369・宮本武蔵「二天の巻」「忠明発狂始末(7)(8)(9)」


朗読「369二天の巻25.mp3」14 MB、長さ: 約 15分 36秒

なな

 ――自分じぶんはきょうかぎり、道場どうじょうから退こうとおもう。世間せけんからもかくす。隠居いんきょではない。山中さんちゅうって、弥五郎入道一刀斎先生やごろうにゅうどういっとうさいせんせいったみちあとをたずねるこころで、なお、晩成ばんせい大悟たいごしたい。
「これがひとつの希望のぞみ
 と、治郎右衛門忠明じろうえもんただあきは、弟子一同でしいちどうげるのだった。
 ――弟子でしなか伊藤孫兵衛いとうまごべえおいにあたるものゆえ、一子いっし忠也ただなり後見こうけんをたのむ。幕府ばくふへは、そのよしねがで、自分じぶんのことは、出家遁世しゅっけとんせいとどけておいてもらいたい。
「これがふたつのたのみである」
 といった。
 つぎに、この機会きかいに、いいわたしておくこととして、
「わしは、若輩じゃくはい佐々木殿ささきどのけたということを、そううらみにはおもわぬ。しかし、かれごと新進しんしんほかからているのに、まだ小野おの道場どうじょうから一名いちめい駿足しゅんそくておらぬということは、ふかくじる。――これというのも、わが門下もんかには、御譜代ごふだい幕士ばくしおおく、ややもすると、御威勢ごいせいについておもがり、いささかの修行しゅぎょうをもって、すぐ無敵一刀流むてきいっとうりゅうなどと誇称こしょうして、よいになっているせいとおもう」
「あいや、先生せんせい。お言葉中ことばちゅうにはござりますが、けっして、われわれとても、そのような驕慢きょうまん怠惰たいだにのみくらしているわけでは――」
 と、亀井兵助かめいひょうすけが、そのときこえふるわせて、弟子でしからいうと、
「だまれ」
 と、忠明ただあきは、かれかおにらまえてから一言ひとことあっして、
弟子でしおこたりは、おこたりである。わしはわし自身じしん慚愧ざんきして、みずかさばいておるのだ。――おらすべてのものが、驕惰きょうだだとはもうさぬ。だが、このなかには、そうしたものもおるとた。その悪風あくふう一掃いっそうして、小野おの道場どうじょうは、ただしい、若々わかわかしい、時代じだい苗床なえどことならねばならぬ。――そうせねば、忠明ただあき退いて、改革かいかくいたす意味いみもないことになろう」
 沈痛ちんつうかれ誠意せいいは、ようやく弟子でしたちの肺腑はいふとおってきた。
 弟子でしならぶものは、みなかしられて、言葉ことばみしめながら、自分じぶんたちも反省はんせいした。
浜田はまだ
 忠明ただあきが、やがていった。
 浜田寅之助はまだとらのすけは、ふいに、されて、
「はっ」
 と、かおた。
 忠明ただあきは、かれをきっとめすえていた。
 寅之助とらのすけは、そのに、さし俯向うつむいてしまった。
て!」
「はい」
て」
「は……」
寅之助とらのすけたんかっ」
 と、忠明ただあきは、こえはげました。
 三列さんれつすわっている弟子でしたちのなかから、寅之助とらのすけだけ直立ちょくりつした。かれ友達ともだち後輩こうはいたちは、忠明ただあきこころはかりかねて、しんとしていた。
寅之助とらのすけ、おぬしを、今日限きょうかぎり、破門はもんする。――将来しょうらいこころあらため、修行しゅぎょうはげみ、兵法へいほうむねにかなう人間にんげんとなったときは、また、師弟していとしてもあろう。――れっ」
「せ、先生せんせいっ。理由わけっしゃってください。拙者せっしゃには、破門はもんされるおぼえはございませぬが」
兵法へいほうみち穿きちがえているゆえに、おぼえがないとおもうのであろう。――他日たじつよく、むねててかんがえてみればわかってくる」
っしゃってください! っしゃってください! おおせなくば、寅之助とらのすけ、このせきるわけにはまいりません」
 たかぶったかおに、あおすじをふとらせて、かれはまたいいたけった。

はち

「――しからば、いおう」
 と、忠明ただあきは、やむなく、寅之助とらのすけ破門はもんをいいわたした理由りゆうを、その寅之助とらのすけたせておいたまま、一同いちどうへも、釈明しゃくめいした。
卑怯ひきょう――は武士ぶしもっとさげす行為こういである。また、兵法へいほううえでもかたいましめておる。卑怯ひきょう振舞ふるまいあるとき破門はもんしょす、というのはこの道場どうじょう鉄則てっそくであった。――しかるに、浜田寅之助はまだとらのすけは、あにたれながらいたずらにごし、しかもとう佐々木小次郎ささきこじろうには、雪辱せつじょくをなそうともせず、又八またはちとやらいう西瓜売すいかう風情ふぜいおとこかたきとつけまわし、そのもの老母ろうぼ人質ひとじちってて、この邸内ていないしこめておくなどとは――いやしくも武士ぶしのすることといえようか」
「いや、それも、小次郎こじろうをこれへおびせる手段しゅだんでいたしたのです」
 寅之助とらのすけが、躍起やっきとなって、抗弁こうべんしかけると、
「さ。それが卑怯ひきょうもうすものじゃ。小次郎こじろうたんとするなら、なぜ自身じしん小次郎こじろう住居すまいへゆくなり、はたじょうをつけて、堂々どうどうと、名乗なのりかけんか」
「……そ、それも、かんがえぬではござりませんでしたが」
かんがえる? なにをそのに、猶予ゆうよなどを! ――しゅうたのんで、佐々木ささきどのをこれへおびせ、たんとした卑劣ひれつは、おいまいったことばで自白じはくしておるではないか。――それにひきかえ、佐々木小次郎ささきこじろうなるもの態度たいど見上みあげたものだと、わしはおもう」
「…………」
「――単身たんしんわしのまえて、卑劣ひれつ弟子でしなど、相手あいてるにらぬ。弟子でし非行ひこう非行ひこうえとばかり、いどみかかった」
 弟子でし人々ひとびとみな、さては、最前さいぜんのいきさつは、そうした動機どうきからおこったことかと――うなずいた気色けしきだった。
 忠明ただあき言葉ことばをつづけ、
「しかも、ああして、真剣しんけん真剣しんけんとで、むかってみた結果けっかは、この治郎右衛門自身じろうえもんじしんなかにもあきらかに、ずべき見出みいだされた。わしはそのたいしてつつしんでまいったといった」
「…………」
寅之助とらのすけ、これでもそちは、自身じしんかえりみて、はじなき兵法者へいほうしゃおもうか」
「……おそりました」
れ――」
ります」
 寅之助とらのすけは、俯向うつむいたまま、道場どうじょうゆかを、十歩じゅっぽほど退がって、両手りょうてをつかえてすわなおした。
先生せんせいにも、御健勝ごけんしょうに」
「うむ……」
御一同ごいちどうにも」
 と、さすがに、こえくらくなって、あとはかすかに、わかれの挨拶あいさつをした。そして、悄々すごすご、どこへかった。
「――わしも、世間せけんる」
 と、忠明ただあきった。弟子でしなか嗚咽おえつがきこえた。男泣おとこなきにきだしたものもあるのである。
 愁然しゅうぜんと、うなだれっている弟子達でしたちあたまを、ながめて、
はげめよ、みな
 忠明ただあきは、最後さいごの――げんとして――師愛しあいをこめていった。
「なにをうれかなしむのか。おまえたちは、おまえたち時代じだいを、この道場どうじょうへ、溌剌はつらつむからねばならぬ。明日あしたからは謙虚けんきょになって、一層いっそうせいしてみがえよ」

きゅう

 やがて――道場どうじょうほうから住居すまいもどって、そこの客間きゃくま姿すがたせた忠明ただあきは、
失礼しつれいいたした」
 と、最前さいぜんからひかえている小次郎こじろうむかって、こう中座ちゅうざびながらしずかにすわった。
 そのかおいろには、なんの動揺どうようまれなかった。平常へいじょうかわったてんはなかった。
「さて――」
 と、忠明ただあきくちって、
門人もんじん浜田寅之助はまだとらのすけは、ただいまあちらで、破門はもんをいいわたし、向後こうごこころあらためて修行しゅぎょういたすよう、よく訓誡くんかいしておきました。――で、寅之助とらのすけ人質ひとじちかくしおいた老婆ろうばも、当然とうぜん、おかえしするかんがえであるが、其許そこもとがすぐおくださるか、それともあらためて、当方とうほうからおおくもうそうか」
 いうと、小次郎こじろうは、
満足まんぞくでござる。拙者せっしゃがすぐれてもどります」
 いまにもと、ちかけた。
「そうきまれば――なにもかもみずながして、いっこんわしていただきたい。――みつっ、みつっ」
 と、をたたいて、
さけ支度したくを」
 と、めいへいいつけた。
 さっきの真剣しんけん立合たちあいで、小次郎こじろうはありったけの精神せいしん消耗しょうもうしてしまったようながしていた。そのあとひとりでぽつねんとここにたされていた時間じかんながかったので、すぐかえりたかったが、おくしているようにおもわれてもと、こしをすえて、
「では、おもてなしにあまえようか」
 と、さかずきった。
 そして小次郎こじろうくまで、忠明ただあき眼下がんかた。こころ眼下がんかながら、くちでは、――自分じぶん今日きょうまで随分ずいぶん達人たつじんにも出会であったが、まだ貴公きこうのごときけんたいしたことはない。さすがに、一刀流いっとうりゅう小野おのおとひびいただけのものはある――などとめて、おのれの優越感ゆうえつかんを、そのうえへもっとたかめた。
 わかい、つよい、覇気満々はきまんまんだ。さけんでみても、かなわないことを、忠明ただあきからだかんじてくる。
 けれど、大人おとな忠明ただあきからかれると、自分じぶんにはかなわないとはおもいつつ、いかにもあぶないつよさ、わかさであるとおもった。
(この素質そしつを、よくみがけば、天下てんかふうはこのひとなびこう。――だが、わるくすれば、善鬼ぜんきになるおそれがある)
 そうしんで、忠明ただあきは、
弟子でしならば)
 と、その忠言ちゅうげんのどまでしかけたが、ついに、なにもいわなかった。
 そして小次郎こじろう言葉ことばには、なんでも、謙虚けんきょわらってこたえた。
 雑談ざつだんのうちに、武蔵むさしのうわさなどもた。
 ――近頃ちかごろ忠明ただあきいたこととして、北条安房守ほうじょうあわのかみ僧沢庵そうたくあん推薦すいせんで、またあらたに、宮本武蔵みやもとむさしという無名むめい一剣士いちけんしが、抜擢ばってきされて師範しはんせきくわわるかもれない――というはなしなども、かれらした。
「……ほ?」
 小次郎こじろうは、そういったきりだったが、こころやすからぬかおいろをした。
 西陽にしびて、かれが、
かえる」
 と、いいしたので、忠明ただあきは、めいのおみつにいいつけ、
「お老婆としよりをひいて、さかしたまでおおくりしてけ」
 と、いった。
 恬淡てんたんで、真直まっすぐで、柳生やぎゅうのように、政客せいかくとのまじわりなどもなく、素朴そぼく武士ぶし気質かたぎひととおって治郎右衛門忠明じろうえもんただあき姿すがたが、江戸えどからえなくなったのは、それからもなくであった。
将軍家しょうぐんけにも、直々じきじきちかづけるなのに――)
(うまくつとげれば、いくらでも出世しゅっせさきがあったものを)
 と、かれ遁世とんせい怪訝いぶかしがった世人せじんは、やがて佐々木小次郎ささきこじろうかれけたということを誇大こだいって、
小野治郎右衛門忠明おのじろうえもんただあきは、発狂はっきょうしたのだそうだ)
 と、いいつたえた。