365・宮本武蔵「二天の巻」「さいかち坂(3)(4)」


朗読「365二天の巻21.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 40秒

 おもしろくないことおびただしい。佐々木小次郎ささきこじろうは、不平ふへいはらふくれていた。
 ぐせがついて、近頃ちかごろてばかりいる。つきみさきれいいえだった。るといっても、るべき時刻じこくるようにしてているのではなかった。
物干竿ものほしざおくだろう」
 それをいて、仰向あおむけに、たたみへじかにころがりながら鬱勃うつぼつたるひとごとなのである。
「この名刀めいとう、このうで持主もちぬしが、五百石ごひゃっこくらぬ扶持ふちりかね、いつまでもかかゅうどちているとは」
 そういって、戛然かつぜんと、いていた物干竿ものほしざおつからし、
「ふしあなめ!」
 と、なりにちゅうはらった。そして、おおきな半円はんえんえがいたひかりはすぐ、さやうちへ、もののようにひそんでいた。
「あざやかでございますな」
 と、縁先えんさきから、岩間家いわまけ仲間ちゅうげんが――
居合いあいのお稽古けいこでございますか」
「ばかをいえ」
 小次郎こじろうは、腹這はらばいに寝返ねがえって、たたみうえちているむしからだを、つめさきで、ぽんと縁先えんさきはじばした。
「こいつが、あかりびついててうるさいから、手討てうちにしたのだ」
「ア、むしを」
 仲間ちゅうげんは、それへかおちかづけて、をまろくした。
 むしである。やわらかいはねはらもきれいにれて半分はんぶんになっていた。
寝床とこきにたのか」
「いえ……ついもうしおくれました。左様さようではございません」
「なんだ」
大工町だいくちょう使つかいのものが、手紙てがみをおいてかえってきました」
手紙てがみ……どれ」
 半瓦はんがわら弥次兵衛やじべえからであった。
 このごろ、そこにもあま関心かんしんがない。すこしうるさくなったのである。そべったまま、かれはそれをひらいた。
 ちょっと、かれ顔色かおいろがうごいてた。――昨夜ゆうべからおすぎばばの行方ゆくえれなくなったとある。そのためきょうは一日中いちにちじゅう部屋へやもの総出そうでさがし、やっと、所在しょざいれたが、自分じぶんらのおよばないところはこばれているので、ご相談申そうだんもうしあげる次第しだいともある。
 それがわかったのはれいの、懸障子かけしょうじに、小次郎こじろうがいつぞやいておいた文句もんくを、だれ捺摺なすして、こうあたらしいすみかれてあったからだという。

佐々木ささきどのへもう
又八またはち母預ははあずかもの
小野家内おのけうち浜田はまだ寅之助とらのすけなり

 ――弥次兵衛やじべえ手紙てがみにはそんなことまで細々こまごまいてあった。小次郎こじろうおわると、
「……たな」
 ひとみ天井てんじょうげながら、くちうちでいった。
 きょうまで、その小野家おのけうちから、沙汰さたのないのが物足ものたらないところであった。二名にめいのそれらしいさむらいを、そば空地あきちててとき公明正大こうめいせいだいにあそこの懸障子かけしょうじへ、自分じぶん姓名せいめい後日ごじつのため、いてたものを――と心待こころまちにおもっていたところである。
 ――たな。
 と、つぶやいたのは、その反響はんきょうがやっとみからおもわずれたこえなのだ。かれは、縁先えんさきって、夜空よぞらまわした。――くもはあるが、りそうもない。
 それからもなく。
 高輪街道たかなわかいどうから駄賃馬だちんうまって小次郎こじろう姿すがたかけられる。駄賃馬だちんうまおそく、大工町だいくちょう半瓦はんがわらいえいた。かれ弥次兵衛やじべえから委細いさいきとり、あくはらをきめて、そのはそのまま部屋へやとまったらしかった。

 以前いぜんは、神子上典膳みこがみてんぜんっていたが、せきはら戦後せんご秀忠将軍ひでただしょうぐん陣旅じんたびで、剣法講話けんぽうこうわをしたのが機縁きえんで、幕士ばくしくわえられ、江戸えど神田山かんだやま宅地たくちをもらって、柳生家やぎゅうけとならんで師範しはんれっし、せいも、小野おの治郎右衛門じろうえもん忠明ただあきとかえたのである。
 それが神田山かんだやま小野家おのけだった。神田山かんだやまからは、富士ふじがよくえるし、近年きんねん駿河衆するがしゅう移住いじゅうしてて、邸宅ていたく地割じわりがこのへんてられたので、この山一体やまいったいを、近頃ちかごろ駿河台するがだいともはじめている。
「……はて。皀莢坂さいかちざかいてたが」
 小次郎こじろうは、そこをのぼりきって、たたずんだ。
 きょうは富士ふじえない。
 がけぷちからふかたにのぞく。樹々きぎ淙々そうそうとゆく谷川たにがわのぞまれる。おちゃみずながれだった。
先生せんせい、ちょっと、さがしてきますから、ここにおちなすって」
 と、道案内みちあんないについて半瓦はんがわらわかものは、ひとりで何処どこかへけてった。
 しばらくするともどってて、
わかりました」
 とげる。
何処どこだ」
「やっぱり、いまのぼってさか途中とちゅうですぜ」
「そんな屋敷やしきがあったかな」
将軍家しょうぐんけ御指南ごしなんいていたんで、あっしゃあ、柳生様やぎゅうさまのような屋敷やしきかとばかりおもっていたら、さっき右側みぎがわえたきたな古屋敷ふるやしき土塀どべいがそうなんでさ。――あそこは以前いぜんなんとかいう馬奉行うまぶぎょうがいた屋敷やしきだとおもってたが」
「そうだろう。柳生やぎゅう一万一千五百石いちまんいっせんごひゃくこく小野家おのけはただの三百石さんびゃくこくだからの」
「そんなにちがうんで」
うではちがわないが、家柄いえがらがちがう。――柳生やぎゅうなどはそのてんでは、先祖せんぞしちろくっているようなものだ」
「ここです……」
 と、あしめてゆびさすのをながめ、
「なるほど、ここか」
 と、小次郎こじろうまって、まずその家構いえがまえをしばらくながめていた。
 馬奉行時代うまぶぎょうじだいふる土塀どべいが、さか途中とちゅうから裏山うらやまやぶへかけてめぐらしてある。地内ちないはかなりひろいらしくのないもんからおくをのぞくと、母屋おもやうら道場どうじょうらしい、いろあたらしいしのむねもみえる。
かえっていい」道案内みちあんないおとこへいって――
ばんまでに、おすぎばばの受取うけとってかえらなかったら、小次郎こじろうほねになったとおもえ――と、弥次兵衛やじべえつたえておけ」
「へい」
 おとこは、かえりながら、皀莢坂さいかちざかしたへ、りてった。
 柳生やぎゅうへは、ちかづいてっても無駄むだである。かれかして、かれ名声めいせいを、自分じぶん名声めいせいてんじようとはかっても、柳生やぎゅうは、お止流とめりゅうである。将軍家流しょうぐんけりゅうである、という口実こうじつがあるから、牢人剣士ろうにんけんしのそんなるようなことはしない。
 それにはんして、小野家おのけほうは、無禄者むろくものでも、強豪きょうごうきこたかものでも、随分ずいぶん相手あいてにとって試合しあいにもおうじるといている。どうころんでも三百石さんびゃくこくだ。柳生やぎゅう大名だいみょう剣法けんぽうとちがって、殺伐さつばつなる実戦的鍛錬じっせんてきたんれんを、ここでは目標もくひょうとしているからでもある。
 ――しかし、小野家おのけって、小野派一刀流おのはいっとうりゅう蹂躙じゅうりんしてたというものがあったというためしかない。
 世上せじょうでは、柳生家やぎゅうけを、尊敬そんけいしている。けれど、つよいのは、小野おのだとだれもいう。
 小次郎こじろうは、江戸えどて、それらの事情じじょうったときから、この皀莢坂さいかちざかもんを、
何日いつかは)
 と、ひそかにをつけていたのである。
 ――そのもんいまかれまえにあった。