375・宮本武蔵「二天の巻」「魔の眷属(3)(4)(5)」


朗読「375二天の巻31.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 35秒

さん

 寝起ねおきのせいもあろうが、藤次とうじは、まだあかにごっていた。
 その土間どま水瓶みずがめると、ってって、柄杓ひしゃくからがぶがぶと、酔醒よいざめをんでいる。
 おこうは、床几しょうぎへ、片手かたてをついて、からだしゃにして振向ふりむきながら、
「いくらまつりだって、おさけ程々ほどほどにしたがいい。――生命いのちあぶないのもらず、よくそとで、刃物はものにつまずかなかったね」
なに
油断ゆだんをおしでないということさ」
なにかあったのか」
武蔵むさしが、このまつりているのを、おまえ、っておいでかえ」
「え。武蔵むさしが」
「ああ」
武蔵むさしとは、あの宮本武蔵みやもとむさしか」
「そうさ。きのうから、別当べっとう観音院かんのんいんとまっているんだよ」
「ほ、ほんとか?」
 水瓶みずがめいっぱいのみず酔醒よいざめにびたよりも、武蔵むさし二字ふたじは、藤次とうじかおをいちどにましていた。
「そいつあ大変たいへんだ。おこう、てめえもみせていないがいいぞ。野郎やろうが、やまりるまでは」
「じゃあおまえは、武蔵むさしいて、かくれているかえ」
「また、和田峠わだとうげまいを、やるまでもねえだろう」
卑怯ひきょうだね」
 おこうは、せせらわらって、
和田峠わだとうげでもそうだが、武蔵むさしとおまえは、京都きょうとで、吉岡よしおかとのいきさつ以来いらいうらみのかさなっている相手あいてじゃないか。おんなのわたしでさえ、あいつのために、うしくくられて、れた小屋こやはらわれたとき口惜くやしさは、わすれてはいないよ」
「だが……あのときは、手下てした大勢おおぜいいたが」
 藤次とうじは、自分じぶんっていた。かれは、一乗寺下いちじょうじさがまつ人数にんずうのうちにはくわわらなかったが、そのあと武蔵むさしなみは、吉岡よしおか残党ざんとうものからもいてもいたし――和田峠わだとうげでは、直接ちょくせつ体験たいけんもしていたし――到底とうていかれたいして、勝目かちめかんがえられなかった。
「だからさ」
 おこうは、った。
「――おまえ一人ひとりでは無理むりだろうが、このやまには、武蔵むさしにふかい遺恨いこんのあるひとが、もう一人ひとりいるだろうじゃないか」
「……?」
 そういわれて、藤次とうじおもしたのである。彼女かのじょのいうそのひとというのは、やま総務所そうむしょ高雲寺こううんじ平等坊びょうどうぼう寺侍てらざむらい――総務所そうむしょ宝蔵番ほうぞうばんつとめている宍戸梅軒ししどばいけんのことをいったものにちがいない。
 ここに、茶店ちゃみせたせてもらったのも、その梅軒ばいけん世話せわからであった。
 和田峠わだとうげわれて、たびすえ、ここの秩父ちちぶで、梅軒ばいけんったのがえんであった。
 あとになってだんだんはなしあってみると、その梅軒ばいけんは、以前いぜん伊勢鈴鹿山いせすずかやま安濃郷あのごうんでいて、ひところはおおくの野武士のぶし配下はいかにもち、戦国せんごくのみだれにじょうじて野稼のかせぎをはたらいていたが、そのいくさもなくなったので、伊賀いが山奥やまおくで、鎌鍛冶かまかじとなったり、百姓ひゃくしょうけたりしていたが、領主りょうしゅ藤堂家とうどうけ藩政はんせい統一とういつされてくるにつれ、そういう存在そんざいもゆるされなくなったので、つい時代じだい遺物いぶつたる野武士のぶし集団しゅうだん解散かいさんして、ひとり江戸えどへとこころざしてたが――その江戸えどにもない真向まむきなくちがあるが――と三峰みつみね縁故えんこのあるもの紹介しょうかいで、数年前すうねんまえから、総務所そうむしょ宝蔵番ほうぞうばんやとわれたものだった。
 ここよりもっとおく武甲ぶこう深山しんざんには、まだまだ、野武士以上のぶしいじょう殺伐さつばつ未開みかい人間にんげんが、武器ぶきをもって棲息せいそくしているというので――ようするにかれは、どくをもってどくせいするため――宝蔵番ほうぞうばんには真向まむきな人物じんぶつとして、かかえられたのである。

よん

 宝蔵ほうぞうには、社寺しゃじ宝物たからものばかりでなく、寄附者きふしゃ浄財じょうざいが、現金げんきんである。
 この山中さんちゅう、それはつねに、やまもの襲撃しゅうげきに、おびやかされていた。
 その宝蔵ほうぞう番犬ばんけんとして、宍戸梅軒ししどばいけんは、じつってつけな人物じんぶつちがいなかった。
 野武士のぶしやまものなどの、習性しゅうせいとか、襲撃法しゅうげきほうとか、そういうことにもつうじているし、もっと重大じゅうだい資格しかくとしては、かれは、宍戸八重垣流ししどやえがきりゅう鎖鎌くさりがま工夫者くふうしゃであり、鎖鎌くさりがま使つかわせては、天下無敵てんかむてき達人たつじんといわれている。
 前身ぜんしん前身ぜんしんでなかったら、しかるべき主君しゅくんもとれる人間にんげんだった。けれど、かれ血統けっとうあまりにぐろい。かれをわけたあにも、辻風典馬つじかぜてんまといって、伊吹山いぶきやまから野洲川地方やすがわちほうへわたって、生涯しょうがいなまぐさいなか跳梁ちょうりょうした野盗やとう頭目とうもくであった。
 その辻風典馬つじかぜてんまは、もう十年じゅうねん以前いぜんになるが、武蔵むさしがまだ「たけぞう」といっていたころ――ちょうどせきはら乱後らんご――伊吹山いぶきやま裾野すそので、武蔵むさし木剣ぼっけんのためにいておわったものであった。
 宍戸梅軒ししどばいけんは、自分じぶんたちの没落ぼつらく原因げんいんが、時代じだい推移すいいかんがえるよりも、そのあにが、ケチのつきはじめとかんがえていた。
 で、武蔵たけぞうを、かれは、うらみのむねへ、りつけていた。
 そのあと
 梅軒ばいけん武蔵むさしとは、伊勢路いせじたび途中とちゅう安濃あの山家やまやはからずも出会であった。かれは、武蔵むさし必殺ひっさつわなにかけたつもりで、寝首ねくびねらった。
 だが、武蔵むさしは、死地しちをのがれて、姿すがたくらましてしまった。――それ以来いらい梅軒ばいけんは、武蔵むさし姿すがたを、ときがなかったのである。
 ――おこうは、かれから幾度いくどとなくそのはなしいていた。同時どうじに、自分じぶんたちのうえかれらした。そうして梅軒ばいけんとの親密しんみつくするために、武蔵むさしへのうらみを、よけいにつよかたった。そんなとき
いまに。――なが生涯しょうがいのうちには、きっと)
 と梅軒ばいけんは、あのを、しわのなかにすごひそめて、つぶやくのがつねだった。
 そうした人間にんげんのいるこのやま。――武蔵むさしにとっては、おそらく、これ以上いじょうあぶない地上ちじょうはない呪咀じゅそやまへ、きのう伊織いおりれて、のぼってたのであった。
 おこうは、みせなかから、その姿すがたをチラとて、おやと見送みおくったが、まつり雑沓ざっとう見失みうしなってしまった。
 で、藤次とうじはかろうとしたが、藤次とうじんであるいてばかりいる。けれど、気懸きがかりでならないので、よいすきに、別当べっとう玄関げんかんうかがっていると、ちょうど、武蔵むさし伊織いおりが、神楽殿かぐらでんほうった。
 いよいよ、武蔵むさしにちがいない。
 彼女かのじょは、総務所そうむしょって、梅軒ばいけんした。――梅軒ばいけんは、いぬってた。そして、武蔵むさしが、観音院かんのんいんかえってくまで、背後うしろいて見届みとどけていたわけであった。
「……ムム。そうか」
 藤次とうじは、それをいて、ようやくちから心地ここちがした。梅軒ばいけんがぶつかるなら――と、やや勝目かちめかんがえられてた。三峰みつみね奉納試合ほうのうじあいに、梅軒ばいけん八重垣流やえがきりゅう鎖鎌くさりがまつくして坂東ばんどう剣術者けんじゅつしゃをほとんど総薙そうなぎにほうむったおととしの記憶きおくなどをおもいうかべていた。
「……そうか。じゃあ、梅軒ばいけんさまのみみへもそのことはれてあるのだな」
あとで、御用ごようがすんだら、ここへるといっていましたが」
しめあわせにか」
もとよりでしょうね」
「だが、相手あいて武蔵むさしだ。こんどこそ、よほどうまくやらねえと……」
 どうぶるいとともに、おもわずおおきなこえたのである。おこうは、がついて、うすぐらい土間どま片隅かたすみかえった。そこの床几しょうぎにはこもをかぶった在郷ざいごう若者わかものが、さっきからいびきをかいてよくねむっていた。
っ……」
 おこうに、いわれて、
「ア。だれかいたのか……?」
 藤次とうじは、自分じぶんくちおさえた。

「……だれだ?」

「おきゃくだとさ」
 おこうは、にかけなかった。
 だが、藤次とうじは、かおをしかめて、
おこして、しちまえ。――それにもう、宍戸様ししどさまころだろう」
 と、いった。
 それにしたことはない。おこう小女こおんなにいいふくめた。
 小女こおんなは、すみ床几しょうぎって、若者わかものいびきをゆりおこした。そして、もうみせめるのだからってくれと、無愛想ぶあいそにいった。
「わあ、よくねむった!」
 びをして、若者わかもの土間どまった。たびごしらえや、なまりからて、近郷きんごう百姓ひゃくしょうとはおもわれない。なにしろ、きるなり、ひとりでにこにこして、まるっこいをしばたたき、はちれそうなわか肉体にくたいをくるくるうごかし、またたくまに、こもかさち、つえをかかえ、たびぶろしきをくびいて、
「どうも、お邪魔じゃまさん」
 と、お辞儀じぎして、そとしてった。
「お茶代ちゃだいいてったのかい。へんなやつだね」
 おこうは、小女こおんな振向ふりむいて、
床几しょうぎを、たたんでおしまい」
 と、いいつけた。
 そして彼女かのじょも、藤次とうじも、葭簀よしずいたり、みせものかたづけはじめた。
 そこへ、のっそりと、こうしのような黒犬くろいぬがはいってた。梅軒ばいけん姿すがたは、そのあとからであった。
「お、おしで」
「どうぞ、おくへ」
 梅軒ばいけんだまって、草履ぞうりぐ。
 黒犬くろいぬは、そこらにちているものを、あさあるくのにせわしない。
 荒壁あらかべやぶびさしだが、板縁いたえんけて、はなれている。そこのひと燈火あかりがつく。梅軒ばいけんすわるとすぐ、
「……さきほど、神楽堂かぐらどうまえで、武蔵むさしれの子供こどもらした言葉ことばれば、明日あしたは、おくいんのぼるつもりらしい。それからさきに、たしかめておこうと、そっと観音院かんのんいんってさぐってたのでおそくなった」
 と、いった。
「じゃあ、武蔵むさしはあしたのあさおくいんへ……」
 とおこう藤次とうじいきをのんで、ひさしごしに、大岳おおだけくろかげを、星空ほしぞらた。
 尋常一様じんじょういちようなことで、武蔵むさしてないことは、藤次以上とうじいじょう梅軒ばいけんわきまえていた。
 宝蔵番ほうぞうばんのうちには、かれのほかに屈強くっきょう番僧ばんそう二人ふたりいる。おなじく、吉岡よしおか残党ざんとうで、この神領じんりょうちいさな道場どうじょうて、部落ぶらくわかもの稽古けいこなどをつけているおとこもある。なお糾合きゅうごうすれば、伊賀いがから随身ずいしんして野武士のぶしで、いま転業てんぎょうしているものなど、十名以上じゅうめいいじょうはすぐりあつめられよう。
 藤次とうじは、手馴てだれの鉄砲てっぽうつがよいし、自分じぶんは、いつもの鎖鎌くさりがま用意よういしてている。――ほか二人ふたり番僧ばんそうやりってもうさきたはずである。なお、出来できるだけ味方みかたりあつめ、夜明よあまえに、大岳おおたけへゆく途中とちゅう小猿沢こざるさわ谷川橋たにがわばしで――われわれをあわ手筈てはずになっているから、万々ばんばん、これで遺漏いろうはあるまいと、宍戸梅軒ししどばいけんはいうのだった。
 藤次とうじは、おどろいて、
「へえ、もうそんな手廻てまわしがついているので?」
 と、うたがわしいをした。
 梅軒ばいけんは、苦笑くしょうした。
 梅軒ばいけんをただの寺僧じそう見馴みなれているから意外いがいとするのであろうが、前身ぜんしん辻風典馬つじかぜてんま弟黄平おとうとこうへいとしてみれば、これくらいな早仕事はやしごとは、ねむりをさました野猪のじしが、山萩やまはぎ一叢ひとむらに、かぜおこしたほどにもりないことだった。