329・宮本武蔵「空の巻」「飛札(1)(2)」


朗読「329空の巻70.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 47秒

飛札ひさつ

 但馬守宗矩たじまのかみむねのりは、まだ四十しじゅうふたがあった。
 かれは、俊敏しゅんびんとか剛毅ごうきとかいうたちではなかった。どっちかといえば聡明そうめいひとで、精神家せいしんかというよりも、理性家りせいかであった。
 そのてんが、英邁えいまいちち石舟斎せきしゅうさいともちがっていたし、おい兵庫ひょうご天才肌てんさいはだとも多分たぶんちがっていた。
 大御所家康おおごしょいえやすから柳生家やぎゅうけに、
だれぞひとり、秀忠ひでただたるべきもの江戸えどへさしすように)
 と、いう下命かめいがあったとき石舟斎せきしゅうさいが、まごおい門人もんじんや、おおくの一門いちもんからすぐえらんで、
宗矩むねのりまいるように)
 と、いいつけたのも、宗矩むねのり聡明そうめい温和おんわ性格せいかくが、てきしているとたからであった。
 いわゆる御流儀ごりゅうぎといわれる柳生家やぎゅうけ大本たいほんとするところは、
 ――天下てんかおさむる兵法へいほう
 であった。
 それが石舟斎せきしゅうさい晩年ばんねん信条しんじょうであったから、将軍家しょうぐんけ師範しはんたるものは、宗矩むねのりのほかにないと推挙すいきょしたのであった。
 また、家康いえやすが、秀忠ひでただに、剣道けんどうのよいをさがして、それにかせたのも、剣技けんぎちょうじさせるためではなかった。
 家康いえやすは、自分じぶん奥山おくやまぼう師事しじして、けんまなんでいたが、その目的もくてきは、
見国けんこくさとる――)
 にあるとつねにいっていた。
 だから御流儀ごりゅうぎなるものは、したがって、個人力こじんりょくつよよわいの問題もんだいよりも、まず大則だいそくとして、
 ――天下統治てんかとうちけん
 であること。また、
 ――見国けんこく機微きび悟入ごにゅうする
 のが、その眼目がんもくでなければならなかった。
 だが、つ、ちきる、くまで何事なにごとにもってとおす――ことがけん発足ほっそくであり、また最後さいごまでの目標もくひょうである以上いじょう御流儀ごりゅうぎだから個人試合こじんしあいにおいてはよわくてもよいという建前たてまえはなりたない。
 いや、むしろ、ほか諸流しょりゅうだれよりも、柳生家やぎゅうけはその威厳いげんのためにも、絶対ぜったいに、優越ゆうえつしていなければならなかった。
 そこに、えず、宗矩むねのり苦悶くもんがあった。――かれは、名誉めいよって江戸えどのぼってから一門いちもんのうちでいちばんめぐまれた幸運児こううんじのようにえているが、事実じじつは、もっとつら試練しれんたされていたのだった。
おいうらやましい」
 と、宗矩むねのりはいつも、兵庫ひょうご姿すがたては、こころうちでつぶやいた。
「ああなりたいが」
 とおもっても、かれには、その立場たちば性格せいかくから、兵庫ひょうごのような自由じゆうにはなれないのだった。
 その兵庫ひょうごいま彼方かなた橋廊下はしろうかえて、宗矩むねのり部屋へやのほうへわたってた。
 ここのやしきは、豪壮ごうそうとうとんで建築けんちくさせたので、京大工きょうだいく使つかわなかった。鎌倉造かまくらづくりにならわせて、わざと田舎大工いなかだいく普請ふしんさせたものである。このへんあさやまひくいので、宗矩むねのりはそうした建築けんちくなかんで、せめて、柳生谷やぎゅうだに豪宕ごうとう故郷ふるさといえしのんでいた。
叔父上おじうえ
 と、兵庫ひょうごがそこをさしのぞいて、えんひざまずいた。
 宗矩むねのりは、っていたので、
兵庫ひょうごか」
 中庭なかにわつぼをやったままでこたえた。
「かまいませぬか」
用事ようじか」
「べつにようでもございませぬが……ただおはなしうかがいましたが」
「はいるがよい」
「では」
 と、兵庫ひょうごはじめてへやすわった。
 礼儀れいぎじつにやかましいことは、ここの家風かふうであった。兵庫ひょうごなどからると、祖父そふ石舟斎せきしゅうさいなどには、ずいぶんあまえられるところもあったが、この叔父おじにはりつくすべがなかった。いつも端然たんぜんと、真四角ましかくすわっていた。ときには、どくのような気持きもちさえするほどだった。

 宗矩むねのりは、ことばかずすくないたちであったが、兵庫ひょうごしおに、おもしたらしく、
「おつうは」
 と、たずねた。
もどりました」
 と、兵庫ひょうごこたえて、
「いつもの、氷川ひかわやしろ参詣さんけいって、そのかえみち彼方此方あちこちこまにまかせてあるいてたので、おそくなったのだともうしておりました」
「そちがむかえにったのか」
「そうです」
「…………」
 宗矩むねのりは、それからまた、短檠たんけい横顔よこがおらされたまま、しばらくくちつぐんでいたが、
わか女子おなごを、いつまでやしきめおくのも、なにかにつけ、がかりなものだ。助九郎すけくろうにもいっているが、よいおりに、ひまって、どこぞへうつすようにすすめたがよいな」
「……ですが」
 兵庫ひょうごは、やや異議いぎいだくような口吻くちぶりで、
身寄みよりもなにもない、不愍ふびんうえきました。ここをては、ほかところもないのではございますまいか」
「そうおもりをけたひにはかぎりがない」
こころだてのいものと――祖父様おじいさまおおせられていたそうで」
だてがわるいとはもうさぬが――なんせいわかおとこばかりがおおいこのやしきに、うつくしいおんながひとりじると、出入でいりのものくちもうるさいし、さむらいどものもみだれる」
「…………」
 あん自分じぶん意見いけんしているのだ、とは兵庫ひょうごおもわなかった。なぜなら、自分じぶんはまだ妻帯さいたいしていないし、またおつうたいしても、そうひとかれてじるような不純ふじゅん気持きもちっていないとしんじているからだった。
 むしろ、兵庫ひょうごは、いま叔父おじのことばを、叔父自身おじじしんが、自身じしんへいっているようにおもわれた。宗矩むねのりには格式かくしきのある権門けんもんから輿入こしいれしている妻室さいしつがあった。その妻室さいしつは、表方おもてがたとはかけはなれていて、宗矩むねのり琴瑟きんしつしているかいないかもわからないほどおくまったところ生活せいかつしているが――まだわかいし、そうした深窓しんそうにいる女性じょせいだけに――良人おっと身辺しんぺんにおつうのような女性じょせいあらわれたことは、けっして、よいていないことは想像そうぞうかたくないことであった。
 こんも、いたかおいろでないが――時々ときどき宗矩むねのりが、おもて部屋へやで、ただひとり寂然じゃくねんとしている姿すがたなどると、
なにおくであったのではないか)
 と、兵庫ひょうごのような、独身者どくしんしゃ神経しんけいにも、おもられることがある。ことに、宗矩むねのりは、真面目まじめたちだけに、おんなのいうことばだからといって、おおまかに、
だまっておれ)
 と、いっかつしておくことができない良人おっとであった
 おもてたいしては、将軍家師範しょうぐんけしはんという大任たいにんかんじていなければならない良人おっとはまた、妻室さいしつへはいってもなにかとらないをつかわなければならなかった。
 ――といって、そんなかおいろも愚痴ぐちひとにはしめさない宗矩むねのりだけに、ふと、沈湎ちんめんひとりのおもいにふけることがおおかった。
助九郎すけくろうとも、相談そうだんしておわずらいのないようにしましょう。おつうどののことは、てまえと助九郎すけくろうにおまかせおきください」
 叔父おじこころさっして、兵庫ひょうごがいうと、宗矩むねのりは、
「はやいがよいな」
 と、つけくわえた。
 そのとき用人ようにん木村助九郎きむらすけくろうがちょうど、つぎまでて、
「――殿との
 と、文筥ふばこまえに、灯影とうえいからとおすわった。
「なんじゃ」
 振顧ふりかえりみると、その宗矩むねのりまなざしにむかって、助九郎すけくろうひざをすすめなおしてげた。
「おくにもとから、ただ今早馬いまはやうまのお使つかいが到着とうちゃくいたしました」