385・宮本武蔵「二天の巻」「兄弟弟子(4)(5)」


朗読「385二天の巻41.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 25秒

よん

こずえうえからはなんこたえもない。しずくってるだけだった。城太郎じょうたろう思案しあんしていたが、伊織いおりがっていることはたしかと見極みきわめたらしく、おおきなみききついたとおもうと、注意ちゅういぶかくのぼってった。
たして、がさっとそらなにうごいた。
げられた伊織いおりこずえいただきいてさるみたいにったが、もうそれからさきは、つたってゆくえだもなかった。
小僧こぞうっ」
「…………」
つばさがなければもうげられぬぞ。生命いのちたすけてくれといえ。そしたら、たすけてやらぬこともない」
「…………」
こずえまたに、伊織いおりかげは、小猿こざるみたいにちぢまっていた。
そろ、そろ、としたから城太郎じょうたろうのぼめてった。だが、くまで伊織いおりだまっているので、そのあしのあたりへばし、かかとをつかもうとしたのである。
「…………」
伊織いおりはなお、だまったまま、もうひとうええだあしうつした。で、城太郎じょうたろうは、かれあし退けたえだ両手りょうてをかけ、
「うぬ」
と、ばしかけると、伊織いおりっていたように、右手みぎてかくしていたかたなで、その横枝よこえだまた発矢はっしうえからなぐった。
生木なまきえだは、やいばてられるとともに、城太郎じょうたろう重量めかたくわえて、めりッとおおきなひびきをはっし、あッとかれかげが、なかでよろめいたとおもうと、みきはなれたえだ城太郎じょうたろうからだは、ひとつになってどさッと大地だいちちてった。
「どうだ、泥棒どろぼう
伊織いおりは、ちゅうからいった。
かさをひらいてちたように、えだが、えださえぎられつつちてったので、城太郎じょうたろうはどこも大地だいちちはしなかったが、
「やったな、よくも!」
と、ふたたびちゅうにらむと、今度こんどひょうじてゆくようないきおいで、伊織いおりあししたせまった。
伊織いおりは、かたなしたけて、滅茶滅茶めちゃめちゃえだあいだをふりまわしていた。双手もろて使つかえないだけに、城太郎じょうたろう無碍むげにはそれへちかづけなかった。
からだちいさいが、伊織いおりにはがある。年齢としうえだけに、城太郎じょうたろう相手あいてんでいる。といって、こんなうえでは、いつまでらちはつかなかった。いや、からだちいさい伊織いおりのほうが、位置いちからいってもかえってがあった。
そうしているうちに、このはやし杉木立すぎこだち彼方かなたで、尺八しゃくはちをふく人間にんげんがあった。もちろんその人間にんげんえるわけでもないし、何処いずこさだかにもわからないが、とにかくその二人ふたりみみにとどく距離きょりのうちで、その尺八しゃくはちをふいているものがあることに間違まちがいはなかった。
伊織いおり城太郎じょうたろうも、そのおとくと一瞬いっしゅんあらそいをやめて、くら宇宙うちゅうで、毛穴けあなから呼吸いきをしっていた。
「……チビ」
城太郎じょうたろうは、沈黙ちんもくからかえると、ふたたび伊織いおりかげむかって、こんどはすこさとすようにいった。
かけによらない強情ごうじょうなところは、感心かんしんなものだといっておこう。だれにたのまれて、おれのあと尾行つけたのか、それさえ白状はくじょうしたら生命いのちたすけてやるがどうだ」
といえ」
なに
「こうえても、宮本武蔵みやもとむさしいち弟子でし三沢みさわ伊織いおりとはおいらのだ。泥棒どろぼう生命いのちいなどしたら、先生せんせいをよごすじゃないか。といえ。ばか」

城太郎じょうたろうはびっくりした。その大木たいぼくから大地だいちほうされたさっきよりもおどろいた。あま意外いがいだったので、自分じぶんみみうたがったくらいだった。
「な、なんだって。もういっぺんいってみろ、もういっぺん」
そうなおかれ言葉ことばが、はずしてふるえていたので、伊織いおりは、自分じぶん名乗なのりほこりすらって、
「よくけ、宮本武蔵みやもとむさしいち弟子三沢伊織でしみさわいおりといったのだ。おどろいたか」
「おどろいた」
城太郎じょうたろうは、神妙しんみょうかぶとをぬいだ。そして、なかばうたがいとしたしみとをって、
「おいっ、お師匠ししょうさまは、ご丈夫じょうぶか。そしていまは、どこにいらっしゃるのだ」
「なんだと」
こんどは伊織いおり気味きみわるがって、じりじりとってかれを、けながら、
「――お師匠ししょうさまだと。武蔵むさしさまは、泥棒どろぼう弟子でしなどっていやしないぞ」
泥棒どろぼうとは人聞ひとぎきがわるい。この城太郎じょうたろうは、そんな悪心あくしんっていない」
「エ。城太郎じょうたろう
「ほんとに、おまえが武蔵様むさしさま弟子でしなら、なにかのおりうわさたこともあるだろう。おれがまだ、おまえみたいにちいさいころ何年なんねんもおれは武蔵むさしさまのそばかしずいていたのだ」
うそっ、うそをいえ」
「いや、ほんとだ」
「そんなにのるものか」
「ほんとだというのに」
武蔵むさしいだいている日頃ひごろ情熱じょうねつをそのまましめして、城太郎じょうたろうはいきなり伊織いおりそばり、伊織いおりかたきよせようとした。
伊織いおりには、しんじられない。城太郎じょうたろう自分じぶんからだまわして、おまえとおれとは兄弟きょうだい弟子でしであるといったことばを、すぐ智恵ちえうったえた伊織いおりは、わるくってしまって、まださやおさめずにいたかたなで、城太郎じょうたろうのわきばら一突ひとつきにいてしまおうとした。
「あっ、てったら!」
城太郎じょうたろうは、窮屈きゅうくつこずえのあいだで、あやうくその手元てもとをつかんだが、とたんに、からはなして、からだ全部ぜんぶ伊織いおりがかかってたため、伊織いおりえりくびにしがみついたまま、こずえンばってちあがってしまった。
当然とうぜん、ふたつのからだは、双仆もろだおれになって、ちゅうから無数むすうこずえとをりちらして、大地だいちへどさッとちてた。
この場合ばあいは、さき城太郎じょうたろうちたときちがって、ひどく重量じゅうりょう速度そくどをかけて墜落ついらくしたため、二羽にわ若鳥わかどりは、うーむと、むねりあったまま、ふたりとも其処そこにいつまでもうしなっていた。

ここの雑木林ぞうきばやし杉林すぎばやしにつづいている。その杉林すぎばやしに、いつぞやの暴風雨あらしこわれたままの、武蔵むさし草庵そうあんはあった。
だが、武蔵むさし秩父ちちぶあさ村人むらびと言葉ことばをつがえたとおり、そのから、こわれた草庵そうあんは、大勢おおぜいしてなおしにかかっていた。
――で、もう屋根やねはしらだけはあたらしくなっていた。
武蔵むさしはまだかえらないのに、そのかべもない屋根やねしたに、今夜こんや燈火ともしびがついている。きのう江戸表えどおもてから水見舞みずみまいだといって沢庵たくあんが、武蔵むさしかえるまでとうといって、ひととまっているのである。
ひとりということはしかしこのなかではありないこととみえる。沢庵たくあんがここにぽつねんとともしていると、ゆうべはまったくひとりでぎたが、こよいはもうその灯影ほかげかけて、一名いちめいたび薦僧こもそうが、夕飯ゆうはんべますので、をいただかせてくれといってった。
さっき雑木林ぞうきばやしのほうまできこえた尺八しゃくはちは、このいたる薦僧こもそう沢庵たくあんかせたものであろう。時刻じこくもちょうど、かれかしわにつつんだ弁当べんとう飯粒めしつぶおわったころであったから。