383・宮本武蔵「二天の巻」「漆桶(3)兄弟弟子(1)」


朗読「383二天の巻39.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 59秒

さん

信心しんじん遍歴へんれきにといって、木曾きそのお百草問屋もぐさどんや大蔵だいぞうが、奈良井ならい本家ほんけかけてから、ことしであしかけ四年目よねんめになる。
かれ足跡そくせき関東かんとうにあまねく、神社仏閣じんじゃぶっかくのあるところで、奈良井ならい大蔵だいぞう寄進札きしんふだかけない霊場れいじょうはないくらいだが、この奇特人きどくにんが、そのかねをどこからはこんできているかは、だれ詮議せんぎをしてみたものはない。
のみならず、去年きょねんあたりからは江戸城下えどじょうかしばあたりに居宅きょたくをもち、質店しちてんかまえ、まち五人組衆ごにんぐみしゅう一人ひとりにまでなりすまして、町内ちょうない信望しんぼうもあついかれである。
その大蔵だいぞうが、さきには、本位田ほんいでん又八またはち芝浦しばうらおきさそって、新将軍しんしょうぐん秀忠ひでただ狙撃そげきしないかと、かねまどわしてわめいたり、いまはまた、三峰権現みつみねごんげんまつりじょうじて、宝蔵ほうぞう金銀きんぎんぬすし、首塚くびづかまつけておいた数年間すうねんかんかせぎをもあわせて、めこんで三頭さんとううまへぎっしり背負しょませているのである。
なかはおそろしい。およそわからぬものは人間にんげん表裏おもてうらである。とはいえ、すべてをそううたぐっていたらりもなくなって、ついには、自分じぶんというものまで懐疑かいぎしなければならなくなってしまう。
そこで、聡明そうめいであろうと、だれこころがけるが、たまたま、その聡明そうめいいている又八またはちなどが、あえなくも大蔵だいぞう巧言こうげんにのせられて、かねのために、おそろしい冒険ぼうけんへみずからむかってってしまった。
おそらく、又八またはち今頃いまごろは、もう江戸城えどじょうなかにいるだろう。そして大蔵だいぞう約束やくそくしたとおり、えんじゅしたけてある鉄砲てっぽうちだして、秀忠将軍ひでただしょうぐん一発いっぱつもとっているにちがいない。
それが自己じこ破滅はめつともらずに。
なににしても、大蔵だいぞう怪人物かいじんぶつである。又八またはちごときが他愛たあいなくおとりになったのは当然とうぜんでさえある。朱実あけみいまは、かれほうじる特殊とくしゅ側女そばめとなっているし――もっとおどろくべきことには、武蔵むさしが、しおにかけて数年すうねん愛育あいいくして少年城太郎しょうねんじょうたろうまでが、いつのまにか、としばえも十八じゅうはち前髪振まえがみぶりのいい青年せいねんになって、しかも大蔵だいぞうのことを、
――おやじさま
と、敬称けいしょうするような境遇きょうぐうになりてている事実じじつである。
いかにとはいえ、盗賊とうぞくかれにつかえて、おやじさまぶほどな人間にんげんになったと――その城太郎じょうたろうかわりようをったら、武蔵むさしよりは、あのおつうがどんなになげくことだろうか。
それはとにかく。
くるまになった五名ごめいは、半刻近はんときちかくもそこでいろいろな評議ひょうぎをこらしていた。その結果けっか奈良井ならい大蔵だいぞうはもうこのへん木曾きそ姿すがたをかくし、江戸えどへはもどらぬほうが安全あんぜんだろうということになった。
しかししば質店しちてんほうには、家財かざいなどはともかく、いてててしまわなければならない書類しょるいなどもあるし、朱実あけみのこしてたことだから、だれかその始末しまつ一人ひとりはやらなければならないがというと、
城太じょうたがよい。それには、城太じょうたをやるがいちばんです」
と、異口同音いくどうおんまってしまったのである。
で、やがて。
んだ三頭さんとううまに、大蔵だいぞうくわえた四名よんめい木曾きそしゅうは、まだ夜明よあまえくらいうちに、そこから甲州路こうしゅうじのほうへれてってしまい、城太郎じょうたろうはただひとりで、江戸えどのほうへむかってったのであった。
おかのうえにはあけ明星みょうじょうが、まだはっきりひかっていた。すべての人影ひとかげったあとで、そこへした伊織いおりは、
「さあ、どっちへいてったらいいだろ?」
まよったをして、まだまだどっちをながめても真暗まっくらな、漆桶うるしおけなかみたいな天地てんち見廻みまわしていた。

兄弟弟子きょうだいでし

いち

きょうもあきそらみきっている。つよい皮膚ひふしたまでみこむようにおもえる。夜盗やとうなどの仲間なかまものは、およそこうした清澄せいちょう白日はくじつもとでは、大手おおでってあるけるものでないが、城太郎じょうたろうには、そんなくらかげがすこしもない。
かれはあだかも、これからの時代じだいに、おおいに意志いしべようとする理想りそうにみちた青年せいねんのごとく、武蔵野むさしのひるをわがものがおしてあるいてくのだった。
ただ時々ときどき城太郎じょうたろうが、なににするようにうしろをふりいた。それとて、けっして、うしろぐら自分じぶんかげおびえているではなく、みょう少年しょうねんが、今朝けさ川越かわごえときから、のべつ自分じぶんあとからちょこちょこいてるからで、
迷子まいごかしら)
かんがえたが、なかなか迷子まいごになるようなうすぼんやりなかおつきではないし、
なにようでもあるのか)
っていれば、どこかにかげひそめてしまって、あとからちかづいて様子ようすがない。
そこで城太郎じょうたろうも、これは油断ゆだんがならないとおもいだし、わざとみちのない尾花おばなくさむらへかくれて、少年しょうねん挙動きょどううかがっていると、ふいにさき姿すがた見失みうしなった伊織いおりは、
「……おやっ?」
と、そこへるなり狼狽ろうばいをせわしなくうごかし、しきりと、城太郎じょうたろうかげをさがしている様子ようすなのである。
城太郎じょうたろうはきのうのように、れい蘇芳染すおうぞめ手拭てぬぐいほおかむりにあごでしばっていたが、尾花おばななかからそのときすっくとって、
小僧こぞう
と、ふいにびかけた。
小僧小僧こぞうこぞうとよくばれたのは、つい五年前ごねんまえまでの城太郎自身じょうたろうじしんであったが、いまは、ひとをそうぶような背丈せたけかれもなっていた。
「……あっ」
伊織いおりはおどろいて、無意識むいしきげかけたが、所詮しょせんおせないことをったとみえて、
「なんだい?」
平気へいきかおして――わざとさきほうへとことこあるしてった。
「おいおい、何処どこまでくんだ。おいチビ、たないか」
なによう?」
ようは、そっちにあるんじゃないか。かくしてもだめだ。川越かわごえからおれを尾行つけたのだろう」
「ううん」
――くびって、
「おら、十二社じゅうにそう中野村なかのむらまでかえるんだよ」
「いいや、そうじゃない。たしかにおれを尾行つけたにちがいない。いったい、だれたのまれたかいえ」
らないよ」
げッちりになるのを、城太郎じょうたろうをのばして、そのえりもとをつかみよせ、
「いわないか」
「だって……だっておら……なにらないんだもの」
「こいつめ」
と、すこしめて、
「おのれは、役所やくしょ手先てさきだれかにたのまれたにちがいあるまい、密偵いぬだろう、いや密偵いぬだろう」
「じゃあ……おらが密偵いぬえるなら……おまえはぬすかい?」
なに
ぎょっとして、城太郎じょうたろうが、そのかおめつけると、伊織いおりは、かれはずして、くびからだへすくめたかとおもうと、ぱっとかぜおこして、彼方かなたしてった。
「――あっ、こいつ」
城太郎じょうたろうもすぐそれをう。
くさ彼方かなたに、土蜂つちばちをならべたようなわら屋根やねいくつかえる。野火止のびどめ部落ぶらくであった。