなくたっていいだろう。――あともどるとこだもの」
なんでもいいからりろ。つべこべいわずと」
いやだっ」
「いやだと」
いうよりはやく、ひとりの仲間ちゅうげんが、かれあしすくいあげた。あぶみあしとどいていない伊織いおりからだは、もなく、うまむこがわころちた。
御用ごようのあるおかたがあちらでっているのだ。ベソをかずに、はよいっ」
えりがみをつかまれて、立場たてばほうへずるずる引戻ひきもどされてった。――と、彼方かなたからつえててあるいて老婆ろうばがある。をあげて、仲間ちゅうげんどもをせいしながら、
「ホホホホ。つかまったの」
こころよげにわらった。
「あ」
伊織いおりは、真向まむきに、老婆ろうばのまえにった。いつぞや北条家ほうじょうけ邸内ていないとき柘榴ざくろをぶつけてやったおばばではないか。たところ、そのおりとはちがって、旅装たびよそおいもあらたまっているのだ。こんな沢山たくさんさむらいたちのなかじって、一体いったいどこへところなのだろうか。
いや、そんなことは、伊織いおりかんがえているひまはない。かれはただ、ぎょっとして、ばばが自分じぶんをどうするかとおそれていた。
わっぱよ。おぬし、伊織いおりとかいうたの。――いつぞやはこのばばに、ようもきびしいまねをしやったな」
「…………」
「これ」
つえさきで、ばばは、かれかたをとんといた。伊織いおり戦闘的せんとうてきなおしたが、部落ぶらくなかにはいっぱいなさむらいがいる。それがみなこのばばの味方みかたになったらかなうはずはないとおもって、なみだをたたえてこらえていた。
武蔵むさしは、よい弟子でしばかりつことわいな。おぬしも、その一人ひとりかよ。ホホホホホ」
「な、なんだと……」
「よいわ。武蔵むさしのことは、このあいだ北条ほうじょうどのの息子むすこにも、くちくなるほどいうたあげくじゃ」
「お、おいらは、おまえなんかにようはないや。かえるんだ。かえるんだっ」
「いいや、まだようはすまぬ。――いったい今日きょうは、だれ言附いいつけでわしたちあと尾行つけやったか」
「だれが、てめえなどの、あといてくるものか」
くちぎたない餓鬼がきよ、れの師匠ししょうは、そういう行儀ぎょうぎおしえてか」
「よけいなお世話せわだい」
「そのくちから、きほざかぬがよいぞ、さあやい」
「ど、どこへさ」
「どこへでもよい」
かえるんだ、おらあ、かえるっ」
だれが――」
と、ばばのつえ咄嗟とっさかぜんでいきなり伊織いおりすねった。
伊織いおりおもわず、
いたいっ」
と、いってすわった。
ばばのくばせのもとに、仲間ちゅうげんたちは、ふたたび伊織いおりえりがみをって、部落ぶらく入口いりぐち粉挽小屋こなひきごやよこれこんだ。
そこにいたのは、まさしくどこかの藩士はんしちがいない。野袴のばかま穿いて、見事みごと大小だいしょうをさし、乗換馬のりかえうまかたわらのにつないで、いま弁当べんとうえたらしく、小者こものんで白湯さゆ木陰こかげんでいた。

さん

つかまって伊織いおりると、そのさむらいはにやりとわらった。気味きみのわるいひとである。伊織いおりすくんでをみはった。――佐々木小次郎ささきこじろうであったからである。
その小次郎こじろうへ、おばばは、得意とくいそうに、
なされ、やはり伊織いおりめであったがな。武蔵むさしが、なんぞはら一物いちもつあって、わしらがあとけさせたにちがいはない」
と、あごつきしてげた。
「……ウむ」
小次郎こじろうも、そうかんがえているように、うなずった。そして、まわりにいる仲間ちゅうげんたちを、ようやく退しりぞけた。
げるといかぬ。げぬように、小次郎こじろうどの、くくっておきなされ」
小次郎こじろうはまた、薄笑うすわらいをうかべて、かおよこった。――そのわらがおまえでは、げることはおろか、つこともできないと、伊織いおりはあきらめていた。
小僧こぞう
小次郎こじろうは、あたりまえな言葉ことばはなしかけた。
「――いま、ばば殿どのが、ああいうたが、そのとおりか。それにちがいないか」
「ううん、ち、ちがう」
「どうちがう?」
「おらはただ、うまって、野駆のがけにたんだ。――あとなんかけにたんじゃないや」
「そうだろう」
と、小次郎こじろう一応いちおう得心とくしんしてせたが、
武蔵むさし武士ぶしはしくれならば、よもそのような卑劣ひれつはすまい。……だが、突然とつぜんわしとばば殿どのとが、打揃うちそろうて、細川家ほそかわけ家士かしのうちにじり、旅立たびだつのをったとしたら、さだめし、何事なにごとかと武蔵むさし不審ふしんおこして……けぬうたがいから……あとけさせてみとうなるのも人情にんじょうだ。むりはない」
と、ひとりぎめして、伊織いおりのいいわけなど、みみれない。
伊織いおりもまた、そういわれてからはじめて、かれやおばばの境遇きょうぐうに、あらためて不審ふしんった。二人ふたりに、なに最近さいきんかわったことがおこったにちがいない。
なぜならば、小次郎こじろう特徴とくちょうであったかみ服装みなりも、まえとは、人違ひとちがいするほどかわっていて、あの前髪まえがみみ、これよがしな派手はで伊達だて羽織ばおりも、地味じみ蝙蝠羽織こうもりばおり野袴のばかまとにかわっているのである。
ただ、かわらないのは、愛刀あいとう物干竿ものほしざおだけで、これは太刀作たちづくりを、ふつうのこしらえになおしてよこ手挟たばさんでいた。
ばばも旅支度たびじたくだし、小次郎こじろう旅拵たびごしらえなのだ。そしてこの野火止のびどめ立場たてばには、細川家ほそかわけ重臣岩間角兵衛以下じゅうしんいわまかくべえいか十名じゅうめいぐらいな藩士はんしとその家来けらい荷駄にだものいま昼食ちゅうしょく休息きゅうそくっているのである。そういう道中どうちゅうれのうちに小次郎こじろうが、やはり一箇いっこ藩士はんしとしているところをると、かれまえからこころざしていた仕官しかん宿望しゅくぼうついにかなって――のぞみの千石せんごくとはゆかないまでも――四百石よんひゃくこくとか五百石ごひゃくこくとか相応そうおうのところでい、推挙すいきょした岩間角兵衛いわまかくべえかおてて、細川家ほそかわけ召抱めしかかえられたものと推定すいていしてもあやまりはないであろう。
そうかんがえてくると、細川ほそかわ忠利ただとしもまた、ちか豊前ぶぜん小倉こくら帰国きこくうわさがある。三斎公さんさいこう老年ろうねんなので、忠利ただとし帰国願きこくねがいは、かなりまえから幕府ばくふ提出ていしゅつされていた。そのゆるしがたことは、いいかえれば、幕府ばくふ細川家ほそかわけ二心ふたごころなきものと見極みきわめた信頼しんらい証拠しょうこであるとも、一般いっぱんからおもわれていた。
岩間角兵衛いわまかくべえだの、新参しんざん小次郎こじろうだのの一行いっこうは、その先発せんぱつとして、本国ほんごく豊前ぶぜん小倉こくらむか途中とちゅうであった。