324・宮本武蔵「空の巻」「かたな談義(5)(6)」


朗読「324空の巻65.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 09秒

 すさびの観音像かんのんぞうは、ひさしく旅包たびづつみにってあるいていたが、法典ほうてんはらのこしてたので、いまはそれもない。
 で数日すうじつ余裕よゆうあたえてくれればとくっても、このかたな所望しょもうしたい――と武蔵むさしがいうと、
もとより、ぐでなくても」
 と、耕介こうすけ当然とうぜんのこととしているのみか、
博労宿ばくろうやどにおとまりなさるくらいなら、てまえどもの細工場さいくばよこに、中二階ちゅうにかいひといておりますが、そこへうつっておいでなさいませんか」
 と、ねがってもないことだった。
 では、明日あしたからそこを拝借はいしゃくして、ことついで観音像かんのんぞうりましょうと、武蔵むさしがいうと耕介こうすけよろこんで、
「それでは一応いちおう、そこの部屋へやておいてください」
 と、おく案内あんないする。
しからば」
 と、武蔵むさしいてったが、もとよりさしてひろいえでもない。ちゃえんあたって六段ろくだんのはしごをがると、八畳はちじょう一室いっしつがあり、まどのわきのあんずこずえが、若葉わかば夜露よつゆをもっていた。
「あれが、とぎをする仕事場しごとばなので――」
 とあるじゆびさす小屋こや屋根やねは、牡蠣かき貝殻かいがらいてあった。
 いつのあいだ吩咐いいつけたのか、耕介こうすけ女房にょうぼうがそこにぜんはこんでて、
「まあ、いっこん
 と、夫婦ふうふしてすすめる。
 さかずきわされてからは、きゃくでもなくあるじでもなく、ひざをくずして、おたがいに胸襟きょうきんをひらきったが、はなしは、かたなのほかにはない。
 そのかたなのこととなると、耕介こうすけ眼中がんちゅうひともない。あおほお少年しょうねんのようにあからみ、くち両端りょうたんつばみ、ともすれば、そのつば相手あいてんでることもかいさない。
かたなは、わがくに神器じんぎだとか、武士ぶしのたましいだとか、皆口みなくちだけではっしゃるが、かたなをぞんざいにすることは、さむらい町人ちょうにん神官しんかんも、みなはなはだしいものですな。――てまえはこころざしいだいて、数年間すうねんかん諸国しょこく神社じんじゃ旧家きゅうかおとずれ、古刀ことうのよいものようものとあるいたことがありますが、古来有名こらいゆうめいかたな満足まんぞく秘蔵ひぞうされているものあまりにすくないのでかなしくなりましたよ。――たとえば、信州しんしゅう諏訪すわ神社じんじゃには三百何十さんびゃくなんじゅうふりという古来こらいからの奉納刀ほうのうとうがありますが、このなかで、さびていなかったのは、ふりともありませんでしたな。また、伊予国いよのくに大三島神社おおみしまじんじゃ刀蔵かたなぐら有名ゆうめいなもので、何百年来なんびゃくねんらい所蔵しょぞう三千さんぜんふりにものぼっておりますが、およいっげつこもって調しらべたところ、三千口さんぜんくちのうちひかっているかたな十口じゅっくちともなかったという、じつあきれた有様ありさまです」
 ――それからまた、かれは、こうもいう。
伝来でんらいかたなとか、秘蔵ひぞう名剣めいけんとか、きこえているものほど、ただ大事だいじがるばかりで、赤鰯あかいわしにしてしまっているのがおおいようです。かあいい盲愛もうあいしすぎて、お馬鹿ばかそだててしまうおやのようなものですな。いや人間にんげんは、あとからでもうまれるから、かずなかには、世間せけんにぎわいに、すこしはお馬鹿ばか出来できてもいいかもれませんが、かたなはそうはまいりませんぞ――」
 と、ここではくちばたのつばをいちどおさめ、ひかりあらためて、せたかたをいちだんととがてる。
かたなは、かたなばかりはですな。どういうものか、時代じだいくだるほど、わるくなります。室町むろまちからくだって、この戦国せんごくになってからは、愈々いよいよ鍛冶かじうですさんでまいりました。これからさきも、なおなお、わるくなってくばかりじゃないかとおもわれるんで――古刀ことう大事だいじまもらなければいけないとてまえはおもう。いくらいま鍛冶かじが、小賢こざかしく、真似まねてみても、もう二度にどと、この日本にほんでもできない名刀めいとうを――じつに、可惜あたらくやしいことじゃございませんか」
 と、いうと、何思なにおもったか、ふとがって、
「これなども、やはりよそからとぎたのまれて、あずかっている名刀めいとうひとつですが、ごらんなさい、しいさびをわかせています」
 と、おそろしくなが太刀作たちづくりの一刀いっとうしてて、武蔵むさしまえへ、話題わだい実証じっしょうとしていた。
 武蔵むさしは、その長剣ちょうけん何気なにげなくて、はっとおどろいた。これは佐々木小次郎ささきこじろう所有しょゆうする「物干竿ものほしざお」にちがいなかった。

 かんがえてみれば不思議ふしぎはない。ここは研師とぎしいえであるから、だれかたなあずけられてあろうとも、べつだんとするにはあたらない。
 けれど、佐々木小次郎ささきこじろうかたなを、ここでようとはおもいがけないことと、武蔵むさし追想ついそうふけりながら、
「ほ、なかなか長刀ながものでござりますな。これほどなかたなしこなすものは、相応そうおうさむらいでございましょう」
 と、いった。
「さればで」
 と、耕介こうすけ合点がってんして、
多年たねんかたなていますが、これほどなかたなは、まあすくない。ところが――」
 物干竿ものほしざおさやをはらい、きゃくほうけてつか手渡てわたしながら、
「ごらんなさい、しいさびさんよんしょもある。しかし、そのままだいぶ使つかってもいる」
「なるほど」
さいわい、このかたなは、鎌倉以前かまくらいぜんまれれな名工めいこう鍛刀たんとうですから、ほねれますが、さびくもりもれましょう。古刀ことうさびはサビてもうすまくにしかなっておりませんから。――ところが近世きんせい新刀しんとうとなると、これほどさびさせたらもうだめですわい。新刀しんとうさびは、まるでたちのわるい腫物できもののように地鉄じがねしんくさりこんでいる。そんなことでも、古刀ことう鍛冶かじと、新刀しんとう鍛冶かじとは、くらものになりはしません」
「おおさめを」
 と、武蔵むさしもまた、自分じぶんのほうにけ、耕介こうすけほうにしてかたなかえした。
失礼しつれいですが、このかたな依頼主いらいぬしは、このへ、自身じしんえましたか」
「いえ、細川家ほそかわけ御用ごよううかがいましたとき御家中ごかちゅう岩間角兵衛様いわまかくべえさまから、もどりにやしきれともうされ、そこでたのまれてまいりましたので。――なにか、おきゃくしなだとかいいましたよ」
こしらえもよい」
 ともししたに、武蔵むさしがなお、しげしげと見入みいりながらつぶやくと、
太刀作たちづくりなので、いままではかたってもちいていたが、こしせるように、あらためてくれという注文ちゅうもんですが、よほどな大男おおおとこか、うでおぼえがないと、この長刀ながものこしにさしてあつかうにはむずかしい」
 と、耕介こうすけも、それをながら、つぶやくようにいった。
 さけからだにまわり、だいぶあるじしたもくたびれてたらしい。武蔵むさしは、このへんでとおもち、ほどよく辞去じきょして戸外おもててきた。
 そとてすぐかんじたことは、まち何処一軒どこいっけんきていないくらさであった。そうなが時間じかんともおもわなかったが、案外長坐あんがいちょうざしていたものとみえる。よるはもうよほどけているにちがいなかった。
 しかし旅宿やどはすぐ斜向すじむかいなのでなんもない。ひらいているあいだからはいって、寝臭ねくさ暗闇くらやみでながら二階にかいがった。――そして伊織いおり寝顔ねがおをすぐることであろうとおもっていたところ、ふたつの蒲団ふとんはしいてあるが、伊織いおり姿すがたえないし、まくらもきちんとならんでいて、まだひとぬくみにれた気配けはいもない。
「まだかえらぬのであろうか」
 武蔵むさしは、ふと、あんじられた。
 れない江戸えどまち――どこをどうみちまよっているのかもわからない。
 梯子はしごだんをり、そこにそべっているずのばんおとこおこしてたずねると、ぼけまなこで、
「まだかえっておいでなさらねえようですが、旦那だんな一緒いっしょじゃなかったのでございますか」
 と、武蔵むさしらないことを、かえって不審いぶかがおにいう。
「――はてな?」
 このままられもしない。武蔵むさしふたたうるしのようなそとやみて、軒下のきしたっていた。