37・宮本武蔵「水の巻」「吉岡染(1)(2)」


朗読「37水の巻1.mp3」16 MB、長さ: 約11分28秒

宮本武蔵みやもとむさし
みずまき
吉川英治よしかわえいじ

吉岡染よしおかぞめ

 明日あしたれないきょうの生命いのち
 また、信長のぶながうたった――

 人間五十年にんげんごじゅうねん化転けてんのうちをくらぶれば、ゆめまぼろしのごとくなり

 そういう観念かんねんは、ものをかんがえる階級かいきゅうにも、ものをかんがえない階級かいきゅうにもあった。――いくさんで、きょう大坂おおさかまちあかりが、室町将軍むろまちしょうぐん世盛よさかりのころのようにうるわしくなっても、
(いつまたこのえることか?)
 と、人間にんげんあたまそこには、なが戦乱せんらんみこんだ人生観じんせいかんが、容易よういけきれないのであった。
 慶長十年けいちょうじゅうねん
 もうせきはらえき五年前ごねんまえおもばなしにぎない。
 家康いえやす将軍職しょうぐんしょく退き、このはる三月さんがつには二代将軍にだいしょうぐん継承けいしょうした秀忠ひでただが、御礼おんれいのため上洛じょうらくするのであろうと、洛内らくない景気立けいきだっている。
 だが、その戦後景気せんごけいきをほんとの泰平たいへいとはだれしんじないのである。江戸城えどじょう二代将軍にだいしょうぐんがすわっても、大坂城おおさかじょうにはまだ、豊臣秀頼とよとみひでより健在けんざいだった。――健在けんざいであるばかりでなく、諸侯しょこうはまだそこへも伺候しこうしているし、天下てんか浪人ろうにんれるに城壁じょうへき金力きんりょくと、そして秀吉ひでよしえた徳望とくぼうとをっている。
「いずれ、また、いくささ」
とき問題もんだいだ」
いくさから、いくさまでのあいだだぞ、このまちあかりだぞ、人間五十年にんげんごじゅうねんどころか、あしたがやみ
まねばそんか、なにをくよくよ」
「そうだ、うたってくらせ――」
 ここにも、そういうかんがえのもとに、いま世間せけんきている連中れんちゅう一組ひとくみがあった。
 西洞院にしのとういん四条しじょうつじからぞろぞろさむらいたちである。そのよこには、白壁しらかべいたながへい宏壮こうそう腕木門うでぎもんがあった。

室町家兵法所むろまちけへいほうしょ出仕しゅっし
平安へいあん    吉岡よしおか拳法けんぽう

 といた門札もんさつが、もうをよせてよくなければめないほどくろくなって、しかしいかめしさをうしなわずにかかっている。
 ちょうど、まちがつくころになると、このもんから、あふれるようにわかさむらいかえってゆく。一日いちにちも、やすみということはないようだ、木太刀きだちぜて、三本さんぼんかたなこしよこたえているのもあるし、本身ほんみやりをかついでものもある。いくさとなったら、こういう連中れんちゅうだれよりさきるのだろうとおもわれるような武辺者ぶへんしゃばかりだった。颱風たいふうたまごのように、どれをても、物騒ぶっそうつらだましいをそなえているのである。
 それが、はっ九人くにん
若先生わかせんせい若先生わかせんせい
 と、取巻とりまいて、
「ゆうべのいえは、ごめんもうむりたいものだ。なあ、諸公しょこう
「いかんわい。あのうちおんなどもは若先生わかせんせいひとりにびて、おれたちはすみにもおいてない」
「きょうは、若先生わかせんせい何者なにものであるかも、おれたちのかおも、まったくらないうちこうじゃないか」
 そのことそのこと――とばかり動揺どよめくのだった。加茂川かもがわ沿って、あかりおおまちだった。ながいあいだ、乱世らんせいかおみたいに、あとのまま雑草ざっそうにまかれていた空地あきちも、ついに地価ちかがあがって、小屋同様こやどうようあたらしい仮家かりやち、べに浅黄あさぎ暖簾のれんがかけられ、白粉おしろい下手へたった丹波女たんばおんな鼠鳴ねずみなきをしたり、大量たいりょうわれてきた阿波女郎あわじょろうが、このごろ世間せけんにあらわれはじめた三味線しゃみせんというものを、ポツン、ポツン、うたぜて、いたりなどしていた。
藤次とうじかさえ、かさを」
 色街いろまちちかくまでると、若先生わかせんせいばれているのたかい黒茶くろちゃ衣服きものもんけている吉岡清十郎よしおかせいじゅうろうが、連中れんちゅうかえりみていった。
かさ。――編笠あみがさで?」
「そうじゃ」
かさなど、おかぶりにならないでもよいではござりませぬか」
 弟子でし祇園ぎおん藤次とうじがいうと、
「いや、吉岡よしおか拳法けんぽう長男ちょうなんが、こんなところあるいているぞと、ひとりかえられるのはいやだ」

「あははは、かさなしでは、いろざとをあるかれぬとっしゃるわ。――そういうンちのようなことをいうので、とかく若先生わかせんせい女子おなごにもててこまるのじゃ」
 藤次とうじは、揶揄からかうような、また、おだてるようなことをいって、連中れんちゅう一人ひとりへ、
「おい編笠あみがさもとめてこい」
 といいつけた。
 っているものや、影絵かげえのようなぞめきの人々ひとびとと、あかりうてひとりは編笠茶屋あみがさぢゃやはしってゆく。
 そのかさると、
「こうかむれば、だれにも、わしとはわかるまいが」
 清十郎せいじゅうろうは、かおをかくして、ややおおびらにあるきだした。
 藤次とうじは、うしろから、
「これはまた伊達者だてしゃえる。若先生わかせんせい、いちだんと風流姿ふうりゅうすがたでございますぞ」
 すると、ほかのものまで、
「あれ、おんなたちがみな暖簾口のれんぐちからているわ」
 などと、幇間たいこをたたいた。
 しかし、門下達もんかたちのことばは、あながちそら世辞せじではなかった。清十郎せいじゅうろうたかくて、びている大小だいしょう綺羅きらびやかだし、とし三十前後さんじゅうぜんごおとこはなころだし、名家めいかとしてはずかしくない気品きひん実際じっさいあった。
 で――のきからのき浅黄あさぎ暖簾のれんや、がらいろ出格子でごうしのうちから、
「そこへく、おとこさま」
「おすましの編笠あみがささん」
「ちょっとおりくださいませ」
かさのうち、一目ひとめせて」
 と、かごとりが、さえずく。
 清十郎せいじゅうろうは、よけいにとりました。弟子でし祇園ぎおん藤次とうじにそそのかされて、遊里ゆうりあしれはじめたのも近頃ちかごろであるが、元来がんらいちち吉岡よしおか拳法けんぽうという有名ゆうめい人物じんぶつち、幼少ようしょうからかね不自由ふじゆうらず、世間せけんそこらず、まったく、ンちそだちに出来できているので、多分たぶんに、見栄坊みえぼうなところがある。――弟子でしたちのお幇間たいこおんなたちのそういうこえが、あまどくのように、かれこころわしていた。
 すると、一軒いっけん茶屋ちゃやから、
「あれ、四条しじょう若先生わかせんせい、いけませんよ、かおをかくしても、わかっておりますよ」
 と、おんなが、いろいこえでさけんだ。
 清十郎せいじゅうろうは、得意とくいもちをかくし、わざとおどろいたように、
藤次とうじ、どうしてあのおんなは、わしを吉岡よしおか嫡子ちゃくしっているのだろう」
 と、その格子先こうしさきただずんだ。
「はてな?」
 藤次とうじは、格子こうしのうちでわらっているしろかおと、清十郎せいじゅうろうくらべて、
諸公しょこうしからぬことなござるぞよ」
「なんじゃ、何事なにごとぞや」
 連中れんちゅうは、わざとざわめく。
 藤次とうじ遊蕩あそび気分きぶんつくるために、道化どうけぶりをして、
初心うぶじゃとばかりおもっていたら、うちの若先生わかせんせいは、どうしてすみへはおけない。――あのおんなと、とうにお馴染なじみであるらしい」
 ゆびさすと、おんなは、
「あれ、それはうそ
 清十郎せいじゅうろうも、おおげさに、
なにもうすか、わしは、このいえなどがったことはない」
 真面目まじめになって、弁解べんかいするのを、藤次とうじは、ひゃく承知しょうちしていながら、
「では、なぜ、かさかおをかくしているあなたを、四条しじょう若先生わかせんせいと、あのおんながいいあてたか、不審ふしんでは、ござりませぬか。――諸公しょこう、これが不審ふしんでないとおもわれるか」
あやしいものでござりますぞ」
 はやしたてると、
「いいえ、いいえ」
 おんなは、白粉おしろいかお格子こうしへつけて、
「もし、お弟子でしさんがた、それくらいなことがわからないでは客商売きゃくしょうばいはできませんよ」
「ほ。えらく、広言こうげんくの――。ではどこで、それがわかったか」
黒茶くろちゃのお羽織はおりは、四条しじょう道場どうじょうにかようお武家衆好ぶけしゅうごのみ。この遊里さとまで、吉岡染よしおかぞめというて、流行はやっているではございませんか」
「でも、吉岡染よしおかぞめは、だれる、若先生わかせんせいだけとはかぎらぬ」
「けれど、ごもんつおだまき」
「あ、これはいかん」
 清十郎せいじゅうろうが、自分じぶんもんているまに、格子こうしなかしろは、そのたもとをつかまえていた。