388・宮本武蔵「二天の巻」「大事(5)(6)(7)」


朗読「388二天の巻44.mp3」15 MB、長さ: 約 16分 26秒

城太郎じょうたろうは、いいつづけた。
「――大蔵だいぞうどのとわたしとは、天地てんち神祇じんぎちかって、自分じぶんらの目的もくてきは、他人たにんにもらすまいとやくしていますので、それがなにかは、たとえ沢庵様たくあんさまであろうと、かたるわけにまいりませんが、お師匠ししょうさまの武蔵様むさしさまが、宝蔵破ほうぞうやぶりの冤罪えんざいをきて、秩父ちちぶろうへおかれになったとあっては、らぬかおはしておられません。明日あしたにでもすぐ秩父ちちぶって、下手人げしゅにんはこのであると、自首じしゅいたして、お師匠ししょうさまを獄舎ひとやからいておもどしいたします」
かれかたるのを、沢庵たくあんはだまったまま、ただうなずうなずいていたが、そのときふとかおげ、
「では、宝蔵破ほうぞうやぶりの仕事しごとは、おまえと大蔵だいぞう仕業しわざには相違そういないのじゃな」
「はい」
城太郎じょうたろうのそのこたえは俯仰ふぎょう天地てんちじないといったような語気ごきっていた。
ぎらっと、沢庵たくあんは、そのつめた。城太郎じょうたろうは、まえ言葉ことばず、ついせてしまった。
「じゃあ、やはり泥棒どろぼうじゃないか」
「いえ。……いえ、けっして、ただの盗賊とうぞくではありません」
泥棒どろぼうにふたいろもいろもあるかの」
「でも、われわれは、私慾しよくちませぬ。公民こうみんのために、ただ公財こうざいうごかすだけです」
「わからんな」
沢庵たくあんは、ぽいとほうるようにいって、
しからば、おまえのやっているぬすみの種類しゅるいは、義賊ぎぞくというようなものなのか。中国ちゅうごく小説しょうせつなどによくあるな。剣侠けんきょうとか、侠盗きょうとうとかいう怪物かいぶつが。つまりあれの亜流ありゅうだろう」
「その弁解べんかいをいたしますと、自然大蔵しぜんだいぞうどのの秘密ひみつ喋舌しゃべってしまうことになりますから、なんといわれても、いま隠忍いんにんしておりまする」
「はははは。にはかからんというわけだな」
「ともあれ、お師匠ししょうさまをすくうために、わたし自首じしゅいたします。どうぞ、あと武蔵様むさしさまへも、御坊ごぼうからよろしくお取做とりなしをねがいまする」
「そんな取做とりなしは沢庵たくあんにはできぬ。武蔵むさしどののもとより冤罪むじつわざわい、おぬしがかいでも、かれるにきまっておる。――それよりも、おぬしはもっと仏陀ぶっだ直参じきさんして、さいわい、この沢庵たくあんをお取次とりつぎに、真心まごころそこ御仏みほとけ自首じしゅしてみるこころにはなれぬか」
ほとけに?」
と、かれかんがえてもみないことをいわれたようにかえした。
「さればよ」
と、沢庵たくあん当然とうぜんなことをさとすように、
「おぬしの口吻くちぶりいておれば、のためとか、ひとのためとか、えらそうじゃが、さしあたって、他人事ひとごとよりはわがことじゃろ、おぬしのまわりに、だれ不倖ふしあわせなもののこっておらぬかの」
自己じこ一身いっしんなどかんがえていては天下てんか大事だいじはできませぬ」
青二才あおにさい
沢庵たくあんは、いっかつして、城太郎じょうたろうほおをぐわんとなぐった。城太郎じょうたろうはふいをたれて、ほおをかかえたが、をのまれたようにすことをらなかった。
自己じこ基礎もとではないか。いかなるわざ自己じこ発顕ほつげんじゃ。自己じこすらかんがえぬなどという人間にんげんが、ほかのためになにができる」
「いや、わたくしは、自己じこ慾望よくぼうなどはかんがえないといったのです」
「だまれ、おまえはおまえ自身じしんが、人間にんげんとしてまだっぱい未熟者みじゅくものだということをわきまえんか。なかはしものぞかぬやつが、なかわかったかおしてだいそれた大望たいもうなどにうつつをかしているほどおそろしいものはない。城太郎じょうたろう、おまえや大蔵だいぞうのやっている仕事しごとはたいがいめた。もうかいでもいい――。阿呆あほう餓鬼がきじゃ、ばかりおおきくなってもこころそだちはさらにえん。なにく、なにがくやしい、はなでもちんとかむがよい」

ろく

ろといわれたのである。るしかなくなって、城太郎じょうたろうはそこらにあるむしろなどかぶってよこになった。
沢庵たくあんた。伊織いおりねむった。
だが城太郎じょうたろうつかれなかった、獄窓ごくそうにある武蔵むさしのことがもすがらかんがえられて、すみません――とむねうえをあわせてびた。
仰向あおむいていると、まなじりからつたうなみだみみあなへながれこむ。よこ寝返ねがえってまたおもう。おつうさんはどうしたろうか。おつうさんがいたらよけいあわせるかおがない。沢庵たくあんこぶしいたかったが、おつうさんであったらたないかわりに、自分じぶんむなぐらをっていてめるにちがいない。
さはいえ、ひとにはらさぬと、大蔵だいぞうちかった秘密ひみつだれにもかしようはない。けたらまた、沢庵たくあんから折檻せっかんされるかもしれない。そうだいまのうちにそう。
「…………」
城太郎じょうたろうはそうかんがえてそっとおこした。かべ天井てんじょうもない草庵そうあんけるには都合つごうがよい。かれはすぐ戸外そとた。ほしあおぐ。いそがないともうあさちかいらしい。
「――こら。て」
あゆみかけた城太郎じょうたろうは、うしろのこえにぎょっとした。自分じぶんかげみたいに沢庵たくあんっているのだ。沢庵たくあんはそばへて、城太郎じょうたろうかたをかけた。
「どうしても、自首じしゅしてかの」
「…………」
城太郎じょうたろうはだまってうなずいた。沢庵たくあんはあわれむようにいった。
「そんなに、犬死いぬじにがしたいか。浅慮せんりょなやつだ」
犬死いぬじに
「そうだ、おまえは、自分じぶんという下手人げしゅにんさえ名乗なのってたら、武蔵むさしどのをゆるしてもらえるとかんがえているじゃろうが、なかはそんなにあまくはない。おまえがわしにいわなかったことも、役所やくしょればのこらずどろかねば役人やくにん納得なっとくせぬ。武蔵むさし武蔵むさしとして、獄舎ごくやいたまま、おまえの一年いちねんでも二年にねんでも、かしておいて拷問ごうもんにかける。――きまっていることだ!」
「…………」
「それでも、犬死いぬじにでないとおもうか。しんに、冤罪えんざいそそごうとおもうならば、まずおまえ自身じしんからそそいでせねばなるまい。――それを役所やくしょ拷問ごうもんにかけられてしたがよいか、それとも、この沢庵たくあんむかってしたがよいか」
「…………」
沢庵たくあん仏陀ぶっだ一弟子いちでし、わしがいたとて、わしがさばくわけでもなんでもない。弥陀みだのおむねうてみる、取次とりつぎをしてしんぜるのみだ」
「…………」
「それもいやならもうひと方法ほうほうがある。はからずもわしはゆうべ、おまえのちち青木丹左衛門あおきたんざえもんにここで出会でおうたのじゃ。いかなる仏縁ぶつえんやら、すぐそのあとのおぬしにまたおうとは。……丹左たんざさきはわしが知辺しるべ江戸えどてら、どうせぬならそのちち一目会ひとめあってからくがよかろう。そしてわしの言葉ことばかも、ちちたずねてみたがよい」
「…………」
城太郎じょうたろう。おまえのまえに、みっつのみちがある。わしがいまいうたみっつの方法ほうほうじゃ。そのどれなとえらぶがよい」
沢庵たくあんはいいすててもとねぐらへはいりかけた。きのう伊織いおりうえたたかっていたときとおきこえた尺八しゃくはち城太郎じょうたろうみみかえしていた。それがちちだったといただけで、かれちちがそのあとどんな姿すがたで、どんな気持きもちなか彷徨さまよっていたか、かなくてもむねがこみあげてくるほどわかっていた。
「お、まってくださいっ。……沢庵たくあんさん、いいます! いいます! ひとにはいわぬと大蔵様だいぞうさまとはちかったことですが、御仏みほとけに……ほとけさま一切いっさいを」
ふいにそうさけぶと、かれは、沢庵たくあんたもとって、はやしなかきもどしていた。

なな

城太郎じょうたろう自白じはくした。暗闇くらやみなかながひとりごとをいいつづけているように、一切いっさいこえにして、むねおくからいてしまった。
沢庵たくあんはそれを、最初さいしょからおわりまで、一口ひとくちはさまずいていた。
「もういうことはなにもありません――」
と、城太郎じょうたろう沈黙ちんもくすると、はじめて、
「それだけか」
と、いった。
「はい、これりです」
「よし」
沢庵たくあんもそれでまただまってしまった。半刻はんときだまっていた。杉林すぎばやしうえ水色みずいろけてきた。
からすれがさわがしい。四辺あたり白々しらじらつゆッぽくえてた。沢庵たくあんはとると、くたびれたかのごとすぎこしかけている。城太郎じょうたろうかれ折檻せっかんでもつもののように、半身木はんしんきもたれてうつむいていた。
「……えらいもの仲間なかまきこまれたものじゃな。このおおきな天下てんかあゆみが、どううごいてゆくかもえぬとは、不愍ふびんものあつまりよの。だが、ことおこさぬまえでまだよかった」
そうつぶやいたとき沢庵たくあんは、もうなにも屈託くったくしたかおつきではなかった。かれはそんなものはありそうもない懐中かいちゅうから二枚にまい黄金こがねした。そして城太郎じょうたろうにここからすぐ旅路たびじてというのである。
一刻いっこくもはやくせぬと、そちのばかりか、おやにもにも、災難さいなんをかけることに相成あいなろうぞ。遠国おんごくはしれ、おもいきって遠国おんごくへ。――それも甲州路こうしゅうじから木曾路きそじけてくことじゃ。なぜならば、きょうのひるがりからさきは、もうどの関所せきしょきびしゅうなる」
「お師匠様ししょうさまのおはどうなりましょうか。わたくしのためにああなったとおもうと、このまま他国たこくへも」
「そのだんは、沢庵たくあんがひきうけておく。二年にねんなり三年さんねんなり余燼ほとぼりのさめたころに、あらためて、武蔵むさしどのをたずね、おびいたしたがよかろう。沢庵たくあんもそのときにはとりなしてしんぜる」
「……では」
て」
「はい」
ちがけに江戸えどまわれ。麻布あざぶむら正受庵しょうじゅあんという禅刹ぜんでらけば、そちの父青木丹左ちちあおきたんざが、ゆうべさきいておる」
「はい」
「これに大徳寺衆だいとくじしゅう印可いんかがある。正受庵せいじゅあんかさ袈裟けさをもらいうけ、一時いちじ、そちも丹左たんざも、僧体そうたいになってとも道中どうちゅうをいそぐがよい」
「どうして、僧体そうたいにならなければいけませんか」
「あきれたやつ。自身犯じしんおかしているつみをすららぬのか。徳川家とくがわけ新将軍しんしょうぐん狙撃そげきし、そのさわぎにじょうじて、大御所おおごしょわす駿府すんぷにもはなち、一挙いっきょにこの関東かんとう混乱こんらんおとれて、ことそうという浅慮者あさはかもののおまえ手先てさきのひとりではないか。おおきくいえば治安ちあんみだ謀叛人むほんにんのひとり。つかまればしばくびあたりまえじゃろが」
「…………」
け、たかくならないうちに」
沢庵たくあんさま。もう一言ひとことうかがいます。徳川家とくがわけたおそうとするものはどうして謀叛人むほんにんでしょうか。豊臣家とよとみけたおして天下てんか横奪よこどりするものは、なぜ謀叛人むほんにんではないでしょうか」
「……らん」
沢庵たくあんこわかれ理窟りくつをただにらみつけた。その説明せつめいだれにもできないのである。城太郎じょうたろう承服しょうふくさせるぐらいな理論りろんてることは、沢庵たくあんにできないはずはなかったが、彼自身かれじしん得心とくしんできる理由りゆうがまず確然かくぜんとつかめていないのだ。しかし一日一日いちにいちにちと、徳川家とくがわけゆみをひくもの謀叛人むほんにんんでもふしぎでない社会しゃかいかわりつつあることは見遁みのがせない。そしてそのおおきな推移すいいさからうものは、かなら汚名おめい悲運ひうんこうむって、時代じだいそとかげぼっしてほろんでしまうことも顕然けんぜんとした事実じじつであった。