46・宮本武蔵「水の巻」「坂(2)(3)」


朗読「46水の巻10.mp3」15 MB、長さ: 約10分43秒

御牢人ごろうにん。――御牢人ごろうにん
 三年坂さんねんざかを、武蔵むさしのぼりかけたときである。だれぶので、
「わしか」
 いてみると、竹杖一本手たけづえいっぽんてって、空脛からすねこしきりの布子一枚ぬのこいちまいひげなかからかおしているようなおとこ
旦那だんなは、宮本様みやもとさまで」
「うむ」
武蔵むさしとおっしゃるんで」
「む」
「ありがとう」
 しりけると、おとこちゃわんざかほうへ、りてった。
 ていると、茶店ちゃみせらしいのきはいった。そのあたりには、いまのようにかごかきが、なたに沢山群たくさんむれていたのを、武蔵むさしいましがたとおってたのであるが、自分じぶん姓名せいめいたずねさせたのは一体誰いったいだれなのか。
 ――つぎには、その本人ほんにんるであろうと、しばらくただずんでいたが、何者なにものえない。
 かれは、さかのぼりきった。
 千手堂せんじゅどうとか、悲願院ひがんいんとか、そのあたりのむね一巡いちじゅんして、武蔵むさしは、
故郷ふるさとひとりいる姉上あねうえ息災そくさいをまもらせたまえ)
 といのり、
鈍愚武蔵どんぐむさしに、苦難くなんあたえたまえ、われに、あたえたもうか、われに天下一てんかいちけんあたえたまえ)
 と、いのった。
 かみほとけ礼拝らいはいしたかれは、なにかすがすがとあらったようなこころになることを、かれ沢庵たくあんから無言むごんおしえられ、そのあと書物しょもつによる知識ちしきのうらづけもっていた。
 がけのふちには、かさてる。かさのそばへこしげた。
 京洛中きょうらくちゅうは、ここから一望ひとめだった。ひざいているのそばには、土筆つくしがあたまをそろえていた。
偉大いだい生命せいめいになりたい)
 単純たんじゅん野望やぼうが、武蔵むさしわかむねふくらませた。
人間にんげんうまれたからには――)
 うららかなはるのそこここをあるいている参詣人さんけいにん遊山ゆさんきゃくとは、およそとおゆめ武蔵むさしはそこでえがいているのだった。
 天慶てんぎょうむかし――つくりばなしにちがいないが――たいら将門まさかど藤原ふじわら純友すみともというどっちも野放のばなしの悍馬かんばみたいな野望家やぼうかが、成功せいこうしたら日本にほん半分はんぶんわけにしようとかたったとかいう伝説でんせつを――かれなにかの書物しょもつときは、その無智無謀むちむぼうが、よほどおかしくかんじられたものだが、いま自分じぶんにも、わらえないがした。それとはちがうが、ゆめをおもう。青年せいねんだけがちうる権利けんりとして、かれはみち創作そうさくするようにゆめみていた。
信長のぶながは――)
 とかんがえる。
秀吉ひでよしだって)
 と、おもう。
 だが、戦乱せんらんは、もう過去かこひとゆめだった。時代じだいひさしくかわいていた平和へいわをのぞんでいる。この待望たいぼうへこたえた家康いえやすながなが根気こんきかんがえると、ただしくゆめをもつこともむずかしいなとおもう。
 だが。
 慶長何年けいちょうなんねんというこの時代じだいは、これからという生命せいめいって、おれはるのだ。信長のぶながこころざしてはおそいだろうし、秀吉ひでよしのようなかたがけてはむりであろうが。――ゆめてだ、ゆめつことには、だれ拘束こうそくもない。今去いまさったかごかきのでも、ゆめてる。
 だが――と、武蔵むさしはもういッぺんそのゆめあたまそとへおいて、かんがなおしてみる。
 けん
 自分じぶんみちは、それにある。
 信長のぶなが秀吉ひでよし家康いえやすもいい。社会しゃかいはこの人々ひとびときてとおったかたわらでさかん文化ぶんか生活せいかつをとげた。しかし、最後さいご家康いえやすは、もうあらっぽい革新かくしん躍進やくしん必要ひつようとしないまでの仕上しあげをやってしまった。
 こうると、東山ひがしやまからのぞむところの京都きょうとは、せき原以前はらいぜんのように、けっして風雲ふううんきゅうでないのであった。
(ちがっている。――なかはもう、信長のぶなが秀吉ひでよしもとめた時勢じせいとはちがっているのだ)
 武蔵むさしは、これから、
 けんとこの社会しゃかいと。
 けん人生じんせいと。
 なんでも、自分じぶんこころざ兵法へいほう自分じぶんわかゆめむすびつけて、恍惚こうこつと、おもふけっていた。
 すると、先刻さっき木像もくぞうがにのようなかごかきが、ふたたがけしたに、かおせ、
「や。あそこにいやがる」
 と、竹杖たけづえで、武蔵むさしかおした。

 武蔵むさしは、がけしたをにらみつけた。
 かごかきのれは、したで――
「おや、めつけやがった」
あるきだしたぞ」
 と、さわぐ。
 ぞろぞろがけっていてるし、にしまいとして、あゆせば、まえにも同類どうるいらしいものが、うでぐみしたり、竹杖たけづえをついたり、遠巻とおまきにちふさぐかたちをとる。
 武蔵むさしあしをとめた。
「…………」
 かれが、振向ふりむくと、かごかきのれもあしをとめ、そして、しろいて、
「あれや、がくなんかていやがる」
 とわらう。
 本願堂ほんがんどう階段かいだんっている武蔵むさしは、そこのふるびた棟木むなきかっているがくあおいでいるのである。
 不愉快ふゆかいだ、よほど、大声おおごえひと呶鳴どなってやろうかとはおもうが、かごかきを相手あいてにしてもつまらないし、なに間違まちがいならそのうちにってしまうであろうとこらえて、懸額けんがくの「本願ほんがん」の二文字ふたもじを、なお、じっとあおいでいると、
「あ。――おでなすった」
「ご隠居様いんきょさまがおえだ」
 と、かごかきたちが、ささやきってにわかいろをなしはじめた。
 ふとると!
 もうそのころは、この清水寺きよみずでら西門にしもんのふところでは、ひとでいっぱいだった。参詣人さんけいにんや、そうや、物売ものうりまで何事なにごとかとをそばだてて武蔵むさしとおいているかごかきの背後うしろを、また二重三重にじゅうさんじゅうかこんで、これからのきに、好奇こうきひからせているのである。
 ところへ――
「わッしゃ」
「おっさ」
「わっしゃ」
「おッさ」
 三年坂さんねんざか坂下さかしたおぼしきあたりから威勢いせいのよいごえちかづいてたのである。とおもうともなく、境内けいだい一端いったんにあらわれたのは、一人ひとりかごかきの背中せなかぶさった六十路むそじともえる老婆としよりだった。――そのうしろには、これも五十ごじゅうをとうにえている――、あま颯爽さっそうとしない田舎風いなかふう老武士ろうぶしえた。
「もうええ、もうええ」
 老婆としよりは、かごかきので、元気げんきのよいった。
 かごかきが、ひざってへしゃがむと、
大儀たいぎ
 と、いいながら、ぴょいと背中せなかはなれて、うしろの老武士ろうぶしへ、
ごん叔父おじよ、かるでないぞ」
 と、意気込いきごみをふくんでいう。
 おすぎばばと淵川ふちかわ権六ごんろくなのである。二人ふたりとも、あしごしらえから身支度みじたくまで、死出しで旅路たびじ覚悟かくごのようにかいがいしくして、
何処どこにじゃ」
相手あいては」
 と、かたなつか湿しめりをくれながら、人垣ひとがきってた。
 かごかきたちは、
「ご隠居いんきょ相手あいてはこちらでござります」
「おいそぎなさいますなよ」
「なかなか、てきは、しぶといつらをしておりますぜ」
十分じゅうぶん、お支度したくなすッて」
 と、たかって、あんじたり、いたわったりする。
 ている人々ひとびとおどろいた。
「あのおばあさんが、あのわかおとこへ、はたいをしようというんでしょうか」
「そうらしいが……」
助太刀すけだちも、よぼよぼしている。なにわけがあるんでしょうな」
「あるんでしょうよ」
「あれ、なにか、れのものおこッていますぜ。きかない老婆としよりもあるものだ」
 おすぎばばはいまかごかきの一人ひとりが、何処どこからかあしってきた竹柄杓たけびしゃくみずをごくりと一口飲ひとくちのんでいた。それを、権叔父ごんおじわたして、
「――なにを、あわてていなさるぞ。相手あいては、多寡たかれたはなたれ小僧こぞう少々しょうしょうぐらい、けんのつかいようをまなんだとて、ほどれておるわいの。ちつけなされ」
 ――それから。
 自分じぶんさきって、本願堂ほんがんどう階段かいだんまえにすすみ、ぺたりとすわりこんだとおもうと、懐中ふところから数珠じゅずして、彼方あなたっているとう相手あいて武蔵むさしもよそに――また大勢おおぜい環視かんしをよそに――ややしばらくなにくちのうちでいのっていた。