381・宮本武蔵「二天の巻」「下り荷駄(3)(4)」


朗読「381二天の巻37.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 32秒

さん

 やまづたいに二人ふたりはようやくげのびてたのであった。そこは秩父ちちぶから入間川いるまがわほうくだ正丸峠しょうまるとうげうえだった。ここまでるとやっと、自分じぶんたちを、
宝蔵破ほうぞうやぶりの盗賊とうぞく一類いちるい
 と、竹槍たけやり猪鉄砲ししでっぽう住民じゅうみんうしろえなくなった。
 権之助ごんのすけ伊織いおりとは、そうして自分じぶんらの安全あんぜんたが、武蔵むさし安否あんぴはわからなかった。いや、よけい不安ふあんくなった。いまになってかんがえると、武蔵むさしは、宝蔵破ほうぞうやぶりの巨魁きょかい間違まちがわれて、なわをかけられたものであろう。そしてかれが、べつなことで、自首じしゅした行為こういをも穿きちがえられて、秩父ちちぶごくかれてったに相違そういないとおもわれた。
「おじさん、武蔵野むさしのとおくにえてたよ。だけど、先生せんせいはどうしたろうな。まだ役人やくにんつかまっているかしら?」
「ウむ……。秩父ちちぶ獄舎ごくしゃおくられて、今頃いまごろはさぞ難儀なんぎっておいでだろう」
権之助ごんのすけさん。先生せんせいたすけてあげることはできないの」
「できるとも。むじつのつみだ」
「どうか、先生せんせいたすけてあげてください。このとおりおねがいします」
「この権之助ごんのすけにとっても、武蔵様むさしさまは、同様どうようなおかたたのまれなくても、きっとおたすけするかんがえでいるが――伊織いおりさん」
「え」
ちいさいおまえがいては足手あしでまといだ、もうここまでれば、武蔵野むさしの草庵そうあんとやらへ、一人ひとりでもかえれるだろう」
「あ。かえれることはかえれるけれど……」
「じゃあ。一人ひとりさきもどっておれ」
権之助ごんのすけさんは?」
「おれは秩父ちちぶまちへもどって、武蔵様むさしさまのご様子ようすをさぐり、もし、役人やくにんどもが理不尽りふじんにいつまでも先生せんせいごくにつないだまま、むじつのつみおとれようとするならば、ごくやぶっても、おすくいしてなければならない」
 そういいながら、権之助ごんのすけいだいていたれいじょうを、大地だいちについてせると、伊織いおりくからそのつえ威力いりょくっているので、いちもなくうなずいて、ここからわかれて一人武蔵野ひとりむさしの草庵そうあんかえっていることを承知しょうちした。
かしこい、かしこい」
 と、権之助ごんのすけめて、
無事ぶじ先生せんせいすくして、一緒いっしょかえまで、おとなしく、草庵そうあん留守るすをしてっているのだ」
 そうさとすと、かれは、じょう小脇こわきなおし、ふたた秩父ちちぶ方角ほうがくむかってったのであった。
 で、伊織いおりは、ひとりぼっちになった。けれどさびしいなどとはおもわない。元々もともと曠野あれのそだった自然児しぜんじである。それに三峰みつみねときおなみちもどってくのであるから、みちまよ心配しんぱいもなかった。
 ただ、かれはやたらにねむかった。三峰みつみねからやまづたいにまわってるあいだ、ゆうべはいっすいもしていなかった。くりだのきのこだの小鳥ことりにくだの、ものべているが、とうげうえるまでは、まったくねむりをわすれていたのである。
 あきをほかほかびて、だまってあるいてゆくうちに、かれよくとくもなくねむくなってしまい、ついに、坂本さかもとまでると、みちわきへはいって、くさなかへごろんとよこになってしまった。
 伊織いおりからだは、なにか、仏様ほとけさまってあるいしかげにかくれていた。やがてそのいしおもて西陽にしびのうすれてころいしまえで、だれかひそひそはなしているこえきこえた。伊織いおりは、その気配けはいにふとをさましたが、ふいにすとそのひとおどろくにちがいないとおもって、たふりをつづけていた。

よん

 一人ひとりいしに、一人ひとり切株きりかぶこしかけて、しばしやすんでいるていなのである。
 そのふたりの乗用じょうようとみえ、すこはなれたところのに、二頭にとう荷駄にだつないであった。くらには、二箇にこ漆桶うるしおけ両脇りょうわきんであって、一方いっぽうおけには、

西丸にしまる御普請ごふしん御用ごよう
   野州御漆方やしゅうおんうるしかた

 と、ふだいてある。
 その打札うちふだからかんがえをすすめれば、両名りょうめいさむらいは、江戸城えどじょう改築かいちく関係かんけいのある棟梁とうりょう組下くみしたか、漆奉行うるしぶぎょうものかとおもわれる。
 だが、伊織いおりくさかげからそっとのぞいてみたところでは、その二人ふたりともけわしい眼相がんそうそなえていて、なかなか悠長ゆうちょう役人やくにんづらなどとは、こつもちがう。
 一方いっぽうはもう五十ごじゅうえている老武士ろうぶしで、これはからだつきもにくづきも、わかものをしのぐばかり頑健がんけんなのだ。すげ一文字笠いちもんじがさ夕陽ゆうひがつよく反射はんしゃしているため、その紐下ひもしたかおは、くらくてよくえない。
 また、それにむかいあっているさむらいほうは、十七じゅうしち八歳はっさいせぎすな青年せいねんで、前髪立まえがみだちのよくあうかおに、蘇芳染すおうぞめの手拭てぬぐいほおかぶりにしてあごむすび、なにか、うなずいては、にこにこわらってせているのである。
「どうです、おやじさま漆桶うるしおけかんがえは、うまくったでございましょうが」
 その前髪まえがみがいうと、おやじさまとよばれた一文字笠いちもんじがさは、
「いや、さまもだいぶ、巧者こうしゃになったな。さすがの大蔵だいぞうも、漆桶うるしおけまではがつかなかった」
「だんだんのお仕込しこみでございますから」
「こいつ、皮肉ひにくなことをいう。もう五年ごねんったら、いまにこの大蔵だいぞうのほうが、おまえあご使つかわれるようになるかもしれぬ」
「それは当然とうぜんそうなりましょうな。わかものおさえてもび、いゆくものは、焦心あせっても焦心あせってもいてゆくばかりで」
焦心あせっているとみえるかの。さまのからても」
「おのどくですが、老先おいさきって、やろうとなさっているおもちが、いたましくえまする」
「わしのこころ観抜みぬくほど、さまもいつのにか、いいわかものになったものよな」
「どれ、まいりましょうか」
「そうだ、あしもとのれぬうちに」
縁起えんぎでもない。あしもとはまだ十分じゅうぶんあかるうございます」
「はははは、さまは血気けっきあわず、よく御幣ごへいをかつぐの」
「そこはまだ、このみちあさいので、十分じゅうぶん舞台度胸ぶたいどきょうがついていないせいでしょう。かぜおとにも、なんとなく、そわそわされてなりません」
自分じぶん行為こういを、ただの盗賊とうぞくおなじようにかんがえるからだ。天下てんかのためとおもえば、ひるなどはおこらぬものじゃ」
「いつもいわれるお言葉ことばなので、そうおもってみますものの、やはりぬすみはぬすみに相違そういございません。どこやらうしろめたいものにおそわれまする」
なんの、意気地いくじのない」
 年老としとったほう一文字笠いちもんじがさは、多少自分たしょうじぶんこころにも、そうしたおびえがあるらしく、忌々いまいましげに、自分じぶんへいうともれのものへいうともなくつぶやいて、漆桶うるしおけのくくりけてある荷鞍にぐらうつった。
 ほおかぶりの前髪まえがみも、がるくくらへとびった。そして、さきようとするうままえし、
つゆはらいは、さきましょう。なにえたら、すぐ合図あいずいたしますから、ご油断ゆだんなく」
 と、あと荷駄にだいましめた。
 みちは、武蔵野むさしのほうむかって、みなみへと、くだるばかりで、うまかしらも、かさほおかぶりも、夕陽ゆうひかげへ、しずんでった。