360・宮本武蔵「二天の巻」「四賢一燈(3)(4)」


朗読「360二天の巻16.mp3」11 MB、長さ: 約 11分34 秒

 さて、ひさしい邂逅かいこうである。二人ふたりとも、しばらくは、見飽みあくことなく、おたがいの姿すがたをただながうばかりであった。
 しかも、場所ばしょ場所ばしょ
 武蔵むさしにとっては、なんだか、この対面たいめんともおもわれぬ心地ここちがするのだった。
「――まず、そのことども、わしからはなそうか」
 と沢庵たくあんはいう。
 そういう沢庵たくあんは、むかしながらの、まつな僧衣そういで、けっして金襴きんらんも、たまも、かざってはいないが、どこか以前いぜんかれとは、風貌ふうぼうもちがっているし、ことばのかどもまろくなっている。
 武蔵むさしが、かつての野育のそだちからあらわれて、むかしながらの一野人いちやじんでも、どこかに温厚おんこうくわえてたように、沢庵たくあんもようやく、その人間にんげんに、風格ふうかくというようなものや、禅家ぜんけふかみをそなえてたものであろう。
 もっとも、武蔵むさしとは、年齢とし十一じゅういちちがう。やがて沢庵たくあんは、四十しじゅうちかいのである。
「このまえ、おわかれしたのは、京都きょうとであったのう。――京都以来きょうといらいか。あのおり、わしははは危篤きとくで、但馬たじまかえった」
 こうかたして、
ははふくすこと一年いちねん、まもなくたびて、泉州せんしゅう南宗寺なんしゅうじせ、あとには大徳寺だいとくじへもさんじ、また、光広卿みつひろきょうなどとともに、流転るてんをよそに、歌行脚うたあんぎゃよし、茶三ちゃざんまいよし、おもわず数年すうねんくらしてたが近頃ちかごろ岸和田きしわだ城主じょうしゅ小出右京進こいでうきょうのしん下向げこう同道どうどうして、ぶらと、江戸えどひらけようを、ありのままいえば、見物けんぶつたのじゃが……」
「ほ、では、近頃ちかごろのお下向げこうでござりましたか」
右大臣家うだいじんいけ秀忠ひでただ)とは、大徳寺だいとくじでも、二度にどほどうているし、大御所おおごしょには、しばしばえっしておるが、つい江戸えどには、こんはじめて。――して、おもとには」
わたしもつい、このなつはじごろから――」
「だが、だいぶもう、関東かんとうでも、おぬしのは、有名ゆうめいなものじゃの」
 武蔵むさしはぞっと、すじにはじおぼえながら、
悪名あくめいばかり……」
 と、俯向うつむいた。
 沢庵たくあんは、そのていをしげしげながって、かれの「たけぞう」時代じだい姿すがたおもしているらしかった。
「いやなに、おぬしぐらいな年頃としごろに、はやくも、美名びめいたかいのは、むしろどうかな? ……。悪名あくめいでもかまうまい。不忠ふちゅう不義ふぎ逆徒ぎゃくと――そんな悪名あくめいでないかぎりは」
 と沢庵たくあんはいって、
「さて、つぎには、そちらの修行しゅぎょう――また、いま境遇きょうぐうなど、きたいが」
 と、した。
 武蔵むさしは、この数年すうねんのあらましをかたって、
いまもって、未熟みじゅく不覚ふかく、いつまで、しん悟入ごにゅうができたともおもわれませぬ。――あゆめばあゆむほど、みちとおふかく、なにやら、てなきやまあるいている心地ここちでございまする」
 と、述懐じゅっかいした。
「む。そうなくては」
 と、むしろ沢庵たくあんは、かれ嘆息たんそく正直しょうじきこえとして、よろこびながら、
「まだ三十さんじゅうにならぬが、みちでも、わかったなどと高言こうげんするようじゃったら、もうその人間にんげんまりよ。十年先じゅうねんさきうまれながら、野僧やそうなども、まだまだ、ぜんなどとはなしかけられると、すじがさむい。――だがふしぎと、世間せけんがこの煩悩児ぼんのうじをつかまえて、ほう聴聞ちょうもんしたいの、おしえをいたいのという。おもとなど、いかぶられていないだけに、わしよりは、素裸すはだかじゃな。法門ほうもんんでこわいのは、ひとを、ややともすると、生仏いきぼとけかのように、あがめこむことじゃよ」
 ふたりが、はなしねっしているまに、いつか、ぜん銚子ちょうしなどが、はこばれてていた。
「……おう、そうそう。安房あわどの、亭主役ていしゅやくじゃ。もう一方ひとかたきゃくをおびして、武蔵むさしどのへ、紹介ひきあわせてもらいたいの」
 と、沢庵たくあんづいていう。
 ぜんは、四客分よんきゃくぶんくばられてある。そしてここにいるのは、沢庵たくあん安房守あわのかみ武蔵むさし三名さんめいだけである。
 姿すがたえぬもう一名いちめいきゃくとはだれか?
 武蔵むさしには、もうわかっていた。しかしかれだまってひかえていた。

 沢庵たくあんにそう催促さいそくされると、安房守あわのかみは、すこしあわてたかおいろで、
「おびするかの?」
 と、ためらった。
 そして、武蔵むさしほうて、
「ちと、こちらの画策かくさくが、其許そこもと見事みごとやぶられたかたちでな――。いささか、発案者はつあんしゃのわしが、面目めんぼくのうて」
 と、意味いみありげに、わけさきにする。
 沢庵たくあんは、わらって、
やぶれたからには、いさぎよう、かぶとをぬいで、けてしまったがよろしかろう。――ほんの、座興ざきょうたくらみ、北条流ほうじょうりゅう宗家そうけじゃとて、そう権式けんしきっておるにもあたるまいて」
 と、いった。
もとより、わしのけだ」
 安房守あわのかみは、そうつぶやいたが、まだ不審ふしんないろをそのかおのこして、自分じぶんたくらみをってはなすとともに、武蔵むさしむかって、つぎのような質問しつもんをした。
「――じつは、せがれ新蔵しんぞうからも、沢庵たくあんどのからも、お身様みさま人間にんげんは、よううけたまわって、そのうえ、おむかもうしたことじゃが、失礼しつれいながら、いま御修行ごしゅぎょうがどれほどなものか、それはるよしもなし、またおにかかって、言葉ことばうえうかがうよりも、まずさきに、無言むごんのうちに拝見はいけんいたそうかと――ちょうど居合いあわせたじんしかるべきおかたゆえ、如何いかが? とはかったところ、かしこまったと、すぐみこまれて――まことは、あれなるくら廊下ろうか壁露地かべろじに、そのおかたが、かたな鯉口こいぐちって、おちしていたものでござる」
 安房守あわのかみは、いまさら、ひとためすようなことをした所為しょいを、みずかじているように、そこで、謝罪しゃざいしめして――
「……それゆえに、じつはわざと、てまえが此方こちらから、わたられい、わたられい、と幾度いくども、わないざなうつもりで、おびしたのじゃが。――それをあのとき、おもとには、どうして、うしろもどって、にわさきから、此室ここ縁側えんがわへと、おまわりになられたのか? ……それがうかがいたいものじゃて」
 と、武蔵むさしかお見入みいっていうのだった。
「…………」
 武蔵むさしは、ただくちへんに、にやにやとわらいをたたえるのみで、どうとも、その解説かいせつあたえなかった。
 そこで、沢庵たくあんがいうには、
「いや、安房あわどの。そこが軍学者ぐんがくしゃのおもとと、けん武蔵むさしどのとのじゃな」
「はて、そのとは」
「いわば、基礎きそとする兵理ひょうり学問がくもんと、しん神髄しんずいとする剣法けんぽうみちとの、かん相違そういでござりましょう。――ことわりからいえば、こうさそものは、こうなくてはならぬはずという軍学ぐんがく――。それを、肉眼にくがんにも、はだにもれぬうちに、察知さっちして、未然みぜんに、危地きちからけるけん心機しんき――」
心機しんきとは」
禅機ぜんき
「……では、沢庵たくあんどのでも、そうしたことがおわかりになるかの」
「さあ、どうだか」
なににしても、おそりました。わけて、つねものならば、なにか、殺気さっきかんじたにしても、うしなうか、または、おぼえのあるうでのほどを、そこでしょうというになろうに――あとへもどって、庭口にわぐちから木履ぼくりをはいてこれへおえになったときは、じつはこの安房あわも、むねがどきっといたしました」
「…………」
 武蔵自身むさしじしんは、当然とうぜんなことと、かれ感服かんぷくにあまりきょうもないかおつきだった。むしろ、自分じぶんあるじ目企もくろみのうらいたために、いつまでも、この座敷ざしきにはいりにくくて、かべそとたたずんでいるものどくになったので、
「どうぞ、但馬守たじまのかみさまに、おせきへおきくださるよう、これへ、おむかえをねがいまする」
 と、いった。
「ええ」
 これには、安房守あわのかみばかりか、沢庵たくあんもちょっとおどろいて、
「どうして、但馬たじまどのと、おもとわかっておるのか」
 と、たずねた。
 武蔵むさしは、但馬守たじまのかみに、上座かみざゆずるべく、せき退がりながら、
くろうはござりましたが、あのかべかげんでいた剣気けんき、またここのおかおぶれといい、但馬様たじまさまいて、余人よじんであろうとはおもわれませぬ」
 と、こたえた。