386・宮本武蔵「二天の巻」「大事(1)(2)」


朗読「386二天の巻42.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 58秒

大事だいじ

いち

眼病がんびょうなのか、老眼ろうがんおとろえきっているのか、薦僧こもそうは、なにをするにもさぐりであった。
べつに沢庵たくあんからのぞんだわけでもないのに、一曲いっきょくふきましょうといっていた尺八しゃくはちも、素人しろうとすさびのように下手へただった。
けれど沢庵たくあんは、こういうことをそのあいだかんじた。かれいている尺八しゃくはちには、非詩人ひしじんのように、無技巧むぎこう真情しんじょうがある。平仄ひょうそくにはっていないが、どういうもちでいているか、そのこころのほどは十分じゅうぶんみとれるのであった。
ではこのちたる世捨人よすてびと薦僧こもそうは、いったいどういうものをそのだけからうったえようとしているのかというと、それはただ懺悔ざんげ二字にじきるものであった。じょ歌口うたぐちからおわるまで、ほとんど、懺悔ざんげしていてばかりいるかのようなたけなのである。
じっと、沢庵たくあんは、それをいているうちに、この薦僧こもそうとおって生涯しょうがいがどんなものであったかがわかるような心地ここちがした。えら人間にんげんといっても凡人ぼんじんといっても、人間にんげん内的ないてき生涯しょうがいなどというものはそうかわりのあるものではない。偉人いじん凡物ぼんぶつ相違そういは、そのひとしい人間的にんげんてき内容ないよう煩悩ぼんのうえてあらわれた表示ひょうじのすがたであって、この薦僧こもそう沢庵たくあんとでも、いっかんたけをとおして、かたちなくこころこころれてみれば、いずれも過去かこおなじように、煩悩ぼんのうかわをかぶせた人間にんげんでしかなかったのである。
「はてな、どこかでおかけしたようだが……」
そのあと沢庵たくあんつぶやいたのである。すると薦僧こもそうも、をしばたたいて、
「そうおおせられますなら、わたくしももうしまするが、最前さいぜんからてまえもなんだか、いたようなおこえおもわれてなりませんのです。もしやあなたは、但馬たじま宗彭しゅうほう沢庵たくあんどのではありませぬか。美作みまさか吉野よしのごうでは七宝寺しっぽうじながらく逗留とうりゅうしておでた……」
といいかける言葉ことば途中とちゅうから、沢庵たくあんもはっとおもしたらしく、すみにあったほのぐら灯皿ひさらしんをかきたてて、じっと、薦僧こもそうひかしろひげや、げたほおつめていたが、
「あ。……青木丹左衛門あおきたんざえもんどのじゃないか」
「おう、ではやはり、沢庵たくあんどのでございましたか。おおあなでもあればはいりたや。かわてたこののすがた。宗彭しゅうほうどの、むかしの青木丹左あおきたんざおもっててくださるな」
意外いがいや、ここでおにかかろうとは。――もう十年じゅうねんまえになるのう、あの七宝寺しっぽうじころからは」
「それをいわれると、氷雨ひさめびるようにつろうござる。もう野末のずえ白骨はっこつにひとしい丹左たんざなれど、ただおもやみにさまようて、きながらえておりまする」
ゆえにと? そのとは、そも何処どこにいて、どうくらしておるのか」
「うわさにけば、そのむかしこの青木丹左あおきたんざが、讃甘さぬもやまてたうえ千年杉せんねんすぎこずえくくげてくるしめた――当時とうじ――その後宮本武蔵ごみやもとむさしとよぶひと弟子でしとなって、この関東かんとうておるということなので」
「なに、武蔵むさし弟子でし
「されば――そういたとき慚愧ざんき――面目めんぼくなさ――。どのつらさげてそのひとまえにと、一時いちじはもうわすれ、武蔵むさしにもこの姿すがたせまいと、ふかおそれておりましたが、やはりいとうていとうて……もう指折ゆびおりかぞえれば城太郎じょうたろうもことし十八じゅうはち。その成人せいじんぶりさえ一目見ひとめみれば、んでも心残こころのこりはないと、はじ意地いじてて、先頃さきごろからこの東路あずまじをさがしあるいているわけでございまする」

「では、城太郎じょうたろうというあの童弟子わらべでしは、おもとでおざったか」
このことは、沢庵たくあんにはまったく初耳はつみみであった。どうしてか、あんな知合しりあいでいながら、ついぞおつうからも武蔵むさしからも、その生立おいたちについては、なにいていなかった。
薦僧こもそう青木丹左あおきたんざは、だまってうなずいた。その枯渇こかつしたすがたには、往年おうねんのどじょうひげやした侍大将さむらいたいしょう威風いふう旺盛おうせい慾望よくぼうかげおもせないほどだった。沢庵たくあんは、ただ憮然ぶぜんとしてるほか、なぐさめる言葉ことばもなかった。すでに人間にんげんあぶらぎったからからけて、蕭条しょうじょうへかかっている晩鐘ばんしょう人生じんせいに、おなりななぐさめはいえるものではないからである。
――といって、過去かこ懺悔ざんげにのみこころいためて、これからさきみちはないように、ほねかわあつかっているすがたも、ていられない心地ここちがする。この人間にんげんは、自己じこ社会的しゃかいてき地位ちいから転落てんらくして、すべてに滅失めっしつしたときに、仏陀ぶっだすくいとか、法悦ほうえつきょうというものがあることまで、見失みうしなってしまったにちがいない。いきおいのよいとき羽振はぶりって、ひといちばいけんをふるったり意慾いよくほしいままにしたけれど、こういう人間にんげんほど、半面はんめんには、かたくななくらいな道徳的良心どうとくてきりょうしんをもっているので、失脚しっきゃくするととも自己じこ良心りょうしんで、自己じこ余生よせいまった自身じしんころしているような心理しんりになってしまったものらしいのである。
だからわるくすれば、かれいま生涯しょうがいのぞみとしている――武蔵むさしって一言ひとことびをいうことと、わが成人せいじんぶりをて、その将来しょうらい安心あんしんいだくことをしてしまえば――すぐそこらの雑木林ぞうきばやしって、明日あしたあさは、くびくくってんでいたというようなことにならないともかぎらない。
沢庵たくあんは、そうおもった。このおとこには、わせるよりもさきにまず、仏陀ぶっだわせてやらなければいけない。十悪じゅうあく五逆ごぎゃく悪人あくにんでも、すくいをもとめればすくうてくれる慈悲光じひこう弥陀みだ尊仏そんぶつ対面たいめんさせてからのち城太郎じょうたろうわせてやっておそくはない。武蔵むさしとの邂逅かいこうは、なおさらそのうえであるほうが、このおとこにもよいし、武蔵むさしにとっても心地ここちがよかろう。
こうかんがえたので沢庵たくあんは、とりあえず丹左たんざむかって、御府内ごふない一禅寺いちぜんじおしえてやった。わしのをつげてそこに幾日いくにちでも逗留とうりゅうしておるがよいというのである。そのうち自分じぶんひまとき出向でむいてゆるゆるはなしもしようしきもしよう。子息しそく城太郎じょうたろうについては、心当こころあたりがないでもないから、他日必たじつかならずわしが尽力じんりょくしてわせてやる。あまりくよくよせず、五十歳ごじゅっさい六十歳ろくじゅっさいからさきでも、長命ちょうめいかんがえる楽土らくどもあれば、する仕事しごとのある人生じんせいもある。わしがくまで禅寺ぜんでらでちとそんなことでも和尚おしょうからいておかれるがよろしかろう。
――こんなふうにさとして、沢庵たくあんわざとすげなく青木丹左あおきたんざをそこからほどなくたせてやったのであった。そのもちが丹左たんざこころにもうつったとみえ、丹左たんざ何度なんどれいをのべ、こも尺八しゃくはちって不自由ふじゆうらしい竹杖たけつえたよりながら、かべのないいえひさしはなれてった。
そこはおかなので、したりるみちの、すべりやすいことをおそれ、丹左たんざはやしのほうへはいってった。杉林すぎばやし細道ほそみちから、雑木林ぞうきばやし細道ほそみちへ、あし自然しぜんみちびかれてった。
「……?」
そのうちにふと、丹左たんざつえさきになにかつかえたものがあった。まったくの盲人もうじんではないので、丹左たんざかがめてまわした。しばらくはなにえなかったが、そのうちにれるあおほしひかりに、ふたつの人間にんげんからだが、つゆにぬれたまま大地だいちよこたわっているのが、っすらとわかった。