384・宮本武蔵「二天の巻」「兄弟弟子(2)(3)」


朗読「384二天の巻40.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 19秒

この部落ぶらくには、鍬鍛冶くわかじんでいるとみえて、どこかでつちおとが、かあーん、てえーん、長閑のどかきこえる。あか秋草あきくさには、土龍もぐらりちらしたつちかわき、民家みんかのきしてある洗濯物せんたくもののしずくがぽとぽとちていた。
泥棒どろぼうっ、泥棒どろぼうっ」
みちばたにふいに、呶鳴どなっているがあった。
干柿ほしがきるしてある軒下のきしただの、くら馬小屋うまごやよこからだの、わらわらとひとけてた。
伊織いおりはその人々ひとびとへ、をふりまわして、
彼方むこうからいま、おらをいかけてほおかぶりのおとこは、秩父ちちぶ権現様ごんげんさま宝蔵破ほうぞうやぶりをした泥棒どろぼうのひとりだから、みんなしてつかまえてください。――あら、あら、たよたよこっちへ」
と、おおきなこえしてげた。
部落ぶらくひとたちは、あまりに唐突とうとつかれのわめきに、最初さいしょはあっにとられていたが、伊織いおりゆびさすほうると、なるほど、蘇芳染すおうぞめ手拭てぬぐいあごむすんだわかさむらいが、此方こなたむかってちゅうんでくる。
けれども百姓達ひゃくしょうたちは、依然いぜんとして、そのちかづいてくるのをただているだけの様子ようすなので、伊織いおりはまた、
宝蔵破ほうぞうやぶり、宝蔵破ほうぞうやぶり。うそじゃない。ほんとにあれは、秩父ちちぶ大泥棒おおどろぼう片割かたわれだよ。はやくつかまえないとげちまう!」
と、さけんだ。
そうして伊織いおりは、勇気ゆうきのないへい指揮しきするしょうみたいに、こえをからしたが、部落ぶらくおだやかな空気くうきはなかなか震動しんどうしない。んびりしたかおをならべた百姓ひゃくしょうたちは、ただかれさけびに、うろたえのと、怖々おどおどした挙動そぶりをすこしせたばかりで、こまねいているのだった。
そのうちにもう城太郎じょうたろうのすがたは、すぐまえてしまったので、伊織いおりはいかんともするすべがなく、栗鼠りすのようにすばやくどこかへかくれこんでしまったらしかった。――それを城太郎じょうたろうっていたからないかわからないが、じろりと、みちりょうわきに居並いなら部落ぶらくものながめながら、ここではあしもゆるやかに、
手出てだしをするものがあるならい――)
と、いわんばかりに落着おちつきすまして、悠々ゆうゆうとおけてったのである。
そのあいだ部落ぶらくものは、いきもしないで、かれ姿すがた見送みおくっていた。宝蔵破ほうぞうやぶりの泥棒どろぼうとどなったこえいているので、どんな兇猛きょうもう野武士のぶしかとおもっていたらしいが、あん相違そういして、まだ十七じゅうしちはち目鼻めはなだちもよく、凛々りりしい青年せいねんなので、なにかのこれは間違まちがいにちがいないと、さきにどなった少年しょうねん悪戯わるさをむしろにくんだほどであった。
一方いっぽう伊織いおりは、あんなにこえをからしても、だれも、泥棒どろぼうむかおうとする正義せいぎひとがいないので、大人おとな卑劣ひれつさに愛想あいそをつかしたが、さりとて、自分じぶんちからではどうにもならないこともっているので、これははや中野村なかのむら草庵そうあんかえってあの近所きんじょ懇意こんい人々ひとびとにもげ、かんへもうったえて、つかまえてやろうとかんがえた。
で、野火止のびどめ部落ぶらくうらから、しばらくははたけみちのないくさむらをいそいだ。そしてほどなく、おぼえのあるすぎばやしを彼方かなた、もう十町じゅっちょうけば、いつぞやの暴風雨あらしにこわれた草庵そうあんあと――と、こころをおどらしてけだしたのである。
するとかれまえに、横手よこてをひろげたものがある。横道よこみちからふいに城太郎じょうたろうであった。伊織いおりはとたんに、あたまからみずびたようながしたが、ここまでればもう自分じぶんくにのようにつよかったし、げてもだめだとおもったので、退きながら、こしびている野差刀のざしきはらい、
「ア、畜生ちくしょう
と、けものたように、くうって、ののしった。

さん

刃物はものいたにしろ、多寡たかれたチビとくびって、城太郎じょうたろう無手むてでいきなりびかかった。
えりがみをつかんでしまうつもりであったが、伊織いおりは、
「――ちイ!」
と、さけびながら、城太郎じょうたろう小手こてをすりぬけて、よこ十尺じゅっしゃくびのいてしまった。
!」
城太郎じょうたろうは、忌々いまいましいかおをして、せまってったが、ふと、自分じぶん右手みぎて指先ゆびさきから、たらたらとぬくいものがれるので、何気なにげなくひじげてみると、うであたりに二寸にすんばかりの太刀傷たちきずをいつのまにかけていたのであった。
「ヤ。やったな」
城太郎じょうたろう伊織いおりにらあらたにした。伊織いおりは、いつも武蔵むさしからおしえられたとおりにとうかまえた。



いつもからやかましくいわれているちからが、伊織いおりのひとみへ無意識むいしきにぐっとがった。かおじゅうをにしたような伊織いおりかおだった。
かしておけない」
にらけしたように城太郎じょうたろうつぶやいて、かなりながこしものいてせたときである。まさかと、そうなってもまだ、幾分いくぶん多寡たかをくくっていた伊織いおりが、最初さいしょてき小手こてったことに、すっかり自信じしんをもったらしく、ぱっと野差刀のざしりかぶって、りつけてた。
そのびつきかたも、常々つねづね武蔵むさしへかかってゆく仕方しかた同様どうようであるから、それはけはしたものの城太郎じょうたろうには、意外いがい圧倒感あっとうかんを、うでにも精神的せいしんてきにも、けたことに間違まちがいない。
生意気なまいきなっ」
もう城太郎じょうたろう全力ぜんりょくだった。ことにどうしてか、宝蔵破ほうぞうやぶりのけんっているこのチビは、自分じぶんたち一類いちるいのためにもかしておけないとおもった。
躍起やっきになって、りつけてくる伊織いおり攻勢こうせい無視むしして、城太郎じょうたろうは、まっこう一太刀ひとたちあびせてやろうとしてった。けれど、伊織いおり敏捷びんしょうは、はるかに城太郎じょうたろうまさるものがある。
のみみたいな小僧こぞうだ」
と、城太郎じょうたろうおもった。
そのうちに、伊織いおりはふいにした。げるのかとおもうと、とどまってまたかかってくる。こんどは城太郎じょうたろう意気いきごむと、たくみにはずして、またげるのだった。
さかしくも伊織いおりはそうして、徐々じょじょてきむらのほうへさそってこうとするらしいのである。そしてついに、草庵そうあんあとちか雑木林ぞうきばやしなかへまでれこんだ。
西陽にしびはとうにうすれかけていたので、はやしなかはもうじっとりと夕闇ゆうやみがこめていた。さきはしりこんだ伊織いおりって、城太郎じょうたろうはするどい血相けっそうをもっていかけてたが、かれのすがたが見当みあたらないので、一息ひといきつきながら、
「チビめ、どこへもぐったか」と、まわしていた。
すると、そばおおきなのこずえから、樹皮じゅひちりがはらはらとこぼれて、かれえりくびにさわった。
「そこだな」
と、城太郎じょうたろうは、ちゅうあげてどなった。こずえのそらはこんもりとくらく、しろほしひとふたえるだけだった。