371・宮本武蔵「二天の巻」「もののあわれ(3)(4)」


朗読「371二天の巻27.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 53秒

さん

 武蔵むさしは、それをて、
伊織いおり。その白骨はっこつを、ここへってい」
 いちど、らずににはれたが、伊織いおりは、もうになれないかおして、
先生せんせい、どうするんです」
ひとまないところけてあげるのだ」
「だって、ひとつやふたつじゃありませんよ」
はし修繕つくろいが出来できあいだ仕事しごとにはちょうどよい。あるだけひろあつめて――」
 と、河原かわらまわし、
「あの龍胆りんどうはなのあたりへけておきなさい」
くわがないのに」
「そのがたなれ」
「はい」
 伊織いおりはまずあなった。
 そして、ひろあつめたやじりかぶと古金こがねも、白骨はっこつ一緒いっしょに、みなおわって、
「これでようございますか」
「ム。いしをのせておけ。それでよい。――よい供養くようになった」
先生せんせい、このへん合戦かっせんのあったのは、何日頃いつごろのことなんでしょ」
わすれたか。おまえはほんんでいるはずだがな」
わすれました」
太平記たいへいきなかにある、元弘げんこう三年さんねん正平七年しょうへいしちねん両度りょうど合戦かっせん――新田義貞にったよしさだ義宗よしとも義興よしおきなどの一族いちぞくと、足利尊氏あしかがたかうじ大軍たいぐんとが、しのぎをけずうた小手指こてさしはらというのは、このあたりだ」
「あ、小手指こてさしはら合戦かっせんのあったところか、そんなら何度なんども、先生せんせいはなしいているからっています」
「では」
 と、日頃ひごろ伊織いおり勉学力べんがくりょくためすように、武蔵むさしは、
「そのおり宗良むねなが親王しんのうが。――あずまほうひさしくはべりて、ひたすら武士もののふみちにたずさわりつつ、征東将軍せいとうしょうぐん宣旨せんじなどくだされしも、おもいのほかなるようにおぼえてはべりし――とおおせられて、おみになったうた伊織いおりおぼえておるかな」
「います」
 伊織いおりはすぐいって、そらあおさに、一羽いちわ鳥影とりかげが、ただよってゆくのをあおぎながら、
「――おもいきや、れざりしあずさゆみ身馴みなれむものとは」
 武蔵むさしは、ニコとして、
「そうだ、では。――おなころ武蔵むさしくにえて、小手指こてさしはらというところに――という詞書ことばがきじょうにある、おな親王しんのうのおうたは?」
「……?」
わすれたな」
 伊織いおりけんに、
って、って」
 と、くびった。
 そしておもすと、こんどはひとり勝手かってなふしをつけて朗詠ろうえいした。

きみのため
のため
なにかせきしからむ
すててかひある
いのちなりせば

「……でしょう。先生せんせい
意味いみは」
「わかってます」
「どう? わかってるか」
「いわなくたって、このおうたがわからなかったら、武士もののふでも日本人にほんじんでもないでしょ」
「ウム。……だが伊織いおり。それならおまえはなぜ、白骨はっこつったそのを、さもきたないように、先刻せんこくからいとっているのか」
「だって白骨はっこつは、先生せんせいだっていい気持きもちじゃないでしょ」
「この古戦場こせんじょう白骨はっこつみな宗良むねなが親王しんのうのおうたいて、親王しんのうのおうたどおりに奮戦ふんせんしてんだ人々ひとびとだった。――そうした武士ぶしたちの――土中どちゅう白骨はっこつが、にはえぬが、いまもなお、いしずえとなっていればこそ、このくにはこんなにも平和へいわに、何千年なんぜんねん豊秋とよあきまもられているのではないか」
「ア、そうですね」
「たまたまの戦乱せんらんがあっても、それはおとといの暴風雨あらしのようなもので、国土こくどそのものにはびくとも変化へんかがない。それには、今生いまいきている人々ひとびとちからおおいにあるが、土中どちゅう白骨はっこつたちのおんわすれてはむまいぞ」

よん

 武蔵むさし一語一語いちごいちごに、伊織いおりは、何度なんどもこっくりした。
「わかりました。じゃあ、いまけた白骨はっこつに、おはなげて、お辞儀じぎしてましょうか」
 武蔵むさしは、わらって、
なにも、お辞儀じぎはせんでもよい。こころのうちに、今申いまもうしたことさえきざんでおれば」
「……だけど」
 伊織いおりはやはりまなくなったらしい。秋草あきくさはなあつめていしまえげた。そしてあわせかけたが、ふとかえって、
先生せんせい
 とび、なにか、ためらいがおにいいした。
「――このつちなか白骨はっこつが、ほんとに、先生せんせいいまいったような、忠臣ちゅうしんならいいけれど、もし足利あしかが尊氏たかうじほうへいだったら、つまらないなあ。なんかあわせてやるのはしゃくにさわる――」
 この返辞へんじには、武蔵むさしきゅうした。伊織いおりは、武蔵むさし明答めいとうがないかぎりは、滅多めったてのひらをあわせない様子ようすしめして、かれかおをながめながら、そのこたえをっていた。
 ――ふと、きりぎりすのこえみみにつく。あおぐと昼間ひるまうすつきにとまった。しかし、伊織いおりあたえる返辞へんじはなかなかつからない。
 やがて、武蔵むさしはいった。
十悪五逆じゅうあくごぎゃくにも、ほとけみちではすくいがある。即心即そくしんそく菩提ぼだい――菩提ぼだいをひらけば、悪逆あくぎゃくほとけもこれをゆるたまうとある。――まして白骨はっこつとなってしまえばもう」
「じゃあ、忠臣ちゅうしん逆賊ぎゃくぞくも、ねばおなじものになるんですか」
「ちがう」
 と、きびしく、そこに句点くてんって、
「そう早合点はやがてんしてはならぬ。武士ぶしとうとぶ。けがした武士さむらいには、末世末代まっせまつだいすくいはない」
「そんならなぜ仏様ほとけさまは、悪人あくにん忠臣ちゅうしんも、おんなじみたいなことをいうんですか」
人間にんげん本性ほんしょうそのものはみな、もともと、おなものなのだ。けれど、名利みょうり慾望よくぼうがくらんで、逆徒ぎゃくととなり、乱賊らんぞくとなるもある。――それもにくまず、ほとけ即心即仏そくしんそくぶつをすすめ、菩提ぼだいをひらけよかしと、千万せんまんきょうをもってかれているが、それもこれも、きているうちのこと。――んではすくいのにすがれぬ。してはすべてくうしかない」
「ああそうか」
 わかったようなかおして、伊織いおりは、きゅうこえはずみをしていった。
「――だけど、武士さむらいは、そうじゃないでしょ。んでも、くうではないでしょう」
「どうして」
のこるもの」
「うむ!」
わるのこせばわるが、――いいのこせばいいが」
「むむ」
白骨はっこつになってもね」
「……けれど」
 と武蔵むさしは、かれ純真じゅんしん知識慾ちしきよくが、一途いちずみこんでしまうことをおそれて、それにまたいいした。
「だが、その武士さむらいにはまた、もののあわれというものがある。もののあわれをらぬ武士さむらいは、つきはなもない荒野こうやている。ただつよいのみでは、おとといのばん暴風雨あらしおなじだ。――けんけんけん、とれそれをみちとするはなおさらのこと、もののあわれ――慈悲じひこころがなくてはならぬ」
 伊織いおりはもうだまっている。
 だまって――土中どちゅう白骨はっこつはなそなえ、素直すなおをあわせていた。