356・宮本武蔵「二天の巻」「露しとど(1)(2)」


朗読「356二天の巻12.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 03秒

つゆしとど

「――先生せんせい
 と、伊織いおりう。
 その伊織いおり背丈せたけより、秋近あきちか武蔵野むさしのくさたかかった。
「はやくい」
 武蔵むさしは、振向ふりむいて、くさなかおよいで雛鳥ひなどり跫音あしおと時々待ときどきまつ。
みちがあるんだけれど、わからなくなっちまう」
「さすがに、十郡じゅうぐんにわたるという武蔵野むさしのはらひろいな」
「どこまでくんです」
「どこか、心地ごこちのよさそうなところまで」
むんですか、ここへ」
「いいだろう」
「…………」
 伊織いおりは、いいとも、わるいともいわない。ひろさとひとしいそらあげて、
「さあ? どうだか」
あきになってみろ、これだけのそらみ、これだけのつゆつ。……おもうだにむではないか」
先生せんせいは、やっぱり、まちなかはきらいなんだな」
「いや、人中じんちゅうもおもしろいが、あのように、悪口わるくち高札こうさつ辻々つじつじてられては、なんぼ武蔵むさしあつかましゅうても、まちにはづらいではないか」
「……だから、げてたの」
「ウむ」
「くやしいな」
なにをいうか、あれしきのこと」
「だって、どこへっても、先生せんせいのことをだれもよくいわないんだもの。おいらは、くやしいや」
仕方しかたがない」
仕方しかたがなくないよ。悪口わるくちをいうやつを、みんならして、こっちから、文句もんくのあるやついと、ふだててやりたいや」
「いや、そんな、かなわぬ喧嘩けんかはするものじゃない」
「だって、先生せんせいなら、無法者むほうものたって、どんなやつむかってたって、けやしないよ」
けるな」
「どうして」
しゅうにはける。十人じゅうにん相手あいてかせば、百人ひゃくにんてきえ、百人ひゃくにんてきううちには、千人せんにんてきがかかってくる。どうして、かなうものか」
「じゃあ、一生いっしょうひとわらわれているんですか」
「わしにも、には、潔癖けっぺきがある。御先祖ごせんぞにもすまない。どうかして、わらわれる人間にんげんにはなりとうない。……だから、武蔵野むさしのつゆにそれをさがしにたのだ。どうしたら、もっとわらわれない人間にんげんになれるかと」
「いくらあるいても、こんなところに、いえはないでしょう。あれば、お百姓ひゃくしょうんでるし……また、おてらへでもって、めてもらわなければ」
「それもいいが、のあるところって、り、たけたたみ、かやいて、むのもよいぞ」
「また、法典ほうてんはらにいたときのように?」
「いや、こんどは、百姓ひゃくしょうはせぬ。毎日まいにち坐禅ざぜんでもするかな。――伊織いおり、おまえはほんめ、そしてみっしり太刀たち稽古けいこをつけてやろう」
 甲州口こうしゅうぐち立場たてば柏木かしわぎむらからへはいったのである。十二所権現じゅうしょごんげんおかから、十貫坂じっかんざかとよぶ藪坂やぶさかりてからは、ほとんど、あるいてもあるいても、おなじようなであった。夏草なつくさなみのなかに、えになるほそみちであった。
 くほどにやがて、かさせたような、まつおかがあった。武蔵むさしはそこの地相ちそうて、
伊織いおり、ここにもう」
 と、いった。
 ところ天地てんちがあり、ところ生活せいかつはじまる。とりつくるのからくらべれば、二人ふたり一庵いちあんてるのは、もっと簡素かんそだった。ちかくの農家のうかって、伊織いおり一人ひとり日雇ひやといと、おののこぎりなどの道具どうぐをやがてりてた。

 草庵そうあんとまではゆかない、ただの小屋こやでもない、みょういえが、とにかく数日すうじつあいだに、そこにった。
神代かみよいえは、こんなものでもあったろうか」
 武蔵むさしは、そとから、わがいえをながめて、ひときょうっている。
 かわたけかやいたとで出来できている。そしてはしら附近ふきん丸木まるきである。
 そのいえなかかべとか、小障子しょうしょうじとかに、ほんのわずかばかり使用しようされている反古ほごかみが、ひどく貴重きちょうえ、また、文化的ぶんかてきひかりにおいをたたえ、やはり神代かみよではありない住居じゅうきょ証拠しょうこだてている。
 しかも、朗々ろうろうと、のすだれのかげからは、伊織いおり読書どくしょこえがながれている。あきとなっても、せみこえはまださかんだったが、到底とうてい、その伊織いおりこえにはかなわない。
伊織いおり
「はいっ」
 はいっ――と返辞へんじしたときは、伊織いおりはもうかれあしもとにてひざまずいていた。
 近頃ちかごろきびしくらしたしつけである。
 以前いぜん童弟子わらべでし城太郎じょうたろうには、かれはこうしなかった。かれ振舞ふるまいたいように振舞ふるまわせ、それが、そだつさかりのものには、よいことであり、人間にんげん自然しぜんばすことだとかんがえていた。
 武蔵自身むさしじしんがそうそだてられてたからである。――だが、としともに、かれかんがかた変化へんかしてた。
 人間にんげん本来ほんらい性質せいしつなかには、ばしてもいい自然しぜんもある。だが、ばしてはならない自然しぜんもある。
 っておくと、て、ばしてはならない本質ほんしつび、ばしてもいい本質ほんしつびないものだった。
 この草庵そうあんてるので、くさってみても、びてしい植物しょくぶつびず、醜草しこぐさ邪魔じゃま灌木かんぼくは、ってもっても、はびこって仕方しかたがない。
 応仁おうにんらんこのかたなかすがたは、文字もじどおり乱麻らんまであった。信長のぶなががそれをり、秀吉ひでよしたばね、家康いえやすならしと建築けんちくにかかりかけているが、まだ、まだ、あぶないことは、附火木つけぎ火一ひひとツで、天下てんかとなさんずぶりも蒸々むしむしと、西にしにはちている。
 だが、このなが乱麻らんま世相せそうは、もう一転いってんするときだろう。野性やせい人間にんげんが、野性やせいおおきくわれる時代じだいぎた。武蔵むさしがあるいた足跡そくせき範囲はんいだけをても、将来しょうらい天下てんか徳川とくがわになろうが豊臣とよとみかえろうが、人心じんしん一致いっちしている方向ほうこうはすでにきまっている。
 それは、乱麻らんまから整理せいりへ。また、破壊はかいから建設けんせつへ。――ようするに、もとめてももとめなくても、次期じき文化ぶんかが、人心じんしんうえへひたひたとうしおげているのである。
 武蔵むさしは、ひとおもうことがある。
うまれたのが、おそかった)
 ――と。
(せめて、二十年にじゅうねんはやうまれていたら、いや十年じゅうねんでも、ったかもれない)
 ――と。
 自分じぶんうまれたときがすでに、天正十年てんしょうじゅうねん小牧こまき合戦かっせんのあったとしである。十七歳じゅうななさいには、あのせきはらであった。もう、野性やせい人間にんげんようをなす時代じだいはそのころからぎてしまったのだ。――今思いまおもえば、田舎いなかから槍一本持やりいっぽんもってて、一国一城いっこくいちじょうゆめみるなどということは、おかしいほど、時代錯誤じだいさくご田舎者いなかもの世間知せけんしらずであった。
 はやい。時勢じせい急流きゅうりゅうのようにはやい。太閤たいこう秀吉ひでよし出世しゅっせが、津々浦々つつうらうら青年せいねんひびいてときには、もう太閤秀吉たいこうひでよし踏襲とうしゅうではいけないのである。
 武蔵むさしは、伊織いおりおしえるのに、そうかんがえずにいられなかった。そのために、城太郎じょうたろうとはちがって、ことに、しつけきびしくした。つぎ時代じだいさむらいつくげねばならぬとおもった。
先生せんせい。なにか御用ごようでございますか」
野末のずえおおきなちかけた。いつものように、木剣ぼっけんれ、稽古けいこをつけてつかわそう」
「はいっ」
 伊織いおりは、二本にほん木剣ぼっけんってて、武蔵むさしまえにおき、
「おねがいいたします」
 ていねいにあたまげた。