387・宮本武蔵「二天の巻」「大事(3)(4)」


朗読「387二天の巻43.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 34秒

さん

どうおもったのか、丹左たんざは、みちをもどりした。そして、もと草庵そうあんをのぞいて、
沢庵たくあんどの。……いまいとました丹左たんざでござるが、このさきはやしなかに、わかものがふたり、からちてうしなったままたおれておりますが」
――こうげると、沢庵たくあんは、燈影ほかげからおこしてそとかおした。丹左たんざ言葉ことばつづけて、
生憎あいにくくすりたず、このとお不自由ふじゆうなため、みずあたえることもできませぬ。ちかくの郷士ごうし息子むすこどもか、野遊のあそびに武家衆ぶけしゅう兄弟きょうだいかともおもわれる少年達しょうねんたちです。はばかりですがひとつおすくいにっていただきとうござりますが」
といった。
沢庵たくあん承知しょうちして、すぐ草履ぞうり穿いた。そして、おかしたえる茅屋根かややねむかって、おおきなこえだれんだ。
屋根やねしたから人影ひとかげて、おか草庵そうあんあおいでいる。そこにんでいる百姓ひゃくしょうのおやじであった。沢庵たくあんはそのかげむかって松明あかり竹筒たけづつみず用意よういしてすぐいと吩咐いいつけた。
その松明たいまつひかりがここへのぼってくるころ丹左たんざは、沢庵たくあんからみちおしえられて――今度こんどおかみちしたりてった。で、りて丹左たんざと、のぼって松明たいまつとは、さか途中とちゅうですれちがいになった。
もし丹左たんざが、最初さいしょまよってったみちのとおりあるいてけば、松明たいまつしたにわが城太郎じょうたろう見出みいだすことができたにちがいなかったのに、江戸えどみちなおしたために、かえって薄縁うすべりから薄縁うすべりやみへわれから辿たどってってしまった。
だが、それが不幸ふこう僥倖ぎょうこうかは、あとになってのみわかることで、人生じんせい事々ことごとはすべて、回顧かいこされるときにならなければ、ほんとの薄縁うすべりとも不幸ふこうともいわれないものであろう。
竹筒たけづつみず松明たいまつとをって早速さっそくやって百姓ひゃくしょうは、きのうも今日きょうも、この草庵そうあん修繕しゅうぜん手伝てつだったむらもの一人ひとりで、何事なにごとがあったのかと不審いぶかがおに、沢庵たくあんあとについて、はやしなかへはいってった。
やがてすぐ、その松明たいまつあかあかりは、さき薦僧こもそう丹左たんざ見出みいだしたものをおなところ見出みいだした。――けれどつい先刻さっきいまとは、その状態じょうたいにおいてはすこ相違そういがあって、丹左たんざ発見はっけんしたときは、城太郎じょうたろう伊織いおりも、打重うちかさなってたおれていたが、今見いまみると、城太郎じょうたろう蘇生そせいしてそこに呆然ぼうぜんすわっており、そしてそばたおれている伊織いおり手当てあてしてきたいことをいたものか、このまま逃亡とうぼうしてしまったほうがよかろうか――と、まよってでもいたらしく伊織いおりからだ片手かたてをかけながら、じっとかんがえこんでいたのであった。
――そこへ松明たいまつひかりひと跫音あしおとかんじたので、城太郎じょうたろうたちまよるけもののようなするどくてはや姿勢しせいのもとに、いつでもぱっとてるような身構みがまえをしかけた。
「……おや?」
沢庵たくあんったそばから、ぷすぷすとえる松明たいまつを、百姓ひゃくしょうのおやじがしていた。城太郎じょうたろう咄嗟とっさに、相手あいてがさして警戒けいかいするほどなものでないとおもって安心あんしんしたらしく、落着おちつけて、ただ、その人影ひとかげ見上みあげた。
――おや? と沢庵たくあんがいったのは、うしなっているはずのものが、そこにすわっていたからであったが、双方そうほうからじっと姿すがたながっているうちに、その「おや?」という一語いちごは、そのまま重大じゅうだいおどろきを両方りょうほう言葉ことばとなっていた。
沢庵たくあんから城太郎じょうたろうは、あまりにからだおおきくなっていたし、かお姿すがたもちがっていたからややしばらくはわからなかったが、城太郎じょうたろうから沢庵たくあん一目ひとめ沢庵たくあんとすぐれたはずであった。

よん

城太郎じょうたろうではないか」
沢庵たくあんはやがて、をみはっていった。
自分じぶんあおいだとおもうと、その城太郎じょうたろうが、はっと、をつかえてしまった容子ようすに、沢庵たくあんそそいで、はじめてそれとづいたのであった。
「はい。……はい、さようでございまする」
沢庵たくあん姿すがたあおぐと、以前いぜん洟垂はなた小僧こぞうかえって、かれはただおそるばかりな容子ようすだった。
「ふうむ、そちがあの城太郎じょうたろうか。いつのにやら大人おとなびて、たいそうするど若者わかものになったものよの」
かれ成人せいじんぶりにおどろいて、沢庵たくあんながっていたが、なにはともあれ、伊織いおり手当てあてしてやらなければならない。
いてみると体温たいおんはたしかである。竹筒たけづつみずあたえると、すぐ意識いしきはよびもどした。伊織いおりはあたりをて、きょろきょろしていたが、突然大声とつぜんおおごえしてした。
いたいのか。どこか、いたいのか」
沢庵たくあんがたずねると、伊織いおりはかぶりをって、どこもいたくはないが先生せんせいがいない、先生せんせい秩父ちちぶ牢屋ろうやれてかれてしまった。それがおそろしいと、なおきじゃくってうったえるのだった。
かれかたうったかたも、あまりに唐突とうとつであったから、沢庵たくあん容易よういにその意味いみむことができなかったが、だんだんと仔細しさいいて、なるほどそれは容易よういならぬことがおこったものと、ようやく伊織いおりおなうれいをいだくことができた。
するとそれをかたわらでいていた城太郎じょうたろうは、をよだてたように、卒然そつぜんと、おどろきをかおにみなぎらして、
沢庵たくあんさま。もうしあげたいことがあります。どこかひとのいないところで……」
と、すここえをふるわせていいした。
伊織いおりは、きやんで、うたがいのひからしながら、沢庵たくあんうと、
「そいつは、泥棒どろぼう一類いちるいだよ。そいつのいうことは、うそまってる。油断ゆだんしちゃだめだよ、沢庵たくあんさん」
ゆびをさした。
城太郎じょうたろうにらむと、伊織いおりはなお、いつでもまた、たたかってやるぞというをもって、それにむくいた。
「ふたりとも、喧嘩けんかするな。おまえたちは、元々もともと兄弟きょうだい弟子でしではないか。わしのさばきにまかせていてい」
みちかえしてると、沢庵たくあんはふたりにめいじて、草庵そうあんまえ焚火たきびかせた。百姓ひゃくしょうのおやじは、ようがすむとした藁屋根わらやねへもどってった。沢庵たくあんのそばにこしかけて、おまえたちもなかよく焚火たきびをかこめといったが、伊織いおりはなかなかそこへらないのである。泥棒どろぼう城太郎じょうたろう兄弟弟子きょうだいでしとなることをあえ拒否きょひするようなかおつきなのだ。
だが沢庵たくあん城太郎じょうたろうとが、むつまじく以前いぜんはなしなどしているのをると、伊織いおりかるいそねみをおぼえ、いつのまにかかれもまた、焚火たきびのそばへてあたっていた。
そして沢庵たくあん城太郎じょうたろうとが低声こごえになってはなしているのをだまっていていると、城太郎じょうたろうは、弥陀みだまえ懺悔ざんげする女人にょにんのように、睫毛まつげなみださえせて、かれないさきまで、素直すなおにすらすらと自白じはくしているのであった。
「……ええそうです。お師匠ししょうさまのそばはなれてから足掛あしか四年よねんにもなります。そのあいだわたくしは、奈良井ならい大蔵だいぞうというものそだてられ、そのひとおしえをうけ、またそのひとおおきなのぞみやなかくてをつねくにつけ、このひとのためなら生命いのちしてもしくないという気持きもちになりました。それから今日きょうまで、大蔵だいぞうどのの仕事しごとたすけてまいりましたが――でも泥棒呼どろぼうよばわりなどは心外しんがいきわみです。わたくしも武蔵先生むさしせんせい弟子でし、おそばをはなれてからでも、お師匠ししょうさまの精神せいしんとは、一日いちにちわかれてはいないつもりですから」