344・宮本武蔵「空の巻」「街の雑草(3)(4)(5)」


朗読「344空の巻85.mp3」13 MB、長さ: 約 14分 26秒

 一応いちおう辞退じたいしたが、
なに。――まあよい」
 武蔵むさしけつけない。
 で、好意こういあまえて、北条新蔵ほうじょうしんぞうかれれられて、耕介こうすけいえた。
ひさしくあるかれなかったから、ご大儀たいぎではないか」
なにか、こう、地面じめんたかえるようで、あしすのに、よろめきまする」
無理むりもない。平河天神ひらかわてんじんまではだいぶある。町駕まちかごたら、あなただけおりなさい」
 武蔵むさしがいうと、
もうおくれましたが、小幡兵学所おばたへいがくしょへはかえりませぬ」
「では、何処どちらまで」
「……面目めんぼくないもいたしますが」
 と、新蔵しんぞうはさし俯向うつむいて、
「――一時いちじちちもとかえるといたしまする」
 と、いった。そして、
牛込うしごめです」
 と、さきげた。
 武蔵むさしは、町駕まちかごつけ、って新蔵しんぞうだけをせた。駕屋かごやは、武蔵むさしへもすすめたが、武蔵むさしろうともしない。新蔵しんぞうかごのわきにいてあるいてくのだった。
「あ。かごせやがった」
「こっちをたぞ」
さわぐな、まだはやい」
 かご武蔵むさしが、外濠そとぼりみぎまがると、町角まちかどあらわれた一団いちだん無法者むほうものが、各々おのおのすそをまくり、うでをたくしげて、そのあとから、いてった。
 半瓦はんがわら部屋へやものである。今日きょう遺恨いこんばらしをっていたぞというかおつき。どのもどの武蔵むさしかごなかびつきそうにぴかぴかしている。
 うしふちまでときである。かごぼう小石こいしひとつカンとかえった。それとともに、遠巻とおまきにひろがった無法者むほうものれが、
「やいっ、て」
野郎やろうて」
て」
て」
 すでにまえからおびえていたかごかきは、かくとるや、かごをおいて、よこびにした。その姿すがたえて、またふたみっいしつぶてが武蔵むさしむかってんでた。
 卑怯ひきょうられることは無念むねんなように、北条新蔵ほうじょうしんぞうは、かたなかかえてすぐ、かごからし、
てとは、わしか」
 と、って、応戦おうせん身構みがまえをった。武蔵むさしは、かれかばいながら、
用事ようじをいえ」
 いしんでほうへいった。
 無法者むほうものたちは、浅瀬あさせさぐるように、だんだんめてたが、
れたことっ」
 たたかえすようにいって、
「その野郎やろうわたせばよし、小生意気こなまいきなまねをすると、てめえもとも生命いのちがねえぞ」
 味方みかた言葉ことば気勢きせいがって、無法者むほうものたちはそこで、どっと殺気さっきみなぎらした。
 ――といって、だれあって、さき大刀だんびらかざしてりこんでものもない。また、武蔵むさし眼光がんこうがそうさせなかったともいえる。いずれにしろかなり距離きょりをおいて一方いっぽうえ、武蔵むさし新蔵しんぞうは、それをながめすえて沈黙ちんもくしていた。
半瓦はんがわらとかもう無法者むほうもの親分おやぶんはそのなかにおるのか。おるならばそれへてもらいたい」
 ときならぬ時分じぶんに、武蔵むさしがこういった。すると、無法者むほうものなかからも、
親分おやぶんはいねえが、部屋へや留守るす年寄役としよりやくでおれがあずかっている。おれは、念仏太左衛門ねんぶつたざえもんという老爺おやじだが、なに挨拶あいさつがあるならいてやろう」
 と、白帷子しろかたびらて、えりおおきな数珠ずずけている無法者むほうもの老人ろうじんが、まえすすんで名乗なのった。

 武蔵むさしはいった。
其方そちたちは、なんで、この北条新蔵ほうじょうしんぞうどのに、うらみをいだくのか」
 すると、念仏太左衛門ねんぶつたざえもんは、一同いちどうかわってかたをそびやかした。
部屋へや兄弟分きょうだいぶん二人ふたりまでたたられて、だまっていちゃあ、無法者むほうものかおにさわる」
「だが、北条ほうしょうどのにいわせれば、そのまえに、こも十郎じゅうろう稚児ちご小六ころくとやらは、佐々木小次郎ささきこじろう手伝てつどうて、小幡家おばたけ門人衆もんじんしゅうを、幾名いくめいも、闇打やみうちにしているというではないか」
「それはそれ、これはこれ、おれたちの兄弟分きょうだいぶんがやられたときは、おれたちの仕返しかえしせねば、無法者むほうものめしって、おとこでござるとあるいていられねえのだ」
「なるほど」
 武蔵むさしは、肯定こうていあたえておいてからまた、いった。
「それは、おまえたち世界せかいではそうだろう。だが、さむらい世界せかいちがう。――さむらいなかでは、いわれのない意趣いしゅたぬ。逆恨さかうらみやまたうらみは、ゆるされぬ。――さむらいとうとび、名分めいぶんのために、復讐ふくしゅうはゆるされているが、遺恨いこんのための遺恨いこんばらしは、女々めめしい振舞ふるまいとわらうのだ。――たとえば、其方そちたちのような」
なに、おれたちの振舞ふるまいが、女々めめしいと?」
佐々木小次郎ささきこじろうさきて、さむらいとして、名乗なのるならわかっておるが、手伝てつだにんさわてを、相手あいてるわけにはゆかぬ」
さむらいさむらいなんとでもぬかせ。おれたちは無法者むほうものだ。無法者むほうものかおてにゃあならぬ」
ひとツの世間せけんに、さむらい仕方しかた無法者むほうもの仕方しかたふたツがとうとすれば、ここばかりではない、まちのいたるところに、まみれがしょうじる。――これをさばくものは奉行所ぶぎょうしょしかない。念仏ねんぶつとやら」
「なんだ」
奉行所ぶぎょうしょまいろう。そして是非ぜひさばいていただこう」
「くそでもくらえ。奉行所ぶぎょうしょくくれえなら、初手しょてからこんな手間てまはかけねえ」
「おぬし、年齢とし幾歳いくつだ」
なに
「よい年齢としして、わかものさきち、このんで無益むえき人死ひとじにをようとするか」
「つべこべと、理窟りくつはおけ。こうえても、太左衛門たざえもん喧嘩けんか年齢としっていねえぞ」
 ――太左衛門たざえもん脇差わきざしいたのをると、うしろにひしめいていた無法者むほうものたちも、一度いちどこえをあげて、
「やッちまえ」
老爺おやじたすな」
 と、かかってた。
 武蔵むさしは、太左衛門たざえもん脇差わきざしをかわして、太左衛門たざえもん白髪首しらがくびのどこかをつかむと、大股おおまた十歩じゅっぽほどってて、外濠そとぼりなかへそのからだほうりこんでしまった。
 そしてまた、無法者むほうものれへると、その乱争らんそうあいだから、北条新蔵ほうじょうしんぞうからだひろって、横抱よこだきにさらり、かれらが、おどろさわぐまに、はやくも、うしふちはらして、九段坂くだんざか中腹ちゅうふくあたりを、そのとおかげは、ちいさくなって、がっていた。

 うしふちとか、九段坂くだんさかとかいったのも、勿論もちろんずっと後世こうせい地名ちめいである。当時とうじまだそのへんは、蒼古そうことした樹林じゅりんがけや、外濠そとぼりふちへあつまる渓流けいりゅうだの、あお沼水ぬまみずたたえた湿地しっちられるだけで、地名ちめいとしても、こおろぎばしとか、木坂きざかとか、きわめて土俗的どぞくてき称呼しょうこがあるにぎなかったであろう。
 ――にとられている無法者むほうものれをててさか中腹ちゅうふくまで、けてると、
「もうよい。北条ほうじょうどの。さあ、げよう」
 武蔵むさしはいって、新蔵しんぞうからだを、小脇こわきからろし、ためらうかれうながして、なおも彼方かなたへいそぎした。
 無法者むほうものたちは、はじめて、
「あっ、げたっ――」
 と、われにかえって、にわかにまた、気勢きせいあらため、
がすな」
 と、さかしたから、がりながら、口々くちぐちののしった。
弱虫よわむし
くちほどもねえぞ」
はじれ」
「それでもさむらいか」
「よくも、部屋へやがしらの太左衛門たざえもんを、おほりたたっこんだな。かえせ、野郎やろう
「もう武蔵むさしも、相手あいてだ」
「ふたりとも、てっ」
卑怯者ひきょうものめ」
恥知はじしらずめ」
ざむらいめ」
たねえか」
 ――そのほか、あらゆる罵詈讒謗ばりざんぼうがうしろからんでたが、武蔵むさし見向みむきもせず、また、北条新蔵ほうじょうしんぞうにも、あしめることをゆるさず、
げるにくはない」
 と、つぶやいてし、
げるのも、なかなからくではない」
 などとわらいながら、あしのかぎり、かれらの追撃ついげきからのがれてしまった。
 りかえってみると、もうってかげえない。病後びょうご新蔵しんぞうは、けただけでも、蒼白まっさおになって、いきっていた。
「おつかれだな」
「い……いえ……さほどでもありませぬが」
かれらの罵詈ばりあまんじて、残念ざんねんだとっしゃるのか」
「…………」
「はははは。落着おちついてからわかってます。げるのも、ときには、心地ここちよいものだということが。……そこにながれがある。みずくちでもおすすぎなさい。そしてお宿やどまでおおくりしよう」
 赤城あかぎもりはもうえていた。北条新蔵ほうじょうしんぞうかえいえは、赤城明神あかぎみょうじんしただという。
「ぜひ、屋敷やしきって、拙者せっしゃちちにもっていただきたい」
 と、新蔵しんぞうはいったが、武蔵むさしは、赤土あかつち土塀どべいえるだんもとで、
「また、おにかかるおりもあろう。ご養生ようじょうなさい」
 と、いって、そこでわかれてった。
 ――こういうこともあって、武蔵むさしは、それからあと、いやがうえにも、江戸えどまち有名ゆうめいになった。
 ――かれは、わせものだ。
 ――卑怯者ひきょうもの張本ちょうほんだ。
 ――恥知はじしらず、武士道ぶしどうよごしの骨頂こっちょうだ。あいつが京都きょうと吉岡一門よしおかいちもん相手あいてにしたなどというのは、よくよく吉岡よしおかよわかったか、げの一手いってで、うまげて、虚名きょめいったにちがいない。
 有名ゆうめいとは、そうした悪評あくひょう有名ゆうめいであって、だれひとり、武蔵むさし弁護べんごするものもなかった。
 なぜならば、そのあと半瓦はんがわら部屋へやものが、くちきわめて、いいふらしたばかりでなく、まち辻々つじつじに、公然こうぜんと、こういうふだ幾十いくじゅうとなく江戸中えどじゅうてたからであった。

いつぞや、おらしゅうに、うしろをせて、げた、
宮本武蔵みやもとむさしへ、ものいうべい。
本位田ほんいでんのおばばも、かたきたずねてあるぞ。おらしゅうにも、
兄弟きょうだいぶんの意趣いしゅがあるぞ。ずば、さむらいとはいわれまいが。

   半瓦はんがわらいちまきのもの