353・宮本武蔵「二天の巻」「青い柿(1)(2)」


朗読「353二天の巻9.mp3」9 MB、長さ: 約 9分 45秒

あおかき

 二日ふつかおき、三日みっかおきに、前後四ぜんごよたびほど小次郎こじろう岡谷おかやいえ見舞みまった。
 魚市場うおいちばから、きたさかななど、なぐさめにと、とどけさせた。
 なつは、土用どようはいった。
 空地あきちくさは、いえおおかくし、かわいた往来おうらいには、のそのそかにっている江戸えどだった。
 ――武蔵出むさしでてこい。ずば、さむらいとはいわれまいが。
 と、半瓦はんがわらものてた辻々つじつじ立札たてふだも、夏草なつくさにかくされ、あるいあめたおれたり、まきぬすまれたりなどして、もうにふれるおりもなかった。
「どこぞで、めしを」
 と、小次郎こじろうは、空腹くうふくおもして、彼方此方あちこちまわした。
 きょうとちがって、奈良茶ならちゃというようないえもまだない。ただ、空地あきちくさぼこりに、葭簀よしずてて、
 どんじき
 といたはたえる。
 屯食とんじき――とはとお時代じだいにぎめしのことをったいている。屯食たむろぐいという意味いみからうまれた言葉ことばであろう。だが、ここの「どんじき」とは一体何いったいなにか。
 葭簀よしずかげからってゆくけむりくさにからみついて、いつまでもえない。ちかづいてゆくと、煮物にもののにおいがする。まさか、にぎめしるわけでもあるまいが、とにかく、物屋ものやにはちがいない。
ちゃをいっぱいくれい」
 日陰ひかげへはいると、そこのこしかけに、ひとりはさけ茶碗ちゃわん、ひとりは飯茶碗めしぢゃわんって、がつがつっている二人ふたりづれがある。
 むかいあったこしかけのはし小次郎こじろうった。
「おやじ、なにができるのか」
「めしでござります。さけもございまするが」
「どんじき――と看板かんばんいてあるが、あれはなん意味いみだな」
みなさまがおきになりますが、てまえにもわからないので」
「おぬしがいたのではないのか」
「はい、ここでおやすみなされたたび御隠居ごいんきょらしいおひとが、いてやるといって、いてくださいましたので」
「そういえば、なるほど、達筆たっぴつだな」
諸国しょこくを、御信心ごしんじんあるいているおかただそうで、木曾きそでも、よほど豪家ごうか金持かねもち御主人ごしゅじんとみえましてな、平河ひらかわ天神てんじんだの、氷川ひかわ神社じんじゃ、また神田明神かんだみょうじんなどへも、それぞれ莫大ばくだい御寄進ごきしんをして、それが、無二むにたのしみだとっしゃっている御奇特人ごきとくにんでございまする」
「ふム、なんというものか、そのじんは」
奈良井ならい大蔵だいぞうっしゃいます」
いたようだな」
「どんじき、などと、おきくださって、なんの意味いみか、つうじはしませぬが、そういう有徳うとくなおかた看板かんばんでもしておいたら、すこしは貧乏神びんぼうがみ魔除まよけになるかとおもいましてな」
 おやじは、わらった。
 小次郎こじろうは、そこにならんでいる瀬戸物鉢せとものばちをのぞき、さかなめしって、はしはえいながら、湯漬ゆづけにしてはじめた。
 まえこしかけていた二人ふたりさむらいのうち――一人ひとりはいつのにかって、葭簀よしずやぶから草原そうげんのぞいていたが、
たぞ」
 れをかえって、
浜田はまだ、あの西瓜売すいかうりじゃないか」
 といった。
 あわてて、はしをおいて、もうひとりのおとこがった。そして葭簀よしずかおならべながら、
「む、あれだ」
 と、なに物々ものものしくうなずいた。

 くさいきれの炎天えんてんを、西瓜売すいかうりは天秤てんびんかたあるいてゆく。
 それをって「どんじき」の葭簀よしずかげからった牢人ろうにんは、いきなりかたないて、天秤てんびん荷縄になわはらった。
 ――もんどりつように西瓜すいか西瓜売すいかうりがまえころんだ。
「やいっ」
 先刻さっき、どんじきのなかで、浜田はまだとかばれていたもう一名いちめい牢人ろうにんが、すぐけて、よこから西瓜売すいかうりのくびつまげた。
「おほりばたの石置場いしおきばで、このあいだまで、茶汲女ちゃくみおんなをしていたむすめを、おのれは、何処どこれてった。――いいや、空惚呆そらとぼけてもだめだ。なんじがかくしたに相違そういない」
 一人ひとりめると、一人ひとりかたな鼻先はなさききつけて、
「いえ。かせ」
「そちの住居すまいはどこだ」
 と、おどかし、
「こんなつらして、おんな誘拐かどわかすなどとは、もってのほかなやつだ」
 と、かたなひらで、西瓜売すいかうりのほおをたたいた。
 西瓜売すいかうりは、土気色つちけいろになったかおを、ただ、よこるだけだったが、すきると、憤然一方ふんぜんいっぽう牢人ろうにんきとばし、天秤てんびんひろって、もう一名いちめいほうへ、ってかかった。
「やるかっ」
 と、牢人ろうにん呶鳴どなって、
「こいつ、まんざら、ただの西瓜売すいかうりでもないぞ。浜田はまだ油断ゆだんするな」
なに多寡たかれた――」
 と、浜田はまだなにがしは、って相手あいて天秤てんびんくり、それへたたせてしまうと、西瓜売すいかうりの背中せなか天秤てんびん背負せおわせ、有合ありあなわで、棒縛ぼうしばりに、ぎりぎりきつけた。
 ――するとかれ背後うしろほうで、ねこられたようなこえともに、どさっという地響じひびきがしたので、何気なにげなくかえりみると、そのかおへ、夏草なつくさかぜがぱッとあかこまかいきりってて、きつけた。
「――やっ!」
 馬乗うまのりになっていた西瓜売すいかうりのからだうえから退いた浜田某はまだなにがしなる牢人ろうにんは、ありないことをたように、うたがいのをみはって、愕然がくぜんとさけんだ。
何者なにものだッ……な、なにものだっおのれは……」
 だが。
 まむしのように、するすると、そういうかれむねぐにせまってかたなさきは――冷然れいぜんと、こたえもしない。
 佐々木小次郎ささきこじろうなのである。
 かたなは、いうまでもなく、いつもの長刀ちょうとう物干竿ものほしざお厨子野ずしの耕介こうすけ研桶とおけふる錆垢さびあかおとして光芒こうぼうあらためて以来いらい近頃ちかごろしきりと、かわいて、をむさぼりたがっているかたなである。
「…………」
 笑而不答わらってこたえず――小次郎こじろうは、あとずさる浜田某はまだなにがしをぐいぐいいつめて夏草なつくさめぐっていたが、ふと、棒縛ぼうしばりのっていた西瓜売すいかうりが、その姿すがたるなり、さもさもびっくりしたように、
「あっ……佐々木ささき……佐々木ささき……佐々木小次郎ささきこじろうどの。たすけてくれっ」
 と、大地だいちから呶鳴どなった。
 小次郎こじろうは、見向みむきもしない。
 ただ、あわせたまま、あとあとへ、てなく退がってばかりいる浜田某はまだなにがし呼吸いきかぞえながら、ふちまでしてゆくように、かれ一退いったいすれば、かれ一進いっしんし、かれよこめぐれば、かれもさっと、よこめぐって、かたなさきからはずさずしつづけているのみだった。
 もう青白あおじろくなって浜田某はまだなにがしは、そのみみに、佐々木小次郎ささきこじろうくと、
「えっ、佐々木ささき?」
 にわかに、戸惑とまどいしし、くるくるまわったかとおもうと、ぱッと、した。
 物干竿ものほしざおは、ちゅうね、
何処どこへッ」
 と、いうやいな浜田某はまだなにがし片耳かたみみいで肩先かたさきからふかりさげてしまった。