342・宮本武蔵「空の巻」「雀羅の門(3)(4)」


朗読「342空の巻83.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 37秒

 あまりながはなしてもいけない――と医者いしゃからも注意ちゅういされている病人びょうにんである。
 ――んでこい。
 と、病人びょうにんが、やや昂奮こうふんしていうだけでも、余五郎よごろうは、ちち容態ようだいさわりはしないかと、あんじられるのだった。
「かしこまりました」
 一応いちおうは、病人びょうにんしたがって、かれはこういったがとうとはせず、
「しかしお父上ちちうえいまのさむらいの何処どこがそんなにおしましたか。この御病間ごびょうかんまどから、うし姿すがたをごらんになっただけでしょうに」
「おまえにはわかるまい。――それがわかころになると人間にんげんも、もはやこのとお寒巌枯木かんがんこぼくちかくなる」
「でも、なに理由わけが」
「ないこともない」
「おかせくださいませ。余五郎よごろうなどには後学こうがくにも相成あいなりましょう」
「わしへ――この病人びょうにんにさえ――いまさむらい油断ゆだんをせずにった。それがえらいとおもう」
父上ちちうえが、こんなまどなかに、おでになることを、はずはありませぬが」
「いや、っていた」
「どうしてでしょう」
もんをはいってとき、そこで一足止ひとあしとめて、このいえかまえと、いているまどいていないまどや、にわみち、そのほかくまなく一目ひとめかれてしまった。――それはすこしも不自然ふしぜんではなく、むしろ慇懃いんぎんにさええるごなしではいってたが、わしははるかにながめて、これは何者なにものがやってたかとおどろいておったのじゃ」
「では、いまさむらいは、そんなたしなみのふかい武士ぶしでしたか」
はなしたら、さだめしきぬはなしができよう。すぐいかけて、おびしてい」
「でも、おからださわりはいたしませんか」
「わしは、年来ねんらい、そういう知己ちきっていたのだ。わしの兵学へいがくは、つたえるためんでたのではない」
「いつも、お父上ちちうえっしゃっておらるることです」
甲州流こうしゅうりゅうとはいうが、勘兵衛かんべえ景憲かげのり兵学へいがくは、ただ甲州武士こうしゅうぶし方程式陣法ほうていしきじんほうひろめてきたのではない。信玄公しんげんこう謙信公けんしんこう信長公のぶながこうなどが、あらそっていたころとは、第一時世だいいちじせいがちがう。学問がくもん使命しめいちがう。――わしの兵学へいがくは、あくまで小幡勘兵衛流おばたかんべえりゅうの――これからさきしん平和へいわきずいてゆく兵学へいがくなのだ。――ああ、それをだれつたえるか」
「…………」
余五郎よごろう
「……はい」
「そちにつたえたいのは山々やまやまだ。だけど、そちはいま武士ぶしと、めんむかってさえ、まだ相手あいて器量きりょうがわからぬほど未熟者みじゅくものじゃ」
面目めんぼくのうぞんじます」
おやのひいきてすらその程度ていどでは――わしの兵学へいがくつたえるよしもない。――むしろ他人たにんしかるべきものつたえて、そちの後事こうじたくしておこう――と、わしはひそかにその人物じんぶつっていたのじゃ。はなろうとするときは、必然ひつぜんに、花粉かふんかぜたくして、大地だいちへこぼしてるようにな……」
「……ち、父上ちちうえらないでください。らないように、御養生遊ごようじょうあそばして」
「ばかをいえ、ばかをもうせ」
 二度繰にどぐかえして、
「はやくけ」
「はい」
失礼しつれいのないように、よくわしのむねもうしあげて、これへ、おもうしてるのじゃぞ」
「はっ」
 余五郎よごろうは、いそいで、もんそとしてった。

 ――ってったが、武蔵むさしかげはもうえなかった。
 平河ひらかわ天神てんじんあたりをさがし、麹町こうじまち往来おうらいまでったが、やはり見当みあたらなかった。
「しかたがない。――またおりがあろう」
 余五郎よごろうは、すぐあきらめた。
 ちちがいうほど、かれにはまだ、武蔵むさしがそれほどすぐれた人間にんげんとは、れなかった。
 年齢としも、自分じぶんおなじくらいなかれが、たといどれほど才分さいぶんがあったとしても、れたものだとしかおもわれなかった。
 それに、武蔵むさしかえぎわに、
佐々木小次郎ささきこじろう相手あいてになさるのはおろかである。小次郎こじろう凡物ぼんぶつではない。ちいさな宿怨しゅくえんはおてになったほうがおためであろう)
 などといった言葉ことばも、あたまのどこかにつかえているかんじである。あたかも、わざわざ小次郎こじろう称揚しょうようしにたような印象いんしょうを、余五郎よごろうけていた。
なんの!)
 と、いう気持きもちが、当然とうぜん、それにたいして、かれにはある。
 小次郎こじろうたいしてもいだくがごとく、武蔵むさしたいしても、それのかるいものをいているのだ。――いや、ちちたいしてすら、従順じゅうじゅんにはいていたが、こころうちでは、
わたしとても、そうお父上ちちうえ見縊みくびるほどな未熟みじゅくではございません)
 と、つぶやいたほどだった。
 一年いちねんときには二年にねん三年さんねんと、余五郎よごろうゆるされたいとまのあるたびに、武者修行むしゃしゅぎょうにもあるいたり、他家たけ兵学へいがく内弟子うちでしとなったり、ときには、禅家ぜんけへもかよったり、一通ひととおりな鍛錬たんれんんでたつもりなのである。――それをちちはいつまでもちちくさいように自分じぶんている。そしてたまたま窓越まどごしに武蔵むさしのような若輩者じゃくはいものを、おそろしく過賞かしょうし、
(すこし貴様きさまならえ)
 と、いわないばかりな口吻くちぶりであった。
「――もどろう」
 と、めて、いえのほうへかえりながら、余五郎よごろうはふとさみしかった。
おやというものは、いつまでもちちくさくえてならないのだろうな」
 いつかはそのちちに、おまえもそんなになったかといわれてみたい。しかし、そのちち明日あしたれない病身びょうしんである。それがさみしかった。
「おう、余五郎よごろうどの。――余五郎よごろうどのじゃないか」
 びかけるこえに、
「やあ、これは」
 と、余五郎よごろうきびすかえして、双方そうほうからちかづいてった。
 細川家ほそかわけ家士かしで、近頃ちかごろはあまりえないが、一頃ひところはよく講義こうぎきにていた中戸川範太夫なかとがわはんだゆうであった。
大先生だいせんせい御病気ごびょうきはそのあといかがでございますな。公務こうむわれて、ごぶさたをいたしておりますが」
相変あいかわらずでございます」
「なにせい、御老齢ごろうれいのことでもあるしの。……オオときに、教頭きょうとう北条新蔵ほうじょうしんぞうどのが、またしても、かえちにされたといううわさではござらぬか」
「もうご承知しょうちですか」
「つい今朝方けさがた藩邸はんていきましたが」
「ゆうべのそれを――もう今朝細川家けさほそかわけで」
佐々木小次郎ささきこじろうは、はん重臣じゅうしん岩間角兵衛殿いわまかくべえどのやしき食客しょっかくしておるので、その角兵衛かくべえどのが、早速さっそく吹聴ふいちょうしたものでござろう。若殿わかとの忠利ただとしこうすら、すでにご存知ぞんじのようでござった」
 余五郎よごろうわかさでは、それを冷静れいせいいていることはできなかった。そうかといって、かおいろのうごきをられるのもいやだった。さりなく範太夫はんだゆうにはわかれていえもどったが、そのときはもう、かれはらまっていた。