370・宮本武蔵「二天の巻」「もののあわれ(1)(2)」


朗読「370二天の巻26.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 58秒

もののあわれ

いち

 こわかった。ゆうべのかぜは。
 ――あんな暴風雨あらしって、うまれてはじめてだと、武蔵むさしさえいった。
 二百十日にひゃくとおか二百二十日にひゃくはつか
 そういうもののこわさに善処ぜんしょすることは、武蔵むさしよりも細心さいしんで、よくっている伊織いおりは、ゆうべのれがってまえに、屋根やねのぼって、たけむすびつけたり、いしせたりしておいたが、その屋根やねなども、夜半よなかばされてしまって、今朝見けさみても、どこへったか、屋根やね行方ゆくえがわからない。
「アアもうほんめなくなっちゃった」
 がけはだやら、草叢くさむらやら、あちこちに、ベトベトになってらばっているほん残骸ざんがいをながめて、伊織いおりは、なにより未練みれんそうにつぶやいた。
 だが、被害ひがいは、ほんどころではない。かれ武蔵むさしいえさえ、跡形あとかたもなくひしがれて、のつけようもない有様ありさま
 それをよそに、武蔵むさしはどこへったやら、
いておけ)
 と、いってたまま、まだもどってなかった。
「――暢気のんきだなあ。稲田いなだ出水でみず見物けんぶつくなんて」
 伊織いおりは、はじめていた。そのまきは、わがいえゆか板壁いたかべである。
今夜こんやいえだった」
 と、かんがえると、けむりみてくる。出来できた。
 武蔵むさしもどらない。
 ふとると、そこらに、まだれていないくりだの、かぜたたきつけられてんでいる小鳥ことり死骸しがいなどがについた。
 朝飯あさめしに、伊織いおりは、そんなものあぶってべていた。
 午頃ひるごろ武蔵むさしかえってた。それから半刻はんときほどして、またあとから、蓑笠みのかさむら人々ひとびとがそろってた。そして、おかげはや出水しゅっすい退いたとか、病人びょうにんよろこんでいるとか、かわるがわるれいをのべした。――いつも後始末あとしまつでは自分自分じぶんじぶんのことにばかりかかって、あらそいになるのだが、今度こんどっしゃるとおり、村人むらびと一致いっちして、だれだの、かれいえだのというへだてなく、ちからあわせてやることにしたので、案外早あんがいはや被害ひがい取返とりかえしもつきそうで――などとも、なか老百姓ろうひゃくしょうが、れい繰返くりかえしていった。
「あ。そんな指図さしずをしにったのか」
 と、伊織いおりは、やっと、武蔵むさし夜明よあけにった用事ようじわかった。
 伊織いおりは、武蔵むさしのためにも、んだ小鳥ことりをむしってあぶっておいたが、
ものは、わしらがとこに、いくらでもあるで」
 と、あまものからものなにくれとなくはこんでる。
 伊織いおりきなもちもあった。
 んだとりにく不味まずかった。自分じぶんだけのかんがえて、あわててそんな死肉しにくはらふくらましてしまった伊織いおり後悔こうかいした。――自分じぶんてて、大勢おおぜいのためにかんがえれば、食物しょくもつはひとりでに、だれかがあたえてくれるのだということをおぼえた。
いえも、こんどは、つぶれぬように、わしらのってあげますでの、今夜こんやは、わしがところさっしゃい」
 と、としった百姓ひゃくしょうは、いってくれる。
 その老百姓ろうひゃくしょういえは、この近村きんそんではいちばんふるかった。ゆうべずぶれになった、肌着はだぎ着物きものかわかしてもらい、武蔵むさし伊織いおりは、そのばん老百姓ろうひゃくしょういえのおきゃくになってた。
「……おや?」
 てからのことである。
 伊織いおりは、となりねむっている、武蔵むさしほうへ、寝返ねがえりをって、小声こごえでいった。
先生せんせい
「……ウむ?」
とおくのほうで、神楽囃子かぐらばやしきこえませんか――とおくのほうで」
きこえるようでもあり、きこえないようでもあるが」
へんだな。こんな大暴風雨おおあらしあとに、神楽かぐらおときこえるなんて?」
「…………」
 寝息ねいきはするが、武蔵むさし返辞へんじはしないので、伊織いおりもいつか、ねむってしまった。

 あさになって、
先生せんせい秩父ちちぶ三峰みつみね神社じんじゃって、そうとおくないんだってね」
「ここからでは、いくらもあるまいな」
れてっておくんなさい。――おまいりに」
 なにをおもしたのか、今朝けさきゅう伊織いおりがいいしたのである。
 わけをいてみると、かれは、ゆうべの神楽かぐらおとになって、きるとすぐ、此家ここ老百姓ろうひゃくしょういてみたところ、ここからちか阿佐あさむらには、とおむかしから、阿佐あさ谷神楽やかぐらといって、ふる神楽師かぐらしいえがあり、毎月まいつき三峰神社みつみねじんじゃ月祭つきまつりには、そこのいえ調しらべをあわせて、秩父ちちぶ出張でばってゆくので、それがきこえてたのだろうという説明せつめいだった。
 音楽おんがく舞踊ぶようとの、壮大そうだいなものといえば、伊織いおりは、神楽かぐらよりしからないのである。しかも三峰神社みつみねじんじゃのそれは、日本三大神楽にほんさんだいかぐらひとつといわれるほど、古典こてんなものであるとかされたので、かれは、たてもなく、秩父ちちぶってみたくなった。
「よう、よう、先生せんせい
 と、伊織いおりあまえて、
「どうせ、まだ草庵そうあんは、五日いつか六日むいかじゃ出来できないし……」
 と、強請せがんだ。
 伊織いおりにこうあまえられると、武蔵むさしはふと、わかれている城太郎じょうたろうおもした。
 城太郎じょうたろうれていると、城太郎じょうたろうはよくあまえる。ねだったり、だだをこねたり、わがままをいって手古てこずらせたり――
 だが、伊織いおりには、滅多めったにそんなことがない。――ときにはふと武蔵むさしほうで、そのよそよそしさがさみしくなるほど、伊織いおりにはその子供こどもッぽさがない。
 城太郎じょうたろうとは、ちや、性格せいかく相違そういもあろうが、おおくは、それは武蔵むさししつけたものであった。弟子でしとのを、伊織いおりには、厳然げんぜんとつけてきたからである。――ったらかしにただれていた城太郎じょうたろう結果けっかかんがみて、伊織いおりには意識的いしきてきに、であろうとしているためだった。
 その伊織いおりが、めずらしく、あまえてねだると、武蔵むさしは、
「……ウム」
 生返辞なまへんじして、かんがえてはいたが、
「よし、れてってつかわそう」
 伊織いおり雀躍こおどりして、
天気てんきもいいし」
 と、もうおとといのばんそらへのうらみもわすてて、にわかに、この老百姓ろうひゃくしょうげて、弁当べんとう草鞋わらじをもらい、
「さあ、まいりましょう」
 と、武蔵むさしうながす。
 老百姓ろうひゃくしょうは、おかえりのころまでに、草庵そうあんなおしておきます――といっておくすし、野分のわきあとみずたまりは、まだ所々小ところどころちいさい湖水こすいつくっているが、おとといのれはうそのように、もずひくび、そらあおさは、たかみきっている。
 三峰みつみね例祭れいさいは、三日間みっかかんとある。こうまってればもう、伊織いおりとてそういそぎもしない。わぬ心配しんぱいはないからである。
 田無たなし宿しゅく草旅籠くさはたごに、そのはやとまり、翌日あしたみちも、まだ武蔵野むさしのはらだった。
 入間川いるまがわみず三倍さんばいにもなっていた。平常へいじょう土橋どばしかわなか取残とりのこされ、なんようもなさなくなっている。附近ふきん住民達じゅうみんたちは、田舟たぶねしたり、くいんだりして、両岸りょうがんからはししていた。
 そこのとおれるようになるのをっているあいだに、伊織いおりは、
「あらあら、やじりがたくさんちていら。かぶと鉢金はちがねもあるし。――先生せんせい、このへんは、戦場いくさばあとですね、屹度きっと
 出水しゅっすいあらわれた川砂かわすなりちらして、伊織いおりは、錆刀さびがたなれだの、しょうわからぬ古金ふるがねなどひろってきょうがっていたが、そのうちに、
「あ……? 人間にんげんほね
 と、をすくめた。