395・宮本武蔵「二天の巻」「花ちり・花開く(3)(4)」


朗読「395二天の巻51.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 13秒

さん

中門ちゅうもんる、多門たもんとおる、平河ひらかわもんをくぐる。いくつかのもんほりはし又八道心またはちどうしんはうつつでえた。
沢庵たくあんあといて悄々しおしおあるかれあしつきは、屠所としょひつじという形容けいようをそのままおもわせる姿すがただった。
――なむあみだぶつ
――なむあみだ、なむあみだ
――なんまいだぶ……
又八道心またはちどうしんは、一歩一歩いっぽいっぽが、刑場けいじょうちかづいているのだとおもってくちのうちでとなえていた。
それをとなえていると、こわさがすこわすれられてるからだった。
愈々いよいよ外濠そとぼりた。
やま屋敷町やしきまちえる。日比谷ひびやむらあたりのはたけかわすじのふねえる。下町したまち人通ひとどおりがえる。
(ああ、このだ)
又八またはちは、あらためて、そうかんじずにいられなかった。そしてもいちど、あの浮世うきよなかただよってみたいとおも執着しゅうちゃくに、なみだがぼろぼろながれてた。
――なんまいだ
――なんまいだ
かれをふさいだ。唱名しょうみょうこえがだんだんくちやぶっておおきくなってた。ては夢中むちゅうだった。
沢庵たくあんはふりかえって、
「これ、はやくあるけ」
ほりにそって、沢庵たくあん大手おおてのほうへめぐってった。そして、はらななめによこぎってあるいた。又八またはちは、千里せんりもある心地ここちがしていた。このままみち地獄じごくつづいているように、昼間ひるまくら心地ここちがした。
「ここで、っておれ」
沢庵たくあんにいわれて、かれはらなかたたずんだ。はらのそばには常盤橋ときわばし御門ごもんからつづいている掘割ほりわりみずつちいろかしてながれていた。
「はい」
げてもだめだぞ」
「…………」
もう半分死はんぶんしんでいるようなかおかなしげにしかめて、又八道心またはちどうしんは、うなずいた。
沢庵たくあんはらて、往来おうらいむこうへわたってった。すぐまえに、まだ職人しょくにん白土しらつちりかけている土塀どべいがあった。土塀どべいにつづいてたかさくがあり、さくのうちには、ただ町家ちょうか屋敷構やしきがまえとちがうくろ建物たてものむねかさなっていた。
「……あ。ここは」
又八道心またはちどうしん慄然りつぜんとした。あたらしくった江戸町奉行所えどまちぶぎょうしょ牢獄ろうごく役宅やくたくである。沢庵たくあんはそのどっちかわからないがひとつのもんなかへはいってった。
「……?」
また、きゅうにがくがくふるしてあしは、かれのからだすらささえられなくなって、ぺたんとそれへすわってしまった。
どこかで、うずらいている。ホロホロとひるくさむらにうずらこえまでが、もう冥途あのよみちのもののようにきこえた。
「……いまのうちに」
と、かれげようかとかんがえてみた。自分じぶん身体からだには、なわ手錠てじょうもかけてはない。げればげられないこともないがする。
いや、いや、もうだめだ。このはらうずらのようにひそんだところで、将軍家しょうぐんけ威令いれいさがされたらかくれるくさもあるわけはない。それにつむりり、法衣ころもせられて、この姿すがたではどうしようもない。
――お老母ばばっ。
かれは、むねのうちで、絶叫ぜっきょうした。いまさらながら、はは懐中ふところがなつかしい。ははからはなれさえしなかったら、こんなところで、くびねられるにはならなかったであろうにとおもう。
こう朱実あけみ、おつうだれだれだれかれ青春せいしゅん相手あいてに、おもったりあそんだりした女子おなご数々かずかずも、いままえにして、おもわぬではなかったが、むねのそこからんでいるは、ただひとつだった。
「お老母ばばっ、お老母ばばっ……」

よん

もう一度生いちどいきのびられるものだったら、今度こんどこそはお老母ばばにもそむくまい、どんな孝行こうこうでもしてみせる。
又八道心またはちどうしんは、ちかってそうおもったが、それもよしない後悔こうかいにすぎない。
いまにも、くび――
えりさむさに又八道心またはちどうしんくもあげた。時雨しぐれもようのであった。がん三羽さんばつばさうらせてそこらのちかりた。
がんうらやましい!)
げたいもちがうずうずとからだいてた。そうだ、またつかまっても元々もともとだとおもう。かれはすごい往来おうらいむこうのもんた。沢庵たくあんはまだない――
いまだ」
がった。
そして、した。
すると、どこかで、
「こらっ!」
と、呶鳴どなったものがある。
それだけで又八道心またはちどうしんはもう必死ひっしられてしまった。おもいがけないところに、ぼうってっていたおとこがある。奉行所ぶぎょうしょ刑吏けいりだった。んでるなりいきなり又八道心またはちどうしんかたさきをちすえて、
「どこへげる!」
と、ぼうさきで、かえるなかをおさえるようにてた。
そこへ沢庵たくあんえた。沢庵たくあんのほかに、奉行所ぶぎょうしょ刑吏けいりが――頭立かしらだったのから小者こものまでぞろぞろたのである。
そのひとかたまりが又八またはちそばってころ、さらにまたもう一名いちめい縄付なわつきいて五名ごめい牢舎ろうやくさ人々ひとびとあらわれた。
頭立かしらだった役人やくにんは、処刑しおき場所ばしょ選定せんていして、そこに二枚にまい荒莚あらむしろかせ、
「では、お立会たちあいを」
と、沢庵たくあんうながした。
けい執行人しっこうにんたちは、ぞろぞろとむしろのまわりにかこむ。おも役人やくにん沢庵たくあんには床几しょうぎあたえられた。
ぼうさきおさえつけられていた又八道心またはちどうしんは、
てっ」
と、どなられてからだもたげた。だが、あるちからはもうなかった。それをれったがって刑吏けいりは、かれ法衣ころもえりがみをつかんでずるずるむしろうえまでってた。
あたらしい素莚すむしろのうえに、又八道心またはちどうしん寒々さむざむしたくびれた。もううずらごえみみになかった。ただまわりの人々ひとびとががやがやいっているのを、かべへだててくように、とお気持きもち意識いしきするだけだった。
「……あ。又八またはちさん?」
そのときだれそばでいった。又八またはちはぎょろりとよこた。――ると自分じぶんならんで荒莚あらむしろうえにひきえられているおんな囚人しゅうじんがある。
「ヤッ。……ああ朱実あけみじゃないか」
いった途端とたんに、
くちをきいてはならん」
と、二人ふたり刑吏けいりあいだにはいってなが麺棒めんぼうみたいなかしぼうで、男女ふたりへだてた。
沢庵たくあんのそばにいた頭立かしらだった役人やくにんは、そのとき床几しょうぎからって、なにおごそかな口調くちょうで、ふたりの罪状ざいじょうをいいわたした。
朱実あけみいていなかったが、又八またはち人前ひとまえもなくなみだをこぼした。で役人やくにんからいいわたされた罪状ざいじょうもよくみみにはとおらないのであった。
てっ」
床几しょうぎへつくと、すぐその役人やくにんきびしいこえでいった。すると、先刻さっきから割竹わりたけってうしろにかがんでいた二人ふたり小者こものが、おどして、
イっ、ウ……。イ!」
かぞえながら又八またはち朱実あけみなぐした。又八またはちは、悲鳴ひめいをあげた。朱実あけみはまっさおかお俯伏うつぶせたまま、こらえている容子ようすだった。
ななア! ア! ここのツ!」
割竹わりたけれて、たけさきからけむりつようにえた。