345・宮本武蔵「二天の巻」「衆口(1)(2)」


朗読「345二天の巻1.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 03秒

宮本武蔵みやもとむさし
二天にてんまき
吉川英治よしかわえいじ

衆口しゅうこう

 学問がくもん朝飯前あさめしまえに。昼間ひるまは、はん時務じむたり、ときには江戸城えどじょうめたり、そのあいだに、武芸ぶげい稽古けいこ随時ずいじにやるとして――よるはおおかた若侍相手わかざむらいあいてに、くつろいでいる忠利ただとしであった。
「どうだな、なに近頃ちかごろ、おもしろいはなしかぬか」
 忠利ただとしがこういいときとくにあらためて、無礼講ぶれいこうとゆるされなくても、家臣かしんたちは、
「されば、こういうことがございますが……」
 と、いろいろな話題わだいすのをきっかけに、――礼儀れいぎこそみださないが――家長かちょうかこ一家族いっかぞくのように、むつうのがれいであった。
 主従しゅじゅうという段階だんかいがあるので、忠利ただとしも、公務こうむ場合ばあいは、峻厳しゅんげん容態ようだいをくずさないが、晩飯ばんめしあとなど帷衣かたびら一重ひとえになって、宿直とのいものたちの世間せけんばなしでもこうとするときは、自分じぶんくつろぎたいし、ひとをもくつろがせたいのであった。
 それに、忠利自身ただとしじしんが、まだ多分たぶんに、一箇いっこ若侍わかざむらいといったふうだから、かれらとひざんで、かれらのいいたいことをいているのがきであった。きばかりでなく、世情せじょうるうえには、むしろ、あさ経書けいしょよりも、きた学問がくもんになった。
岡谷おかや
「はあ」
「そちのやりは、だいぶ上達あがったそうだな」
がりました」
自分じぶんもうすやつがあるか」
ひとがみなもうすのに、自分じぶんだけ謙遜けんそんしているのは、かえってうそをつくことになりますから」
「ははは。しぶとい自慢じまんよの。――どれほどななみになったか、いずれみてやるぞ」
「――で、はやく、御合戦ごかっせんればよいと、いのっておりますが、なかなかまいりませぬ」
まいらずに、仕合しあわせであろう」
若殿わかとのにはまだ、近頃ちかごろのはやりうたを、ごぞんじありませぬな」
「なんといううたか」
「――鑓仕やりし鑓仕やりしおおけれど、岡谷五郎次おかやごろうじいちやり
「うそをもうせ」
 忠利ただとしわらう。
 一同いちどうわらう。
「あれは――名古谷山三なごやさんぞういちやり――といううたであろうが」
「ヤ。ごぞんじで」
「それくらい」
 と、忠利ただとしは、もっと、下情げじょうつうをいってみせようとしたが、つつしんだ。そして、
「――ここでは、平常へいじょう稽古けいこに、やりいたしておるものと、太刀たちいたしておるものと、いずれがおおくあるな?」
 とたずねた。
 ちょうど、七名ななめいいたが、
拙者せっしゃやり
 と、こたえたものが、五人ごにんで、
太刀たち
 といったものは、七名ななめいのうち、二人ふたりしかなかった。
 で、忠利ただとしかさねて、
「なぜ、やりならうか」
 と、そのものたちへたずねたところ、
戦場せんじょうにおいて、太刀たちよりもがござれば――」
 と、一致いっちしたこたえだった。
「では、太刀たちものは?」
 と、くと、
戦場せんじょうにおいても、平時へいじにおいても、がござれば」
 と、太刀たち稽古けいこしているという二人ふたりこたえた。

 やりか、太刀たちか。
 これは、いつも、議論ぎろんになることだったが、やりものにいわせると、
戦場せんじょうでは、平常へいじょう小技こわざ稽古けいこなどは、やくにはたぬ。――武器ぶきは、からだあつかえる程度ていどに、ながいほどである。ことに、やりには、なぐの、三益さんえきがある。やりはまたたたかいにそんじても、太刀たちかわりがあるが、太刀たちは、れたりがったりしたら、それりではないか」
 太刀たちものは、
「いや、われわれは戦場せんじょうだけを武士ぶしはたら場所ばしょかんがえていない。常住坐臥じょうじゅうざが武士ぶし太刀たちをたましいとしてっているので、太刀たち習練しゅうれんするのは、つねたましいいでいることになるゆえ、戦場せんじょう多少たしょう不利ふりはあっても、太刀たち本位ほんいとして武芸ぶげいみがくべきだと心得こころえる。――その武道ぶどう奥義おうぎたっしさえすれば、太刀たちって練磨れんまも、やりればやりつうじ、鉄砲てっぽうてば鉄砲てっぽうつうじ――けっして未熟みじゅく不覚ふかくはあるまいかとぞんじます。――一芸万法いちげいまんほうつうずとかもうしますれば」
 これは、てしない問題もんだいになりそうである。忠利ただとしは、どっちへも加担かたんせずにいていたが、太刀たちがあると、力説りきせつしていた松下まつした舞之允まいのすけという若侍わかざむらいへ、
「――舞之允まいのすけいまのは、どうもそち自身じしん口吻こうふんでないところがあるぞ。だれ請売うけうりだ」
 と、いった。
 舞之允まいのすけは、になって、
「いえ、てまえの持論じろんで」
 と、いったが、
「だめじゃ。わかる」
 と、忠利ただとし観破かんぱされて、
じつは――いつぞや、岩間角兵衛いわまかくべえどのの、伊皿子いざらこのお住居すまいまねかれたせつおな議論ぎろんがわき、居合いあわせた佐々木小次郎ささきこじろうもうす、そのいえかかゅうどからいたことばでございます。――しかし、てまえの平常へいじょう主張しゅちょう一致いっちしておりますので、てまえのかんがえとして、もうげた次第しだいで、ほかいつわるつもりはございません」
 と、白状はくじょうした。
「それみい」
 忠利ただとしは、苦笑くしょうしつつ、むねのうちで、ふと、藩務はんむひとツをおもしていた。
 それは、かねて、岩間角兵衛いわまかくべえから推挙すいきょしている――佐々木小次郎ささきこじろうという人間にんげん――を召抱めしかかえるか、いなか、きおいてあるまま、いまだに宿題しゅくだいとして、めかねていたことである。
 推薦者すいせんしゃ角兵衛かくべえは、
(まだ若年じゃくねんゆえ、二百石にひゃくこくくだかれれば)
 といっているが、問題もんだい禄高ろくだかではない。
 一人ひとりさむらいやしなうことが、いかに重大じゅうだいか。こと新参しんざんれる場合ばあいにおいては、なおさらであることは、呉々くれぐれも、ちち細川三斎ほそかわさんさいからも、かれおしえられていた。
 第一だいいちが、人物じんぶつである。第二だいにが、である。いくらしい人間にんげんでも、細川家ほそかわけには、細川家ほそかわけ今日きょうきずげた譜代ふだいがいる。
 一藩いちはんを、石垣いしがきたとえていうならば、いくら巨大きょだいいしでも、良質りょうしついしでも、すでにかきとなってたたまれているいしいしとのあいだに、めるいしでなければ使つかえないのである。均等きんとうのとれないものは、いかに、それ一箇いっこが、得難えがたしつでも、藩屏はんぺい一石いっせきとするわけにはゆかない。
 天下てんかには、可惜あたら、そういうかどれないために、折角せっかく偉材名石いざいめいせきでありながら、うもれているいしかぎりなくある。
 ことに――せきはら乱後らんごには、たくさんあるはずであった。けれど、手頃てごろでどこのかきへでもはまるようないしは、かかえる大名だいみょうがそのおおいのをあまし、これはとおもいしには、圭角けいかくがありぎたり、妥協だきょうがなくて、自己じこかきへはすぐってられないのがおおかった。
 そういうてんで、小次郎こじろうが、若年者じゃくねんしゃであってしかもすぐれているということは――細川家ほそかわけ仕官しかんするには無難ぶなん資格しかくであった。
 まだ、いしとまではならない、わか未成品みせいひんだからである。