341・宮本武蔵「空の巻」「雀羅の門(1)(2)」


朗読「341空の巻82.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 26秒

雀羅じゃくらもん

 平河天神ひらかわてんじんもりは、せみこえにつつまれていた。ふくろこえもどこかでする。
「ここだな」
 武蔵むさしは、あしめた。
 昼間ひるまつきしたに、物音ものおともしない一構ひとかまえの建物たてものがある。
「たのむ」
 まず玄関げんかんってこうおとずれた。洞窟どうくつむかってものをいうように、自分じぶんこえ自分じぶんみみへがあんとかえってくる。――それほど人気ひとけかんじられなかった。
 ――しばらくつと、おくほうから跫音あしおとがしてた。やがてかれまえに、取次とりつぎ小侍こざむらいともえぬ青年せいねんが、がたなあらわれ、
誰方どなただな?」
 ちはだかったままでいう。
 としばえ二十四にじゅうし五歳ごさいわかいが、革足袋かわたびせんからかみまで、一見いっけんして、のうもなくそだってほねでないものをそなえていた。
 武蔵むさしは、姓名せいめいげて、
小幡勘兵衛おばたかんべえどのの小幡兵学所おばたへいがくじょはこちらでございますな」
「そうです」
 青年せいねんは、にべがない。
 つぎにはさだめし、兵法修行へいほうしゅぎょうのため諸国しょこく遊歴ゆうれきしておるもので――と武蔵むさしがいうにちがいないと、ているようなていだったが、武蔵むさしが、
御当家ごとうけ一弟子いちでし北条新蔵ほうじょうしんぞうもうさるるじんが、仔細しさいあって、ごぞんじのかたな耕介こうすけいえすくわれて、療養中りょうようちゅうにござりますゆえ、みぎまで、耕介こうすけ依頼いらいって、おらせにうかがいました」
 とべると、
「えっ、北条新蔵ほうじょうしんぞうが、かえちになりましたか」
 と、青年せいねん驚愕きょうがくして、落着おちつけると、
失礼しつれいいたしました、わたくしは勘兵衛かんべえ景憲かげのり一子いっし小幡余五郎おばたよごろうにございます。わざわざのおらせ有難ありがとぞんじまする。まず、端近はしぢかですが御休息ごきゅうそくでも」
「いやいや、一言ひとこと、おつたえすればよいこと、すぐおいとまをいたす」
「して、新蔵しんぞう生命せいめいは」
今朝けさになって、いくらか持直もちなおしたようです。おむかえにまいられても、いまのところでは、まだうごかされますまいから、当分とうぶん耕介こうすけいえかれたがよいでしょう」
何分なにぶん耕介こうすけへも、たのるとお言伝ことづてねがいたい」
つたえておきましょう」
じつ当方とうほうも、父勘兵衛ちちかんべえがまだ病床びょうしょうからぬところへ、ちち代師範だいしはんをつとめていた北条新蔵ほうじょうしんぞう昨年さくねんあきから姿すがたせませぬため、このように講堂こうどうじたまま、人手ひとでのない始末しまつあしからずお推察すいさつを」
佐々木小次郎ささきこじろうとは、なにかよほどな御宿怨ごしゅくえんでもござるのか」
わたし留守中るすちゅうゆえ、くわしくはぞんじませぬが、病中びょうちゅうちちを、佐々木ささきはじかしめたとかで、門人もんじんたちのあいだ遺恨いこんかもし、いくたびもかれとうとしては、かえってかれのために、かえちになる始末しまつに、ついに、北条新蔵ほうじょうしんぞうけっして、ここをって以来いらい小次郎こじろうをつけねらっていたものとみえまする」
「なるほど。それでいきさつが相分あいわかった。――しかし、これだけは御忠告ごちゅうこくしておく。佐々木小次郎ささきこじろう相手あいてにとってあらそうことはおやめなされ。かれは、尋常じんじょう刃向はむかってもてぬ相手あいてさくをもってもなおてぬ相手あいて。――所詮しょせんけんでも、口先くちさきでも、策略さくりゃくでも、およそひとかどぐらいな器量きりょうものでは、太刀打たちうちにならぬ人物じんぶつです」
 武蔵むさしが、小次郎こじろう凡物ぼんものでないてんげて称揚しょうようすると、余五郎よごろうわかひとみには、ありありと不快ふかいないろがえた。武蔵むさしは、それをかんじるのでなおさら、未然みぜん警戒けいかいを、繰返くりかえしたくなって、
ほこものにはほこらしておくにかぎる。ちいさな宿怨しゅくえんに、大禍たいかまねいてはなりますまい。北条新蔵ほうじょうしんぞうたおれたからには、自分じぶんがなどとかさなる遺恨いこんって、また、前車ぜんしゃてつをおみなさるなよ。おろかです、おろかなことです」
 そう忠言ちゅうげんすると、かれは、玄関先げんかんさきからすぐかえってった。

 ――そのあとで、余五郎よごろうは、かべりかかったまま、ひとりでうでんでいた。
 多感たかんくちが、かすかに、
残念ざんねんな……」
 と、ふるえをらした。
新蔵しんぞうまでが、とうとう、かえちにされたのか……」
 うつろなで、天井てんじょうる。ひろ講堂こうどう母屋おもやも、いまでは、ほとんど無人むじんのようにしんとしていた。
 自分じぶん旅先たびさきからかえってさいには――新蔵しんぞうはもういなかったのである。ただ、自分じぶんてた遺書いしょだけがあった。それには、佐々木小次郎ささきこじろうをきっとってかえるとあった。てなければ今生こんじょうでおにかかるおりはもうあるまいとしてあった。
 その、ねがわぬことのほうが、いまは、事実じじつとなってしまった。
 新蔵しんぞうがいなくなってから、兵学へいがく授業じゅぎょう自然しぜんやすみとなり、世間せけんひょうは、とかく小次郎こじろう加担かたんして、この兵学所へいがくしょかよもの卑怯者ひきょうものあつまりのように、また、理論りろんだけで実力じつりょくのない人間にんげんたむろのようにわるくいった。
 それを、いさぎよしとしないものだの、父勘兵衛ちちかんべえ景憲かげのり病気びょうきや、甲州流こうしゅうりゅう衰微すいびて、長沼流ながぬまりゅううつってゆくものだの――いつのまにか門前もんぜんはさびれてしまい、近頃ちかごろでは内弟子うちでしのほんの雑用ざつようをするもの三止さんとまっているきりだった。
「……ちちにはいうまい」
 かれは、すぐそうこころめた。
「――あとあとのことだ」
 とにかく、老父ろうふ重病じゅうびょうつくすことが、としては、いま最善さいぜんなつとめだとおもう。
 しかし、その恢復かいふくは、到底とうていおぼつかないことだとは、医者いしゃからもいわれていることだった。
 ――あとあとのこと。
 と、そこでかなしい我慢がまんむねをさするのだった。
余五郎よごろうっ。余五郎よごろうっ」
 おく病室びょうしつから、こうちちこえがその時聞とききこえた。
 からは、いまにもとあやぶまれる病父びょうふも、なにかにげきして、ときこえは、病人びょうにんともおもわれなかった。
「――はいっ」
 あわてて、余五郎よごろうは、けてった。
 そしてつぎから、
「おびですか」
 ひざまずいてると、病人びょうにんはいつもくたびれたときするように、自分じぶんまどをあけ、まくら脇息きょうそくにして、ゆかのうえにすわっていた。
余五郎よごろう
「はい。ここにおります」
いま――もんそとった武士ぶしがあったな。――このまどから、うし姿すがただけをたのだが」
 もう、ちちはそれをっていたのかと、つつんでいるつもりだった余五郎よごろうは、ややうろたえた。
「は……。では……ただ今見いまみえた使つかいのものでございましょう」
使つかいとは、どこから」
北条新蔵ほうじょうしんぞうに、ちと変事へんじがござりまして、それをらせにてくれた――宮本武蔵みやもとむさしとかもうすおひとです」
「ふム? ……宮本武蔵みやもとむさし。……はてな、江戸えどものではあるまいが」
作州さくしゅう牢人ろうにんとかもうしておりましたが――お父上ちちうえには只今ただいま人間にんげんに、なんぞお心当こころあたりでもあるのでござりまするか」
「いや――」
 勘兵衛景憲かんべえかげのりは、しろひげのまばらにびたあごさきをつよくって、
「なんの由縁ゆかりおぼえもない。したが、この景憲かげのりも、若年じゃくねんからこのとしまで、数々かずかず戦場せんじょうはおろか平時へいじのあいだに、随分人ずいぶんひとらしいひとたが、まだしん武士ぶしらしい武士ぶし出会であうたのは幾人いくたりもない。――ところが、今立いまたったさむらいには、なにか、こころかれた。――いたい。ぜひその宮本殿みやもとどのとやらにってはなしてみたい。――余五郎よごろう、すぐいかけて、これへ、ご案内申あんないもうしてい」