42・宮本武蔵「水の巻」「陽なた陽かげ(7)優曇華(1)」


朗読「42水の巻6.mp3」16 MB、長さ: 約11分43秒

てゆくぞ、おれは」
 いってみたところで、うち留守るすである、だれはない。
 こればかりはさすがはなさないおおきなかたなを、又八またはちこしにさし、そしてひとりでくちびるみしめた。
おれだって、おとこだ」
 おもて暖簾口のれんぐちから大手おおでっててもけっしてしつかえないものを、平常ふだんくせである、台所口だいどころぐちからきたな草履ぞうりっかけて、ぷいとそとた。
 たが――
「さて?」
 あしがつかえたように、白々しらじら春先はるさき東風こちなかに、又八またはち目瞬まばたいていた。
 ――何処どこくか?
 世間せけんというものが途端とたん渺茫びょうぼうとしてたよりない海騒うみさいのようにおもえた。経験けいけんのある社会しゃかいといえば、郷里きょうり宮本村みやもとむらと、せきはらいくさのあった範囲はんいよりほからないのである。
「そうだ」
 又八またはちは、また、いぬのように台所口だいどころぐちをくぐってうちなかもどった。
「――かねってかなければ」
 と、がついたのである。
 おこう部屋へやはいった。
 手筥てばこだの、抽斗ひきだしだの、鏡立かがみたてだの、あたり次第しだいまわしてみた。しかし、かねはみつからなかった。あらかじめこういう悪心あくしんとどいているおんなである。又八またはちくじいて、りちらしたおんな衣裳いしょうなかへ、がっかりすわんでしまった。
 紅絹もみや、西陣にしじんや、桃山染ももやまぞめや、おこうのにおいが陽炎かげろうのようにつ。――今頃いまごろ河原かわら阿国おくにおどりの小屋こやで、藤次とうじならんでているのだろうと、又八またはちはその姿態しなはだしろさをにえがく。
妖婦ようふめ」
 しんしんとのうずいからるものは、ただいのにがおもだった。
 いまさらではあるが、痛烈つうれつに、おもわれるひとは、故郷くにもとてたままの許婚いいなずけ――おつうであった。
 かれは、おつうわすなかった。いやつほど、あのつちくさい田舎いなか自分じぶんつといってくれたひと清純せいじゅんとうとさがわかってて、あわせてびたいほどこいしくなっていた。
 だが、おつうとも、いまえんれたし、こッちからかおってゆけた義理ぎりでもない。
「それも、彼婦あいつのためだ」
 いまめてもおそいが、あのおんなに、おつうという女性じょせい故郷くににあることを正直しょうじきらしたのがわるかった。おこうは、そのはなしときは、婀娜あだくぼをたたえて、いたって無関心むかんしんいていたが、こころのうちではふか嫉妬しっとをもったらしく、やがてなにかのときに、それを痴話喧嘩ちわげんかにもちだして、なんでも縁切えんきじょうけとせまり、しかも自分じぶん露骨ろこつ女文字おんなもじまでわざと同封どうふうして、あのなにらずにいる故郷くにのおつうてて、飛脚ひきゃくしてしまったものである。
「――ああ、どうおもってるだろうなあ? おつうは……おつうは」
 くるわしく又八またはちつぶやいた。
今頃いまごろは? ……」
 いのまぶたに、おつうえる。うらめしげなおつうえる。
 故郷くに宮本村みやもとむらにも、そろそろはるおとずれていよう。きょうも、なつかしいあのかわ、あの山々やまやま
 又八またはちは、ここからさけびたくなった。そこにいるおふくろ、そこにいる縁者えんじゃたち、みんなッたかい! つちまでもぽかぽかッたかい!
二度にどと、もうあのつちめないのだ。――それもみんな、こいつのためだ」
 おこう衣裳いしょうつづらをちまけて、又八またはちは、手当てあた次第しだいいた。いては、家中いえじゅうちらかした。
 と、――さっきからおもて暖簾口のれんぐちで、おとずれているものがあった。
「ごめん。――四条しじょう吉岡家よしおかけ使つかいでござるが、若先生わかせんせいと、藤次殿とうじどのまいっておりませぬか」
らぬっ」
「いや、まいっているはずでござる。かくあそびのさきへ、こころないわざとは承知しょうちしておりますが、道場どうじょう一大事いちだいじ――吉岡家よしおかけにもかかわること――」
「やかましい」
「いや、お取次とりつぎでもよろしい。……但馬たじま宮本みやもと武蔵むさしという武者修行むしゃしゅぎょうもの道場どうじょうり、門弟もんていたちにむかえる者一人ものひとりもなく、若先生わかせんせいのおかえりをとうと、がんとして、うごかずにおりますゆえ、すぐおかえりねがいたいと」
「な、なにッ、宮本みやもと?」

優曇華うどんげ

 吉岡家よしおかけにとって、きょうはなんという悪日あくびか。
 この西洞院にしのとういん西にしつじに、四条道場しじょうどうじょうはじまって以来いらい汚辱おじょく兵法名誉へいほうめいよ家門かもんったものとして、今日きょうきも銘記めいきしなければならない――と、こころある門人もんじんたちは、沈痛ちんつうきわまるおもてをして、もういつもならそれぞれ黄昏たそがれをかえみちへちらかる時刻じこく道場どうじょうに、まだ、暗然あんぜんたる動揺どうよう無言むごんにもってれは板敷いたじきのひかえにかたまり、れは一室いっしつのうちに、すみのごとくのこっていた。一人ひとりかえらずにのこっていた。
 門前もんぜんで、かごでもとまったような物音ものおとがすると、
「おかえりか」
若先生わかせんせいか」
 人々ひとびとは、くら無言むごんをやぶって、ちかけた。
 道場どうじょう入口いりぐちで、憮然ぶぜんと、はしらによりかかってっていた一人ひとりが、
「ちがう」
 と、くびおもる。
 そのたびごとに、門人もんじんたちは、ぬまのような憂暗ゆうあんにかえった。ものは、したうちをらし、ものは、そばのものきこえるような嘆息ためいきをし、忌々いまいましげなを、夕闇ゆうやみなかに、ぎらぎらさせていた。
「どうしたのだ? いったい」
「きょうにかぎって」
「まだ若先生わかせんせい居所いどころはわからんのか」
手分てわけして方々ほうぼうさがしにはしらせているから、もうッつけ、おかえりになるだろう」
「ちいッ」
 ――そのまえを、おく部屋へやから医者いしゃが、黙々もくもく門人もんじんたちに見送みおくられて玄関げんかんった。医者いしゃかえると、そのひとたちはまた無言むごん一室いっしつ退いた。
燈火あかりをつけるのもわすれていやがる。――だれか、あかりをけんのかっ」
 と、はらだたしげに呶鳴どなものがある。自分じぶんたちの汚辱おじょくたいして、自分じぶんたちの無力むりょくおここえだった。
 道場どうじょう正面しょうめんにある「八幡大菩薩はちまんだいぼさつ」のかみだなに、ぽっと、あかしがともった。しかし、その燈明とうみょうさえ、晃々あかあかとしたひかりがつかなかった。弔火ちょうかのようにうつって、不吉ふきつかさがかかっているがするのである。
 ――そもそもが、ここ数十年来すうじゅうねんらい吉岡一門よしおかいちもんというものは、あまりに順調じゅんちょうでありすぎたのではあるまいか。ふる門人もんじんのうちでは、そうした反省はんせいもしていた。
 先代せんだい――この四条道場しじょうどうじょう開祖かいそ――吉岡拳法よしおかけんぽうという人物じんぶつは、いま清十郎せいじゅうろうやそのおとうと伝七郎でんしちろうとはちがって、たしかに、これはえらかったにちがいない。――一介いっかい染物屋そめものや職人しょくにんぎなかったが、染型そめがたをつける紺屋糊こんやのりのあつかいから太刀使たちづかいを発明はつめいして、鞍馬僧くらまそう長刀なぎなた上手じょうずいたり、八流はちりゅう剣法けんぽう研究けんきゅうしたりして、ついに、一流いちりゅうをたて、吉岡流よしおかりゅう小太刀こたちというものは、とき室町将軍むろまちしょうぐん足利家あしかがけ採用さいようするところとなり、兵法所出仕へいほうじょしゅっし一員いちいんくわえられるまでになった。
(おえらかったな、やはり)
 いま門下もんかも、なにかにつけ、追慕ついぼするのは、拳法けんぽう人間にんげんとその徳望とくぼうであった。二代目にだいめ清十郎せいじゅうろうそのおとうと伝七郎でんしちろうともちちおとらない修業しゅぎょうはさずけられていたが、同時どうじに、拳法けんぽうのこしてったすくなからぬ家産かさんと、名声めいせいをもそのままもらっていた。
(あれがわざわいだ)
 と、ものはいった。
 いま弟子でしも、清十郎せいじゅうろうとくについているのではない、拳法けんぽう徳望とくぼう吉岡流よしおかりゅう名声めいせいについているのである。吉岡よしおか修業しゅぎょうしたといえば、社会しゃかいとおりがよいからえている門生もんせいなのであった。
 足利将軍家あしかがしょうぐんけほろんだので、ろくはもう清十郎せいじゅうろうだいになってからはなかったが、たのしみをしなかった拳法けんぽう一代いちだいに、財産ざいさんらないまにできていた。それに宏壮こうそうやしきはあり、弟子でしかずなんといっても、日本一にほんいち京都きょうとにおいて、随一ずいいつといわれるほどあって、その内容ないようはともかく、外観がいかんでは、けんをつかいけんこころざ社会しゃかい風靡ふうびしている。
 ――が、時代じだいはこのおおきな白壁しらかべへいそとにおいて、へいなか人間にんげんが、ほこったり、まんったり、享楽きょうらくしたりしている数年すうねんあいだに、おもなかばにぎるような推移すいいをとげていた。
 それが、きょうの暗澹あんたんたる汚辱おじょくにぶつかり慢心まんしんがさめるとなってきたのだ。――宮本みやもと武蔵むさしという、まだいたこともない田舎者いなかものけんのために。