391・宮本武蔵「二天の巻」「夢土(2)(3)」


朗読「391二天の巻47.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 05秒

脱兎だっとのように、一人ひとり井戸掘いどほ人足にんそくまわってく。材木ざいもくあいだにかくれ左官小屋さかんごやうらはしり、またそこからして、土塀足場どべいあしば丸太まるたいて、外側そとがわぼうとした。
「ふてえやつ
めて土工どこうのうちの三名さんめいはすぐ、丸太まるたうえ人間にんげんあしをつかまえた。井戸掘いどほ人足にんそくおとこは、手斧屑ちょうなくずなかへもんどりってころげちた。
「こいつめ」
むなくそのわるい」
たたきのめせ」
むねいたをみつける。かおとばす。えりがみをつかんです。ふくろだたきなのである。
「…………」
井戸掘いどほりは、いたいともなんともいわなかった。ただ大地だいち唯一ゆいいつたのみのように、地面じめんにへばりついている。蹴転けころがされても、えりがみをつかまれても、すぐへばりついて必死ひっしきしめた。
「どうしたのだ」
すぐ頭梁とうりょうさむらいた。職方目付しょくかためつけけつけてた。そして、
「しずまれ」
と、けた。
大工だいくのひとりは、たかぶったことばで、職方目付しょくかためつけうったえた。
曲尺まがりがねみつけやがったんです。曲尺まがりがねはわっしどものたましいだ。おさむらいこしものおなじでさ。そいつをこの野郎やろうが」
「ま。しずかにもうせ」
「これが、しずかにできるものか。お武家ぶけかたな土足どそくでふまれたら、なんとなさいますえ」
「わかった。――じゃが、将軍様しょうぐんさまにはいまがた作事場さくじば一巡遊いちじゅんあそばして、あれなるおやすじょおかに、只今ただいま床几しょうぎをおすえあそばしておられるところだ。お目障めざわりだ、ひかえろ」
「……へい」
一度いちどりをしずめたが、
「じゃあ、この野郎やろうを、彼方むこうへしょッいてこう。こいつに水垢離みずごりとらせて、まれた曲尺まがりがねをつかせてあやまらせなくっちゃならねえ」
成敗せいばいは、此方こちらがする。おまえたちは、持場もちばって仕事しごとにかかれ」
「ひとの曲尺まがりがねみつけておきながら、をつけろといえば、あやまりもせず、口答くちごたえをしやがったんです。このままじゃ、仕事しごとにかかれません」
わかった、わかった。きっと処分しょぶんいたしてくれる」
職方目付しょくかためつけは、している井戸掘いどほ人足にんそくえりがみをつかんで、
かおをあげい」
「……はい」
「や。そちは、井戸掘いどほりのものじゃないか」
「……へ。そうです」
紅葉山下もみじやました作事場さくじばでは、お書物しょもつぐら工事こうじと、西裏御門にしうらごもん壁塗かべぬりとで、左官さかん植木職うえきしょく土工どこう大工だいくなどははいっておるが、井戸掘いどほりは一名いちめいもいないはずだぞ」
「そうでさ」
と、大工だいくたちは、職方目付しょくかためつけ不審ふしんに、いいして、
「この井戸掘いどほりめ、他人ひと仕事場しごとばへ、きのうも今日きょうもうろつきにやがって、あげくのて、大事だいじ曲尺まがりがね泥足どろあしンづけたりなどしやがったから、いきなりほおひとつくらわしてやったんです。すると、小生意気こなまいき口答くちごたえをしやがったので、仲間なかまものが、たたきのめせと、さわしたんで」
「そんなことはどうでもよいが。……これ、井戸掘いどほり、なんようがあって、そちはようもない西丸裏御門にしまるうらごもんのお作事場さくじばなどをうろついておったのか」
職方目付しょくかためつけは、井戸掘いどほりのまっさおかおつめた。井戸掘いどほりにしてはおとこぶりのよい又八またはち容貌かおだちや、そうじて蒲柳ほりゅうからだつきも、そうをつけてられると、かれ不審ふしんいだかせた。

さん

侍側じそく閣臣かくしんたちや、僧侶そうりょ茶道衆さどうしゅうや、秀忠ひでただ床几しょうぎのまわりには勿論多もちろんおおくの警固けいごがついているが、さらにその小高こだか場所ばしょ中心ちゅうしんにして、遠巻とおまきに要々かなめかなめには、見張みはりの警戒けいかい二重にじゅうにそこをへだてている。
その見張役みはりやくものは、作事場さくじばなか些細ささい事故じこにも、すぐをひからせているので、何事なにごとかと、又八またはちがふくろだたきになった現場げんばけてた。
そして職方目付しょくかためつけものから説明せつめいきとると、
上様うえさまのおざわりになるから、おれぬほうられたがよかろう」
と、注意ちゅういした。
もっともな言葉ことばであるから、職方目付しょくかためつけは、大工頭梁だいくとうりょうさむらいはかって一同いちどうをめいめいの仕事しごと持場もちばり、
「この井戸掘いどほ人足にんそくおとこは、ほかにちと調しらべることもあるから」
と、又八またはちは、目付方めつけかた処置しょちることとしてらっしてった。
御作事奉行配下職方目付詰所おさくじぶぎょうはいかしょくかためつけつめしょというのは、工事場こうじばいくつもある。現場監督げんばかんとく役人やくにんたちがやすんだり交替こうたい起居ききょをしているほんの仮小屋かりごやだった。土間どま大薬罐おおやかんけて、すきの役人やくにんたちが、をのみにたり、わらじを穿えにもどってたりしている。
又八またはちはその小屋こやうらにくっいている、薪小屋まきごやうちほうりこまれた。まきばかりでなく物置ものおきとして沢庵樽たくあんだるだの漬物樽つけものだるだの、炭俵すみだわらだのが、んである。そこへ出這入ではいりするのは、炊事すいじをする小者こものだった。その小者こものたちは、小屋仲間こやちゅうげんばれていた。
「この井戸掘いどほ人足にんそくは、不審ふしんのかどがあるものだから、取調とりしらべのすむまで押込おしこめて注意ちゅういしておれよ」
小屋仲間こやちゅうげんは、又八またはち監視かんしをいいつけられたが、そう厳重げんじゅう縄目なわめなどはかけなかった。罪人ざいにんまっているものならば、すぐそのほうわたすだろうし、またこの工事場こうじばそのものが、すでに江戸城えどじょう厳重げんじゅうほり城門じょうもんのうちにあるので、その必要ひつようかんじないからであった。
職方目付しょくかためつけはそのあいだに、井戸掘いどほ親方おやかたやまたそのほう監督者かんとくしゃ交渉こうしょうして、又八またはち身元みもととか平常へいじょう素行そこうなどあらってみるつもりらしかったが、それもかれ容貌ようぼうからの井戸掘いどほ人足にんそくらしくないというだけの不審ふしんで、べつにどういうことをしたというわけでもないから、小屋こやほうりこまれた又八またはちたいしては、そのまま幾日いくにち調しらべがなかった。
――がしかし、又八自身またはちじしんは、その一刻一刻いっこくいっこくあゆっているような恐怖きょうふだった。
かれは、かれひとりで、
「あのことが、露顕ろけんしたにちがいない」
と、めていた。
あのこととは、いうまでもなく、かれ奈良井ならい大蔵だいぞう使嗾しそうされてをうかがっていた「新将軍しんしょうぐん狙撃そげき」のたくらごとであった。
大蔵だいぞうにその決行けっこうせまられて、井戸掘いどほ親方おやかた運平うんぺいらの口入くちいれで城内じょうないへはいったからには、すでに又八またはちむねにはかの覚悟かくごがついているはずであるが、又八またはちはあれから今日きょういたるまで、幾度いくども、秀忠将軍ひでただしょうぐん工事場御巡視こうじばごじゅんし機会きかいには出会であっていながら、えんじゅしたけてあるという鉄砲てっぽうして、将軍しょうぐん狙撃そげきするなどというだいそれたことは、かれには出来できなかったのである。
大蔵だいぞう脅迫きょうはくされたときは、いやといえば即座そくざに、ころされそうだったのと、かねしかったので、
(やる)
と、ちかってしまったが、江戸城えどじょうなかへはいってみると、たとえこのまま一生涯いっしょうがい井戸掘いどほ人足にんそくおわろうとも、将軍家しょうぐんけねらうなどというおそろしいことは、自分じぶんにはできないとおもなおして、大蔵だいぞうとの約束やくそくつとめてわすれるように、つちまみれになって、ほか人足にんそくたちのあいだはたらいていたのである。
――ところがかれにとって、そうしていられない椿事ちんじがわきがってたのだった。