392・宮本武蔵「二天の巻」「夢土(4)(5)」


朗読「392二天の巻48.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 07秒

よん

それというのは、西裏御門にしうらごもんうちにあるおおきなえんじゅが、紅葉山もみじやま御文庫おぶんこ書庫しょこてる都合つごうで、ほかへうつえられることになったことである。
井戸掘いどほ人足にんそくのたくさんはいっている吹上ふきあげ作事場さくじばとそことは、だいぶはなれているが、えんじゅしたには、かねて奈良井ならい大蔵だいぞうをまわして、鉄砲てっぽう地下ちかけてあるということを又八またはち承知しょうちしていたので、始終しじゅう、そこには、人知ひとしれず注意ちゅういはらっていたのだった。
で――かれは、飯休めしやすみのひまとか、朝晩あさばん仕事しごといとまには、西裏御門にしうらごもんのそばへて、えんじゅがまだかえされていないのをると、ほっとしていた。
そして、いつか人目ひとめのないすきに、そのしたって、鉄砲てっぽうほかててしまおうとかんがえ、ひとり苦慮くりょしていたのである。
だからかれが、そこであやまって大工だいく曲尺まがりがねんづけ、大工だいくらのいかりにっていまわされたときも、ふくろだたきよりは、こと発覚はっかくがすぐおそろしかった。
その恐怖きょうふは、そのあとらず、くら小屋こやなか毎日まいにちつづいた。
えんじゅはもううつえられたかもしれない。れば地下ちかから鉄砲てっぽう発見はっけんされる。当然とうぜん取調とりしらべがはじまる――
(こんどされるときには生命いのちがない)
又八またはち毎晩まいばんゆめうつつに、あぶらあせをかいた。冥途めいどゆめ幾度いくどた。冥途めいどには、えんじゅばかりえていた。
かれはまた、母親ははおやゆめをありありみた。おばばは、いま自分じぶん境遇きょうぐうをあわれともいってくれず、飼蚕笊かいこざるをぶつけてなにいかりわめいている。ざるなかにいっぱいあったしろまゆあたまからびて、又八またはちげまわった。するとそのまゆのおけのようにしろかみをさかだてたおばばが、どこまでもどこまでもいかけてくる。ゆめなか又八またはちはびっしょりあせをかいてがけからびおりたが――からだはいつまでもしたへつかないで奈落ならくやみにふわふわしていた。
――ごめんなさいっ。
――おっさん。
どものような悲鳴ひめいをあげたとおもうと、かれをさましていたのである。がさめるとまた、かえってゆめよりも切実せつじつこわ現身うつしみかえって、惻々そくそくさいなまれた。
(そうだ……)
又八またはちはこの恐怖きょうふから自分じぶんすくうために、ひとつの冒険ぼうけんふるってった。それは、えんじゅがまだ無事ぶじでいるか、移植いしょくされたか、見届みとどけてくることだった。
江戸城えどじょう要害ようがいは、小屋こやそのものにもあるわけではない。江戸城えどじょうそとることはとてもできないが、この小屋こやからえんじゅそばまでってみることは、さして困難こんなんではあるまいとおもいついたのだ。
もちろん小屋こやにもかぎはかかっていた。けれど不寝番ねずのばんきッきりでいるわけではない。かれ漬物樽つけものだるだいにして、あかまどやぶってそとた。
材木置場ざいもくおきばだの、石置場いしおきばだの、かえしてあるつち山陰やまかげなどをって、又八またはちは、西裏御門にしうらごもんあたりまでた。そして、まわすと、おおきなえんじゅは、まだもとところに、そのままっていた。
「……ああ」
又八またはちは、ほっとむねをなでた。まだこの根移ねうつしされていないために、自分じぶん生命いのちもつながっていたのだとおもった。
いまだ……」
かれは、どこかへって、やがてくわひろってた。そしてえんじゅしたはじめた。自分じぶん生命いのちがそこからひろせるように。
「…………」
一鍬掘ひとくわほっては、そのおとのひびきにむねさわがせて、するど四辺あたりまわすのだった。
いいあんばいに見廻みまわりもない。くわ次第しだい大胆だいたんりつづけられた。そしてあなのまわりにあたらしいつちやまができた。

つちいぬのように、かれ夢中むちゅうでそのあたりをおこした。だが、いくらっても、土中どちゅうからはつちいししかなかった。
だれさきしてしまったのではあるまいか)
又八またはち懸念けねんしだした。
そしてよけい、徒労とろうくわふるうことを、められなかった。
かおうでも、あせにぬれて、そのあせつちねかかって、泥水どろみずびたように、全身ぜんしんはくわっくわっとあえぎぬいている。
かつ――
かつ――
つかれたくわと、つかれた呼吸いきとが、次第しだいもつって、めまいがしそうになってても、又八またはちまらなかった。
そのうちに、なにか、どすっとくわにぶつかった。細長ほそながものあなそこよこたわっている。かれくわなげうって、
「あった」
と、あなっこんだ。
だが、鉄砲てっぽうならば、びぬように、油紙あぶらがみにつつみこんでくとか、はこ密閉みっぺいしてありそうなものだが、指先ゆびさきさわったものは、ちとへんかんじのするものだった。
でも、幾分いくぶん期待きたいをかけて、牛蒡ごぼうくようにっぱりしてみると、それは人間にんげんすねうでらしい一本いっぽん白骨はっこつだった。
「…………」
又八またはちは、もうくわひろ気力きりょくもなかった。なにかまた、ゆめをみているのではないかと自分じぶんうたがった。
えんじゅあおぐと、夜露よつゆほしきらめいている。ゆめではない。えんじゅ一葉一葉ひとはひとはだってかぞえられる意識いしきがある。――たしかにあの奈良井ならい大蔵だいぞうは、このした鉄砲てっぽうけておくといった。それをもっ秀忠ひでただてといった。うそであろうはずはない。そんなうそをいったってかれなんとくもないことだから。――しかし、鉄砲てっぽうはおろか古鉄ふるがねのかけらもないというのはどうしたわけだろうか。
「…………」
なければないで、又八またはち不安ふあんらない。りちらしたえんじゅのまわりをあるきだした。そしてあしつちちらしてまださがしていた。
――するとだれか、かれのうしろへあるってものがある。今来いまき様子ようすでなく、意地いじわるくさっきから物陰ものかげかれのなすことをながめていたらしかった。又八またはちをふいにって、
「あるものか」
耳元みみもとわらった。
かるたれたのではあるが、又八またはち背中せなかから五体ごたいがしびれて、自分じぶんったあななかへのめりそうになった。
「……?」
振向ふりむいて、じっと、しばらく空虚うつろをすえていたが――あっ、とそれからはじめて常態じょうたい神経しんけいかえって、おどろきをくちかららした。
「――おで」
沢庵たくあんは、かれいた。
「…………」
又八またはちからだ硬直こうちょくしたままうごかなかった。沢庵たくあんをすら、つめたいつめさきでもぎろうとするのである。そしてかかとからぶるぶるふるえをはしらせていた。
ないか」
「…………」
「おでというに?」
きっと沢庵たくあんをもってしかるようにいうと、又八またはちくちのきけないもののように、
「そ、そこを。……そこの、あとを……」
と、もつれたしたでいいながらあしさきつちあなおとし、自分じぶん行為こういかくしてしまおうとするらしかった。
沢庵たくあんは、あわれむように、
「よせ。むだのことを。人間にんげん地上ちじょういた諸行しょぎょうは、善業悪業ぜんぎょうあくぎょうともに、白紙はくしすみおとしたように、千載せんざいまでもえはしない。――いましたこともあしさきで、つちをかければすぐえると――そんなかんがかただから、おまえはぞんさいな人生じんせいをするのじゃろ。――さ! いっ。おまえはだいそれたつみおかそうとした大罪人だいざいにん沢庵たくあん鋸引のこぎりびきにしていけこんでくれる」
うごかないので、かれ又八またはちみみたぶをってててった。