378・宮本武蔵「二天の巻」「八重垣紅葉(5)(6)」


朗読「378二天の巻34.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 43秒

 みちはせまい。
 武蔵むさしは、そのみちをいっぱいに、じりじりした。
 白刃しらはをならべた三名さんめいに、よこからまた二名にめいほどくわわって、相手あいては、かたをすぼめいながら、踵摺かかとずりにうしろうしろへと退がってった。
 こころもとないことには、伊織いおり姿すがたえない。武蔵むさしは、当面とうめんてきへはたんに、そなえておくにとどめて、
伊織いおりっ……」
 と、んでみた。
 ふとると、杉林すぎばやしなかに、まわされているものがある。それが伊織いおりだった。今討いまうらした一名いちめい法師ほうしが、やりひろって、伊織いおりまわしているのだった。
「ア、おのれ」
 かれすくいに――そのほう武蔵むさしそらそうとすると、
「やるなッ」
 どっと、まえ五名ごめいは、やいばをつらねて、間近まぢかんでた。
 疾風しっぷうおこして、武蔵むさしは、むかってやいばへ、自身じしんからもむかってった。怒濤どとう怒濤どとうをぶつけたのである。飛沫しぶきとなってんだ。武蔵むさしからだは、てきよりも低目ひくめに、そしてかれはまるでうずえた。
 おとにくおとほねおとまでがした。ふた声三声こえみこえ、つづけざまに絶鳴ぜつめいがそのなかじった。みぎひだりへ、朽木仆くちきたおれにたおれたもののすべてが、どうからしたぎられていた――そして武蔵むさしには、みぎ大剣だいけんと、ひだり小剣しょうけんにぎられていた。
「――わっ」
 二人ふたりほどが、のめるように、した。いかけざま、
何処どこへ」
 ひとりの後頭部こうとうぶへ、左剣さけんびせた。
 びゅっ――とくろかえが、武蔵自身むさしじしんねた。
 武蔵むさしは、左剣さけんかおへ――おもわずてた。とたんに、異様いよう金属きんぞくおとが、うしろから、かぜいて、そのかおんできた。
 ――あっ、と無意識むいしきのまにかれ右剣うけんが、それをはらった。
 いや、はらったと意識いしきしたのは、たんなる意識いしきでしかない。つばのあたりへぶんとみついた分銅ふんどうに、かれが、
(しまった!)
 と、こころにさけんだときはすでに、ガリガリガリッと、刀身とうしんほそくさりとは、なわうように、られていたのである。
武蔵むさしっ」
 かまを、手元てもとって、分銅ふんどうぐさり相手あいてかたなきつけた宍戸梅軒ししどばいけんは、そのくさりりながらいった。
「――わすれたか、おれを」
「おおっ?」
 武蔵むさしは、くわっとて、
「――鈴鹿山すずかやま梅軒ばいけんだな」
辻風典馬つじかぜてんまおとうとよ」
「あ。さては」
らずにのぼったのがてめえのうんのつきだ。はりやま地獄じごくたに亡兄あに典馬てんまんでるからはやけ」
 からみついた分銅鎖ふんどうぐさりは、武蔵むさしかたなからはなれなかった。
 梅軒ばいけんは、徐々じょじょに、そのくさり手元てもと手繰たぐめた。――それは手元てもとにあるするど利鎌とがまを、つぎほうってくる用意よういであることはいうまでもない。
 そのかまたいしては、武蔵むさしは、ひだり小剣しょうけんってそなえていたが、いまにしておもえば、もし、みぎ大刀だいとうのみだったら、すでにふせ何物なにものもなかったのである。
「ええいッ!」
 梅軒ばいけんのどふくれて、かおおなじくらいなふとさになった。こう満身まんしんから一声ひとこえしぼりしたとおもうと、くさりは、武蔵むさし右剣うけんを――からだぐるみ、だッとまえせた。
 同時どうじに、梅軒ばいけんからだも、一手繰ひとたぐくさりせて、みこんでた。

ろく

 はからずも、武蔵むさし今日きょうという今日きょう一代いちだい不覚ふかくったものではあるまいか。
 鎖鎌くさりがまという特殊とくしゅ武器ぶき。それにたいする予備知識よびちしきがないではないのに。
 かつて。
 この宍戸梅軒ししどばいけんつまが、安濃あの鍛冶小屋かじごやで、その実物じつぶつって、宍戸八重垣流ししどやえがきりゅうかたをして、武蔵むさしせたこともある。
 そのおり武蔵むさしは、
(――ああ見事みごと
 と、見恍みとれたものである。
 つまですらこのくらいにつかうとしたら良人おっと梅軒ばいけんわざはどれほどか、とおもったものである。
 同時どうじに、この滅多めった出合であわない――天下てんか使つかすくない、特殊とくしゅ武器ぶき性能せいのうおそるべきものだということも、十分じゅうぶんに、わきまえたはずであった。
 鎖鎌くさりがまについての知識ちしきは、自分じぶんでも今日きょうまで、たものとしていた。
 だが、知識ちしきというものが、いかに生死せいし大事だいじなどにぶつかった咄嗟とっさには、役立やくだたないものか。――そうづいたときすでに武蔵むさしは、鎖鎌くさりがまおそるべき性能せいのうに、完全かんぜんとらわれていた。
 しかも、梅軒ばいけんだけに、かれ全力ぜんりょくけていられなかった。――背後うしろからも、てきかんじていた。
 梅軒ばいけんは、ほこった。
 くさりをしぼりながら、にゅっとわらったようだった。武蔵むさしは、そのくさりからまれている自分じぶん大刀だいとうはなすことはっていたが、はかっていた。
 二度目にどめの、えおほッ、とわめいたこえ梅軒ばいけんくちからはしった。かれひだりにあったかまは、それととも武蔵むさしかおんでた。
「オッ!」
 武蔵むさしは、右手めてけんはなした。
 かまは、かれ頭上ずじょうをかすめ、かまえると、分銅ふんどうんできた。――分銅ふんどうれると、かまんできた。
 かまか、分銅ふんどうか。
 そのどっちにたいしても、わすことははなはだしい危険きけんだった。なぜならば、かまわした位置いちへ、ちょうど、分銅ふんどう速度そくどにあうようになるからだった。
 からだぐるみ、武蔵むさしは、えまなく位置いちうつした。それも、にとまらないほどなはやさをもってしなければならない。――また、うしろへうしろへと、まわっているほかてきたいしても、身構みがまえを必要ひつようとする。
(われ、ついに、やぶれるか)
 かれ五体ごたいは、漸次ぜんじこわばってくる。意識いしきではない、それは生理的せいりてきにである。あぶらあせながれないほど皮膚ひふ筋肉きんにくとは、本能的ほんのうてき死闘しとうするのだ。そしてかみ総身そうみ毛穴けあなも、そそけつのだった。
 かま分銅ふんどうたいしてなによりの戦法せんぽうは、たてとすることだったが、そのちかづくいとまがなかった。――また、そのかげには、てきがいた。
 ――すると何処どこかで、きゃっ、とんだ悲鳴ひめいがながれた。
「あ。伊織いおり?」
 武蔵むさしは、けなかった。はらそこで、とむらった。――そのあいだにも、ひとみまえに、かまひかり、分銅ふんどうはおどってぶ。
「くたばれ!」
 梅軒ばいけんわめきではない。
 武蔵むさしがいったのでも勿論もちろんない。――武蔵むさしのうしろで何者なにものかが、こう呶鳴どなったのであった。
武蔵むさしどの、武蔵むさしどの。なんでそれしきのてきに、手間てまどりなさる。――うしまきそれがし引受ひきうけました」
 そしてまた、おなこえで、
「くたばれっ、けだもの
 ひびき――絶叫ぜっきょう――熊笹くまざさ蹴荒けあら跫音あしおと――。何者なにものか、先刻さっきから彼方かなたにかけはなれて、武蔵むさし助太刀すけだちしていたものが、ようやく、へだてる相手あいてやぶって、武蔵むさしのうしろへそのはたらきをうつしてたらしいのであった。