367・宮本武蔵「二天の巻」「忠明発狂始末(3)(4)」


朗読「367二天の巻23.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 35秒

さん

 おみつ治郎右衛門じろうえもん忠明ただあきめいである。かれ一刀流いっとうりゅうでんをうけた弥五郎一刀斎やごろういっとうさいめかけをひきってそだてたのだ――とかげでいうものもある。あるいは、そうかもれないし、うそかもしれなかった。
 それはとにかく、色白いろじろあいくるしいむすめだった。
 おどろくと、そのおみつが、
伯父様おじさまが、お客様きゃくさまと、なにかおおきなこえをしっていたかとおもうと、にわっているんです。――伯父様おじさまのことですから、万一まんいちのことはないでしょうが」
 げるのを、みなまでかず、亀井かめい浜田はまだ根来ねごろ伊藤いとうなどのおもったものが、
「やっ?」
 と、いったのみで、なにうまもなく、けてった。
 道場どうじょう住居すまいとははなれていて、住居すまいにわくにはかき竹編戸たけあみど中門ちゅうもんがある。ひとへいなかでありながら、こういうふうに、むねはなれていたり、かきってあるのは、城郭生活じょうかくせいかつならわしで、すこおおきなさむらいいえとなれば、これになお、手飼てがいもの長屋ながやだのなんだのが、くわわっているのである。
「ヤ、まっている」
なにひらかない?」
 ひしめいた門人達もんじんたちちからは、もん竹編戸たけあみどやぶってしまった。そして、裏山うらやまいだいている約四百坪やくよんひゃくつぼほどの山芝やましば平庭ひらにわると、小野治郎右衛門忠明おのじろうえもんただあきは、日頃ひごろれている行平ゆきひらかたないて、青眼せいがん――というよりはやや高目たかめにひたとかまえ、かなり距離きょりいてそのむこうには、まごかたなき佐々木小次郎ささきこじろうが、物干竿ものほしざお大剣だいけんを、傲然ごうぜん頭上ずじょう振上ふりあげたまままなこきょのようにしているのだった。
 ――はっと、その有様ありさまだれ一瞬いっしゅんくらんだ。そして四百坪よんひゃくつぼからある芝庭しばにわひろさと、りつめた空気くうきは、せんでもいたように、ほか人間にんげんちかづけしめなかった。
「…………」
 あわてててはみたものの、門人もんじんたちは、とお見守みまもって、毛穴けあなをそそけてているしかなかった。
 っている双者そうしゃあいだには、だんじて、よこあいから、手出てだしをゆるさないほど、森厳しんげんなものがある。無知むち蒙昧もうまいものならそれへ、いしでもつばでもげられるかもしれないが、武士もののふいえうまれて、童学どうがくからその教養きょうようしつけられてものには――
「ああ」
 と、真剣しんけん荘厳そうごんたれ、そのせつなには愛憎あいぞうわすれて、ただ、まもるになるのだった。
 けれど、それは一瞬いっしゅんの、忘失的作用ぼうしつてきさようにすぎない。すぐ感情かんじょう全身ぜんしんをくわっとまして、
「うぬ」
「お助太刀すけだち
 とばかりさんもの小次郎こじろううしろへせまろうとした。
 すると忠明ただあきが、
るなっ!」
 と、叱咤しったした。
 こえつねとはちがう。しものようなびていた。
「……あ」
 と、した退きながらかれらはふたたび、いたずらに、手出てだしのならないかたな鯉口こいぐちにぎりしめているしかなかった。
 ――けれども、すこしでも、忠明ただあきほうに、敗色はいしょくきざしたら、みみをふさいで、四方しほうから小次郎こじろうをつつみ、一気いっきにずたずたにってしまうつもりでいるらしい――めいめいのそのまなざしであった。

よん

 治郎右衛門忠明じろうえもんただあきは、まだ壮健そうけんだった。五十四ごじゅうし五歳ごさいであろう。かみくろく、たところはなお四十代よんじゅうだいにしかえない。
 づくりであるが、こしすわりがよく、四肢ししびして、全体ぜんたい姿態したいに、すこしの硬化こうかもなく、また、小柄こがらにもえなかった。
 小次郎こじろうは、それにむかって、まだ一太刀ひとたちくだしていない。いや、くだないというべきであろう。
 だが、忠明ただあきは、かれけんさきたせてたせつなに、
(これは――)
 と、あなどがたいものをかんじ、ひそかに、をひきめながら、
善鬼ぜんき再来さいらいか!)
 とさえおもった。
 善鬼ぜんき――そうだ善鬼以来ぜんきいらい、こんなあたるべからざる覇気はきったけんにはひさしくったことがない。
 その善鬼ぜんきというのは、かれがまだ青年せいねんころ神子上典膳みこがみてんぜんといって、伊藤弥五郎一刀斎いとうやごろういっとうさいいて修行しゅぎょうあるいていた当時とうじ――おないていたこわ兄弟子あにでしだった。
 善鬼ぜんきは、桑名くわな船頭せんどうで、さしたる教養きょうようもなかったが、つよいことは天性てんせいだった。あとには、一刀斎いっとうさいでさえ、善鬼ぜんきけんを、如何いかんともすることができなかった。
 いてゆくと、善鬼ぜんきはその見下みくだして、一刀流いっとうりゅう自己じこ独創どくそうであるように誇称こしょうした。一刀斎いっとうさいは、善鬼ぜんきけんが、みがかれてくほど、社会しゃかいがいがあって、えきのない成行なりゆきをながめ、
(われ生涯しょうがいあやまりは、善鬼ぜんきにあり)
 となげいたほどだった。また、
善鬼ぜんきると、おのれのうちにあるわるいものを、みなって、おどっているものにみえる。――だから善鬼ぜんきると、自分じぶんという人間にんげんまでがいまわしくなる)
 と、述懐じゅっかいしたこともある。
 しかし、典膳てんぜんにとっては、その善鬼ぜんきがあったため、よいかがみにもなり、はげみにもなって、ついに、下総しもうさ小金こがねはらで、かれ試合しあいして、かれった。そして、一刀斎いっとうさいから、一刀流いっとうりゅう印可伝巻いんかでんかんさずけられたのであった。
 ――いま
 佐々木小次郎ささきこじろうて、かれはその善鬼ぜんきおもいだしたのである。善鬼ぜんきには、つよさはあっても、教養きょうようはなかったが、小次郎こじろうには、それへくわうるに、当世的とうせいてき鋭智えいちがあり、さむらい教養きょうようについていて、それはかれけんに、渾然こんぜんひとつのものになっている。
 それを、じっとて、
自分じぶんてきするところではない)
 と忠明ただあきはすぐいさぎよこころのうちで、おもてた。
 柳生やぎゅうたいしてだって、かれけっして卑下ひげいだいていない。いまでも但馬守宗矩たじまのかみむねのり実力じつりょくなどは、そうたかっていないかれではあるが――今日きょうという今日きょう――佐々木小次郎ささきこじろうという一介いっかい若者わかものたいして、かれ正直しょうじきに、
(おれも、そろそろ時代じだいのこされてたかな?)
 と、けんいをおぼえたのである。
 だれかのいった言葉ことばに、

先人せんじんスハヤス
後人こうじんサレザルハカタ

 と、あるが、そのを、いまほど痛切つうせつおぼえたことはない。柳生やぎゅうとならびしょうされて、一刀流いっとうりゅう全盛ぜんせい老来ろうらいやや人生じんせいやすんじているまに、社会しゃかいあとからはもう、こんな麒麟児きりんじうまれつつあったのか――と、おおきなおどろきをもって、小次郎こじろうたものであった。