43・宮本武蔵「水の巻」「優曇華(2)(3)」


朗読「43水の巻7.mp3」14 MB、長さ: 約10分22秒

事件ことおこりはこうである。
――作州さくしゅう吉野郷よしのごう宮本村みやもとむら牢人ろうにん宮本武蔵みやもとむさしというものですが。
と、今日玄関きょうげんかんおとずれた田舎者いなかものがあるという取次とりつぎ言葉ことばであった。居合いあわせた連中れんちゅうきょうがって、どんなおとこかとたずねると、取次とりつぎのいうには、としころはまだ二十一にじゅういち六尺ろくしゃくちかく、くらやみからきだしたうしのようにぬうとしている、かみ一年いちねんくしなどれたことがないらしくあかくちぢれたのを無造作むぞうさたばね、衣服いふくなどは、無地むじ小紋こもんか、くろちゃか、わからないほど雨露あまつゆよごれていて、のせいかくさいようなさえする。それでも背中せなかには、ぞく武者修行袋むしゃしゅぎょうぶくろとよぶ紙撚網こよりあみしぶをひいて出来できている重宝ちょうほうづつみをななめに背負しょいこんでいるところ、やはり近頃多ちかごろおお武者修行むしゃしゅぎょうもっにんじているらしくあるが、なんとしてもけた若者わかものだ――ということであった。
それもいい。お台所だいどころ一食いっしょくのおめぐみにとでもいうことか、この広大こうだい門戸もんこて、ひともあろうに当流とうりゅう吉岡清十郎先生よしおかせいじゅうろうせんせい試合しあいをねがいたいという希望きぼうだといたから、門人もんじんたちはきだしてしまった。ぱらえ、というものもあったが、何流なにりゅうだれにしてまなんだかいてやれというものもあって、取次とりつぎ面白半分おもしろはんぶん往復おうふくすると、その返辞へんじがまたふるっている。
――幼少ようしょうときちちについて十手術じってじゅつならいました。それ以後いごは、むら兵法者へいほうしゃについて、誰彼だれかれとなくみちい、十七歳じゅうななさいにして、郷里きょうり十八じゅうはち十九じゅうく二十はたちさんねんゆえあって学問がくもんにのみこころをゆだね、去年一年きょねんいちねんはただひとやまこもって、樹木じゅもく山霊さんれいとして勉強べんきょういたしました。されば自分じぶんにはまだこれというもなく流派りゅうはもありません。将来しょうらいは、鬼一法眼きいちほうげんでんみ、京八流きょうはちりゅう真髄しんずい参酌さんしゃくして、吉岡流よしおかりゅう一派いっぱをなされた拳法先生けんぽうせんせいのごとく、自分じぶんいたらぬながら一心いっしんはげんで、宮本流みやもとりゅうてたいのがのぞみでございます。
と、いかにも世間せけんれない正直しょうじきさはあるが、なまりのあるまわらぬしたで、咄々とつとつこたえたといって、取次とりつぎが、またその口真似くちまねをしてつたえたので、さあみんな、ふたたわらいこけてしまった。
天下一てんかいち四条道場しじょうどうじょうへ、のそのそやってるのさえ、すでによほど戸惑とまどったやつでなければならんのに、拳法先生けんぽうせんせいのごとく一流いちりゅうてたいなどとは、のほどらずも、ここまでになれば珍重ちんちょうしてよろしい。いったい、死骸しがい引取人ひきとりにんはあるのかないのかいていと、さらに、からかい半分はんぶん取次とりつぎへいってみると、
死骸しがいなれば、万一まんいち場合ばあい鳥辺山とりべやまへおくださろうとも、加茂川かもがわあくたともにおながくださろうとも、けっして、おうらみにはぞんじませぬ)
と、これはとしているにげないさッぱりした返辞へんじだという。
げろ)
一人ひとりくちったのがはじまりであった。道場どうじょうとおして、怪我けがぐらいにしてほうすつもりであったのだ。ところが、最初さいしょ立合たちあいに、怪我けが道場側どうじょうがわほう出来できてしまった。木剣ぼっけんうでられたのだ、られたというよりもがれたといったほうがあたっている。皮膚ひふだけで手首てくびがぶらがっているほどな重傷じゅうしょうだった。
次々つぎつぎがったものが、ほとんど同様どうよう重傷じゅうしょううか惨敗ざんぱいつくしてしまったのである。木剣ぼっけんとはいえゆかにはさえしたたった。凄愴せいそう殺気さっきはみなぎって、たとえ吉岡よしおか門人もんじん一人ひとりのこらずたおれるまでも、この無名むめい田舎者いなかものほこりをたせたままかしてかえすことはならなくなった。
(――無益むえきであるからこのうえ清十郎先生せいじゅうろうせんせいに)
当然とうぜんいのもとに、武蔵むさしはもうたないのであった。やむなく、かれには一室いっしつてがってたせておき、清十郎せいじゅうろうさきへは使つかいをはしらせ、一方いっぽうでは医者いしゃむかえて、重体じゅうたい傷負てお数名すうめいを、おく手当てあてしていた。
その医者いしゃかえるともなく、燈火あかりのついたおく部屋へや傷負ておいのをよぶこえ三度聞さんどきこえた。道場どうじょうものが、ってみると、そこにまくらをならべている六名ろくめいもののうちで、二人ふたりはもうこときれてんでいた。

「……だめか」
死者ししゃ枕元まくらもとをかこんだ同門どうもんものたちのかおは、一様いちようあおくにごって、おもくるしいいきをのんだ。
そこへ、あわただしい跫音あしおとが、玄関げんかんから道場どうじょうとおり、道場どうじょうからおくはいってた。
祇園ぎおん藤次とうじれた吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうであった。――
二人ふたりとも、みずからがってたようなめたかおいろをたたえていた。
「どうしたのだ! このざまは」
藤次とうじ吉岡家よしおかけ用人格ようにんかくでもあり、また道場どうじょうでは古参こさん先輩せんぱいでもあった。したがってその言葉ことばつきは場合ばあいにかまわず、いつも権柄けんぺいであった。
死人しにん枕元まくらもとで、なみだぐんでいた多感たかんらしい門人もんじんが、途端とたんッとしたげて、
なにをしていたとはあなたがたのことだ。若先生わかせんせい誘惑さそいあるいて、馬鹿ばかほどにしたがよいッ」
なんだと」
拳法先生けんぽうせんせいのご在世中ざいせいちゅうには、一日いちたちたりとも、こんなはなかったんだぞ!」
「たまたまのおばらしに、歌舞伎かぶきへおでになったくらいのことが、なんでわるいか。若先生わかせんせいをここにおいて、なんだそのくちは。出過ですものめ」
女歌舞伎おんなかぶきは、まえばんからとまらなければけないのか。拳法先生けんぽうせんせいのお位牌いはいが、おく仏間ぶつまで、いてござるわっ」
「こいつ、いわしておけば」
その二人ふたりをなだめて別室べっしつけるために、そこはしばらくがやがやしていた。――すると、隣室となりくらやみで、
「……や……やかましいぞっ……ひと苦痛くつうらずに……ウーム……ウーム」
うめものがあるとおもうと、
「そんな内輪喧嘩うちわげんかより、若先生わかせんせいかえってたなら、はやく、今日きょう無念むねんばらしをしてくれっ。……あの……おくたせてある牢人ろうにんめを、かして、ここのもんからしては駄目だめだぞっ。……いいかっ、たのむぞ」
蒲団ふとんのうちから、たたみをたたいてわめいているものもある。
いたるほどではなかったが、武蔵むさし木剣ぼっけんまえって、あしくだかれた怪我人組けがにんぐみの、それは興奮こうふんであった。
(そうだ!)
だれもが、叱咤しったされたがした。いまなかのうこうしょうのほかに人間にんげんが、もっと日常にちじょうおもんじあっているものは「はじ」ということだった。はじみちづれなれば、いつでものうとこの階級かいきゅうきそ気持きもちすらあった。とき司権者しけんしゃは、いくさにばかりわれてたので、まだ天下てんか泰平たいへい政綱せいこうもなかったし、京都きょうとだけの市政しせいにしてからずいぶん不備ふびおおざっぱな法令ほうれいにあわせられているのであるが、士人しじんのあいだに、恥辱ちじょくおもかんがえるというふうがつよいので、百姓ひゃくしょうにも町人ちょうにんにも、おのずからその意気いきとうとばれ、社会しゃかい治安ちあんにまでおよぼしているので、法令ほうれい不完全ふかんぜんも、こういう市民しみん自治力じちりょくつぐなわれてあまりあるのであった。
吉岡一門よしおかいちもんものにしても、まだそのはじることにおいては、けっして、末期まっき人間にんげんのような厚顔こうがんたなかった。一時いちじ狼狽ろうばいと、敗色はいしょくからよみがえると、すぐはじというものがあたまへいっぱいにえた。
はじ
とばかり、小我こがてると、一同いちどう道場どうじょうあつまった。
清十郎せいじゅうろういてである。
だが、その清十郎せいじゅうろうおもては、きょうにかぎって、ひどく闘志とうしがない。ゆうべからのつかれが、いまになってまゆにただよっていた。
「――その牢人者ろうにんものは」
清十郎せいじゅうろうは、かわをかけながらたずねた。門人もんじんした二本にほん木剣ぼっけんえらんで、その一本いっぽん右手みぎてげた。
「おかえりをとうという彼奴きゃつのことばにまかせて、あの一室いっしつに、ひかえさせてあります」
と、一人ひとりにわむかっている書院脇しょいんわき小部屋こべやした。