39・宮本武蔵「水の巻」「陽なた陽かげ(1)(2)」


朗読「39水の巻3.mp3」14 MB、長さ: 約10分19秒

なた・かげ

 しろかかとかして、つまさきっていた。かぜされた行燈あんどんにあかりをなおし、のきのびをしているあらがみ年増女としまだった。なかなかくぎへかからないのである。さしげているしろひじに、あかりのかげ黒髪くろかみがさやさやとうごいて、二月きさらぎばんのゆるいかぜには、どこかうめかおりがしていた。
「おこうけてやろうか」
 うしろで、だれか、不意ふいにいう。
「あら、若先生わかせんせい
て」
 と、そばたのは、その若先生わかせんせい清十郎せいじゅうろうではなくて、弟子でし祇園ぎおん藤次とうじ
「これでいいのか」
「どうもおそれります」
 よもぎのりょう
 といてある行燈あんどんをながめ、すこしまがっているナとまたなおしてやる。家庭かていではおそろしく不精ぶしょうでやかましやのおとこが、色街いろまちると、案外親切あんがいしんせつで、自分じぶんまどをあけたり、敷物しきものしたり、はたらきたがるおとこというものはよくあるものだ。
「やはりここは落着おちつく」
 清十郎せいじゅうろうは、すわるとすぐいった。
「ずんと、しずかだ」
けましょうか」
 藤次とうじは、もうはたらく。
 せまいえんに、てすりがついている。てすりしたには、高瀬川たかせがわみずがせせらいでいた。三条さんじょう小橋こばしからみなみは、瑞泉院ずいせいいんのひろい境内けいだいと、くら寺町てらまちと、そして茅原かやはらだった。まだ世人せじんあたま生々なまなましい記憶きおくのある殺生関白秀次せっしょうかんぱくひでつぐとそのめかけたちをった悪逆塚あくぎゃくづかも、ついそのあたりにちかいのである。
「はやく、おんなでもぬと、しずかすぎますな。……ほか今夜こんやきゃくもないらしいのに、おこうのやつ、なにをしているのか、まだ、ちゃない」
 しないでもよい気働きばたらきがやたらにて、すわっていられないたちとみえる。ちゃでも催促さいそくこうというのか、のこのこおくかよ細廊下ほそろうかてゆくと、
「あら」
 出会であいがしらに、蒔絵まきえぼんったすずがした。少女しょうじょである。すずは、そのたもと袖口そでぐちるのだった。
「よう、朱実あけみか」
「おちゃがこぼれますよ」
ちゃなどどうだっていい。おまえのきな清十郎様せいじゅうろうさまていらっしゃるのだ。なぜはやないか」
「あら、こぼしてしまった。雑巾ぞうきんっていらっしゃい、あなたのせいですから」
「おこうは」
「お化粧つくり
「なんだ、これからか」
「でも今日きょうは、昼間ひるまがとてもいそがしかったのですもの」
昼間ひるま。――昼間ひるまだれたのか」
だれだっていいじゃありませんか、退いてくださいよ」
 朱実あけみは、部屋へやはいって、
「おいであそばせ」
 のつかないかおをしてよこをながめていた清十郎せいじゅうろうは、
「あ……おまえか、ゆうべは」
 と、てれる。
 千鳥棚ちどりだなのうえから、香盒こうごううつわへ、つばのついている陶器口とうきぐち煙管きせるをのせ、
「あの、先生せんせいは、たばこをおすいになりますか」
たばこは、ちかごろ、御禁制ごきんせいじゃないか」
「でも、みなさんがかくれておすいになりますもの」
「じゃあ、ってみようか」
「おつけしましょうね」
 青貝あおがいもようの綺麗きれい小箱こばこからたばこをつまんで、朱実あけみは、陶器煙管すえものぎせるくちしろゆびでつめ、
「どうぞ」
 と清十郎せいじゅうろう吸口すいぐちけた。
 れないつきで、
からいものだのう」
「ホホホ」
藤次とうじは、どこへった?」
「また、おかあさんの部屋へやでしょう」
「あれは、おこうきらしいな。どうも、そうらしい。藤次とうじめ、時々ときどきわしをいて、一人ひとりかよっているにちがいない」

「――な、そうだろう」
「いやなおひと。――ホ、ホ、ホ」
なにがおかしい。そなたのははも、うすうす藤次とうじおもいをせているのだろうが」
りません、そんなこと」
「そうだぞ、きっと。……ちょうどよいではないか、こいいっつい藤次とうじとおこう、わしとそなた」
 そしらぬかおをしながら、朱実あけみうえをかさねると、
「いや」
 と、朱実あけみ潔癖けっぺきはずみをあたえて、ひざから退けた。
 りのけられたは、かえって清十郎せいじゅうろうつよくさせた。ちかけた朱実あけみからだきすくめ、
「どこへくか」
「いや、いや。……はなして」
「まあ、やれ」
「おさけを。……おさけってるんですから」
さけなどは」
「おあさんにしかられます」
「おこうは、あちらで、藤次とうじなかよくはなしおるわ」
 うず朱実あけみかおかおをすりせると、ぱっとでもついたようなあつほお必死ひっしよこいて、
「――だれてえっ。おあさん! おあさん!」
 と、ほんさけんだ。
 はなした途端とたんに、朱実あけみは、たもとすずらして、小鳥ことりみたいにおくへかくれた。彼女かのじょきこんだあたりで、おおきなわらごえがすぐきこえた。
「ちッ……」
 自分じぶんうしなったように、清十郎せいじゅうろうは、さびしい、にがい、なんともいえないおももちをって、
かえる!」
 ひとりでつぶやいて、廊下ろうかた、あるきだすと、そのかおは、ぷんぷんおこっていた。
「おや、せいさま」
 つけて、あわててきとめたのはおこうであった。かみたばね、化粧けしょう先刻さっきよりはなおっていた。きとめておいて、藤次とうじ加勢かせいびたてた。
「まあ、まあ」
 やっともと座敷ざしきすわらせたのである。すぐさけはこぶ、おこう機嫌きげんをとる、藤次とうじが、朱実あけみっぱッてる。
 朱実あけみは、清十郎せいじゅうろうしずんでいるのをると、くすりと、笑靨えくぼしたけた。
せいさまへおしゃくをなさい」
「はい」
 と、銚子ちょうしをつきつける。
「これですもの、せいさま、どうしてこのは、いつまで、こうどもなんでしょう」
「そこがいいのさ、初桜ういざくらは」
 藤次とうじも、わきからった。
「だって、もう二十一にじゅういちにもなっているのに」
二十一にじゅういちか、二十一にじゅういちとはえんな、ばかに小粒こつぶだ――やっと十六じゅうろろくか、しち
 朱実あけみは、小魚こざかなみたいに、ぴちぴちした表情ひょうじょうせて、
「ほんと? 藤次とうじさん。――うれしい! わたし、いつまでも、十六じゅうろくでいたい、十六じゅうろくときに、いいことがあったから」
「どんなこと」
だれにもいえないこと。……十六じゅうろくときに」
 と、むねいて、
「わたし、何処どこくににいたか、っている? せきはらいくさのあったとし
 おこうは、不意ふいにいやなかおして、
「ぺちゃぺちゃ、くだらないおしゃべりをしていないで、三味線しゃみせんでもっておいで」
 つんとこたえずに、朱実あけみった。――そして三味線しゃみせんをかかえると、きゃくたのしませようとするよりは、自分じぶんひとりのおもでもたのしむように、

よしや、こよいは
くもらばくもれ
とてもなみだ
つき

藤次とうじさん、わかる?」
「ウム、もう一曲いっきょく
「ひとばんじゅうでも、いていたい――」

しんのやみにも
まよわぬわれ
アアさて、そさま
まよわする

「なるほど、これではたしかに、二十一にじゅういちにちがいない」