346・宮本武蔵「二天の巻」「衆口(3)(4)」


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 佐々木小次郎ささきこじろうというものおもすと、細川忠利ほそかわただとしは、同時どうじに、宮本武蔵みやもとむさしなるものをも、自然胸しぜんむねなかおもいくらべた。
 その武蔵むさしのことは、はじめ、老臣長岡佐渡ろうしんながおかさどからいたのである。
 かつて佐渡さどが、今夜こんやのような夜伽よとぎの――君臣くんしん団欒まどいおりに、ふと、
近頃ちかごろかわったさむらいをひとり、見出みいだしてござるが――)
 と、れい法典ほうてん原開墾はらかいこんのことをはなしたのである。そして、その法典ほうてんはらからかえってつぎおりには、
しいことに、そのあと行方ゆくえ相分あいわかりませぬよしで)
 と、嘆息たんそくとも復命ふくめいした。
 だが、忠利ただとし断念だんねんしきれず、ぜひたいものだといって、
こころがけておるうちに、居所いどころれよう。佐渡さど、なおもこころがけよ)
 と、めいじておいた。
 ――で。忠利ただとしむねには、岩間角兵衛いわまかくべえから推薦すいせん佐々木小次郎ささきこじろうと、武蔵むさしとが、いつのまにか、くらべられていた。
 佐渡さどはなしけば、武蔵むさしのほうはすぐれているばかりでなく、たとえ山野さんや部落ぶらくにでも、開墾かいこんおしえ、自治じちさとらせるなど、経策きょうさくもあり、人物じんぶつはばもある。
 また、岩間角兵衛いわまかくべえにいわせれば、佐々木小次郎ささきこじろうは、名門めいもんで、ふかけんさんじ、軍法ぐんぽうつうじ、まだとしばえもわかいのに、すでに巌流がんりゅうという一派いっぱをすら自称じしょうしているとあるし、これも、にある豪傑ごうけつとはおもわれない。ことに、角兵衛以外かくべえいがいものからも、近頃ちかごろ江戸えどにおける小次郎こじろう剣名けんめいはしきりとくところであった。
 隅田河原すみだかわら小幡門下おばたもんかを、四人よにんって平然へいぜんと、かえってったということ。
 神田川かんだがわつつみでも。――また、北条新蔵ほうじょうしんぞうまでも、かえちにしたというようなことが、よくうわさにのぼるのだった。
 それにひきかえて、武蔵むさしというかない。
 数年前すうねんまえに、京都きょうと一乗寺いちじょうじで、その武蔵むさしが、吉岡一門よしおかいちもん何十名なんじゅうめい相手あいてにしてった――というようなことは一時いちじ喧伝けんでんされたが、すぐその反対説はんたいせつて、
(あのうわさは、まゆつばものだそうじゃ)
 とか、
武蔵むさしというのは、売名家ばいめいかで、派手はでにはやったが、いざとなった場合ばあいは、いちはやく、叡山えいざんげこんだというのが真相しんそうらしいて)
 とか。――そのほか、よいときにはすぐ一方いっぽうから反動説はんどうせつが、もなく、かれ剣名けんめいしてしまった。
 いずれにしろ、武蔵むさしるところには、なにかすぐ悪評あくひょうがまとっていた。――さもなければ、黙殺もくさつされて、かれという剣人けんじんなどは、剣人けんじん仲間なかまに、いるかいないか、存在そんざい程度ていどすらないほどだった。
 それに、美作国みまさかのくに山奥やまおくうまれ、もない郷士ごうしせがれでは、だれかえりみるものはなかった。尾張おわり中村なかむらから秀吉ひでよしても、まだまだなか階級かいきゅうおもんじ、血統けっとうてら風習ふうしゅうからすこしもけていなかった。
「……そうだ」
 忠利ただとしは、おもしたを、ひざって、若侍わかざむらいたちを見廻みまわしながら、武蔵むさしについて、居合いあわものたちにいてみた。
だれか――そちたちなかに、宮本武蔵みやもとむさしというものを、ぞんじておるものはないか。――なにか、うわさでもいたことはないかな?」
 するとぐ、
武蔵むさし?」
 と、かお見合みあわせて、
「つい近頃ちかごろ、その武蔵むさしは、まち辻々つじつじておりますので、だれでもだけはぞんじておりますが」
 と、若侍わかざむらいのほとんどが、みなそれをっているような口吻くちぶりだった。

「ほ。――武蔵むさしが、辻々つじつじておるとは、どうしたわけか」
 忠利ただとしは、をみはった。
ふだかれてあるのでござる」
 若侍わかざむらいのひとりがいうと、もりなにがしが、
「そのふだ文言もんごんを、他人ひとうつしてゆくので、拙者せっしゃも、おもしろいこととおもうて、懐紙かいしうつしてまいりました。――若殿わかとのみあげてみましょうか」
「ウム、んでみい」
「これで――」
 と、森某もりぼうは、反故ほごひろげて、

いつぞや、おらしゅうに、うしろをせて、げた、
宮本武蔵みやもとむさしへ、ものいうべい。

 みなクスクスわらった。
 忠利ただとしは、真面目まじめだった。
「それきりか」
「いや」
 と、森某もりぼうは、

――本位田ほんいでんのおばばも、かたきたずねてあるぞ。おらしゅうにも、兄弟きょうだいぶんの意趣いしゅがあるぞ。ずば、さむらいとはいわれまいが。

 と、みつづけた。そして、
「これは、半瓦弥次兵衛はんがわらやじべえというものの、乾児こぶんどもがいて、各所かくしょてたものだそうで。――いかにも文言もんごんが、無法者むほうものらしいと、まちものは、うれしがっておりまする」
 と説明せつめいした。
 忠利ただとしは、ほろにがかおをした。自分じぶんむねっていた武蔵むさしとは、それではあまりにちがうからである。そのつばは、武蔵むさしびているばかりでなく、自分じぶん暗愚あんぐあざけられている気持きもちがしたのであろう。
「ふム……武蔵むさしとはそんな人物じんぶつか」
 忠利ただとしが、なおいちまつあきらめかねたものをもって、そういうと、ほとんどが、異口同音いくどうおんに、
「どうも、つまらぬおとこのようでござります」
 といったり、
「いや、なによりも、よほどな卑怯者ひきょうものとみえまする。素町人すちょうにんなどに、こうまで、はじかしめられても、いッこう姿すがたせんそうですから」
 と、一同いちどうがいった。
 やがて、自鳴鐘とけいると、若侍わかざむらいたちはみな退座たいざした。忠利ただとしは、ねむってからも、かんがえていた。
 けれどもかれかんがえは、あながちしゅう一致いっちしていなかった。むしろ、
「おもしろいやつ」
 と、おもった。武蔵むさし立場たちばになって、複雑ふくざつかんがえてみることに、きょうがあった。
 あくるあさ、いつもの経書けいしょあいだで、受講じゅこうをうけて、ふちると、にわに、長岡佐渡ながおかさど姿すがたえた。
佐渡さど佐渡さど
 と、びかけると、老人ろうじんいて、あさ礼儀れいぎを、庭先にわさきから慇懃いんぎんにした。
「そのあとも、こころがけておるか」
 忠利ただとしのいいかたが、佐渡さどには、唐突とうとつきこえたとみえて、ただをみはっていると、
武蔵むさしのことじゃよ」
 と、忠利ただとしがつけくわえた。
「――はっ」
 と、佐渡さどあたまげると、
「とにかく、つけたら、いちど屋敷やしき召連めしつれい。人間にんげんたい」
 ――おな
 いつもの弓場ゆばへ、忠利ただとしが、ひるすこしぎ、姿すがたをあらわすと、的場まとばひかところに、かれのすがたをっていた岩間角兵衛いわまかくべえが、それとなく、小次郎こじろう推挙すいきょをまた、繰返くりかえした。
 忠利ただとしは、ゆみりながら、うなずいて、
わすれておった。――ウム、いつでもよい、いちどその佐々木小次郎ささきこじろうとやらを、この弓場ゆみばまで召連めしつれてい。――かかえるか、かかえぬかは、たうえのことじゃが」
 と、いった。