377・宮本武蔵「二天の巻」「八重垣紅葉(3)(4)」


朗読「377二天の巻33.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 28秒

さん

 蜿々うねうねと、みちやまめぐめぐって、やがて、ひがしのぞ平地へいちへかかってた。
 とたんに、伊織いおりは、
「あっ、!」
 ゆびさして武蔵むさしかえった。
「オオ」
 武蔵むさしかおも、くれないまった。
 かぎりが、くもうみである。坂東ばんどう平野へいやも、甲州こうしゅう上州じょうしゅう山々やまやまくも怒濤どとうなかにうかぶ蓬莱ほうらい島々しまじまであった。
「…………」
 伊織いおりは、くちをむすんで、姿勢しせいただして凝然ぎょうぜん日輪にちりんていた。
 あまりにおおきな感動かんどうは、少年しょうねん無口むくちにさせてしまう。伊織いおりは、なんといっていいのか、わからなかった。
 自分じぶんからだじゅうをめぐっている血液けつえきと、その太陽たいようあかいものとが、ひとつみたいながしてた。
 だから伊織いおりは、
太陽たいようだ)
 と、自分じぶんおもったが、それではまだ、かれ感動かんどうと、人間精神にんげんせいしんとが、ぴったりしなかった。
 で、かれはなおだまって、恍惚こうこつとしていたが、突然とつぜんおおきなこえでどなった。
天照皇大神あまてらすおおみかみさまだ!」
 振向ふりむいて、武蔵むさしへ、
「ね、先生せんせい。そうでしょう」
「そうだ」
 伊織いおりは、両手りょうてたかかざして、十本じっぽんゆびかしてみた。そして、またどなった。
「お日様ひさまも、おれのも、おないろだ」
 そので、伊織いおりは、拍手かしわでった。そしておがみながら、こころのなかで、じっと、
 ――さるにはおやがある。
 ――おれにはない
 ――さるには大神祖おおみおやがない
 ――おれにはある!
 と、おもって、よろこびにちあふれてた。なみだがながれかけてた。
 そのなみだうずきが、唐突とうとつに、伊織いおりあしうごかしはじめた。伊織いおりみみには、ゆうべの岩戸いわと神楽かぐらが、くも彼方むこうきこえているのである。
「――タラン、タン、タン、タン。――どどん、どん……」
 ささひろって、した。
 神楽拍子かぐらびょうしあしみ、ながし、そして、きのうおぼえたばかりの神楽歌かぐらうたうたった。

あずさゆみ
はるるごとに
すめかみ
とよのあそびに
あわんとぞおもう
あわんとぞおもう――

 がつくと、武蔵むさしはもう彼方あなたあるいている。伊織いおりは、あわててした。
 みちはまた、樹林じゅりんのあいだへはいってく、――もう参道さんどうちかいのではあるまいか。樹々きぎ姿すがたにおのずから統一とういつがある。
 おおきなはみな、あつぼったいこけをかぶっていた。こけには、しろはながたかっている。五百年ごひゃくねん千年せんねんきてたかとおもうと、伊織いおりは、にもお辞儀じぎをしたくなった。
 あしもとはだんだん熊笹くまざさせばめられてる。つたもみじが、ひとみいつけた。ふかなかはまだ暁闇ぎょうあんであった。仰向あおむいても、あさひかりは、すこししかられなかった。
 ――と、ふいに二人ふたりんでいる大地だいちれたようながした。そうおもった瞬間しゅんかん、ずどんッ! はげしい音響おんきょうだった。
「あっ」
 伊織いおりは、みみおさえて、熊笹くまざさなかした。とたんに、うすい弾煙たまけむりのながれた樹陰じゅいんで、ぎゃッ――と、もの断末だんまつげる刹那せつなの――あの不気味ぶきみなさけびこえきこえた。

よん

伊織いおりつな」
 熊笹くまざさなかくびんでいる伊織いおりへ、武蔵むさしは、すぎ樹陰じゅいんから、そういった。
「――まれても、つではないぞ」
「…………」
 伊織いおりは、返事へんじもしなかった。
 煙硝えんしょうくさいけむりは、うすいきりのように、伊織いおりえてった。――その彼方かなた武蔵むさしよこにある、また、みちくて、みち後方うしろ――すべてのものかげには、やりか、やいばかが、ひそんでいた。
「……?」
 物陰ものかげからうかがっているものたちからると、瞬間しゅんかんに、武蔵むさしのすがたが、何処どこったかと、戸惑とまどいをおぼえているらしかった。――そして、鉄砲てっぽう効果こうかをも、たしかめているのであろう。ガサともさせず、しばらくうかがっていた。
 いま――ぎゃッといったすごいうめきこえが、武蔵むさしあたえた手応てごたえかともおもったが、その武蔵むさしのいたあたりに、武蔵むさし姿すがたたおれていないし、それもかれらの出足であしをためらわせていたにちがいない。
 鉄砲てっぽうおとともに、熊笹くまざさなかに、くまみたいに、しりだけしてじっとしている伊織いおり姿すがたは、だれにもえた。――伊織いおりはちょうど、八方はっぽうと、やいばとの、なかかれていた。
「…………」
 つでないぞ――と何処どこからかいわれたようながしたが、せまってくるようなこわさと、鼓膜こまくがガンとしたあと一瞬いっしゅんの、あまりにもとしたしずかさに、つい、そうっとくびもたげてみると、すぐそばおおきなすぎ樹陰じゅいんに、大蛇おろちにも太刀たちが、ギラとえた。
 われをわすれて、
「せッ、先生せんせいっ。――たれかそこに、かくれてるぞ!」
 と、伊織いおり絶叫ぜっきょうしてしまった。
 そして、きるなり、ぱっと無性むしょうそうとすると、
「この餓鬼がきっ」
 と、かれやいばが、そこのかげからおどってて、悪鬼あっきのように伊織いおりうえへ、りかぶった。
 その横顔よこがおへ、ぐさっと、一本いっぽん小柄こづかった。武蔵むさしが、はこんですくうにいとまがなく、げたものであることはいうまでもない。
「――うっ、く、くそっ」
 やりした法師ほうしである。武蔵むさしはそのやり一方いっぽうっつかんでいた。しかし、みぎ片手かたてはなお、今小柄いまこづかはなっただけで、完全かんぜんけて、つぎそなえていた。
 およそどれほどてきかずか、亭々ていていたるみきさえぎられて、それの明瞭めいりょうでないのが、かれをして、軽々かるがるしくうごかせない原因げんいんだった。
 ――するとまたも、どこかで、
「ぐわっ」
 と、いしでも頬張ほおばったようなうめきがした。
 同時どうじおもいがけないほうで、武蔵むさしとは関係かんけいなく、相手あいてなかから裏切うらぎりでもおこったのか、すさまじい格闘かくとうはじまった様子ようすなのである。
「はて?」
 武蔵むさしが、それへひとみらした咄嗟とっさねらましていたもう一名いちめい法師ほうしは、やりもろともいきおいよくかれむかって、驀進ばくしんしてた。
「――おっ」
 武蔵むさしは、両脇りょうわきやりをつかんだ。たがちがいに、やりやりをもって、かれからだはさんだ二人ふたり法師ほうしは、わめって、味方みかたへ、
「かかれッ」
なにしてる!」
 と、叱咤しったした。
 その呶号どごうよりたかく、
何者なにものだっ。何者なにものがこの武蔵むさしたんとはするのか。名乗なのれ。――名乗なのらずば、みなてきるぞっ。この神域しんいきけがすはおそれあるが、かばねむぞ」
 と、いった。
 つかんでいた二本にほんやりまわすと、法師ほうし二人ふたりともばされた。武蔵むさしびかかって、ちにその一人ひとりせ、ひるがえして、さらに、きつれてくる三名さんめい白刃しらはむかえた。