323・宮本武蔵「空の巻」「かたな談義(3)(4)」


朗読「323空の巻64.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 59秒

 そこで武蔵むさしが、
光悦こうえつどのなら、じつ自分じぶん面識めんしきのあるあいだで、母御ははご妙秀尼様みょうしゅうにさまにもお世話せわになったことがある」
 と、その当時とうじころおもひとふたはなすと、厨子野耕介ずしのこうすけ非常ひじょうおどろかたをして、
「ではもしや貴方あなたは、一乗寺下いちじょうじさがまつで、一世いっせい剣名けんめいとどろかせた、宮本武蔵様みやもとむさしさまではございませぬか」
 と、をすえていう。
 武蔵むさしは、かれのことばが、誇張こちょうきこえて、すこしむずがゆおもいながら、
「されば、その武蔵むさしでござる」
 いうと耕介こうすけは、貴人きじんむかなおすように、ずっとせき退げて、
「よもや武蔵様むさしさまとはらず、さきほどから釈迦しゃか説法せっぽう同様どうよう過言かごん――どうぞぴらおゆるしのほどを」
「いやいや、御亭主ごていしゅのおはなしには、拙者せっしゃおしえられるふしがおおい。光悦こうえつどのが、弟子でしさとされたという言葉ことばにも、光悦こうえつどのらしいあじがある」
「ご承知しょうちとおり、宗家そうけ室町将軍むろまちしょうぐん中世ちゅうせいから、かたなのぬぐいやとぎをいたして、禁裡きんり御剣ぎょけんまでうけたまわっておりまするが――常々師つねづねし光悦こうえつもうすことには――由来ゆらい日本にほんかたなは、ひとり、ひとがいすためにきたえられてあるのではない。御代みよしずめ、まもりたまわんがために、あくはらい、うところの降魔ごうまけんであり――また、ひとみちみがき、ひとうえものみずかいましめ、みずかするために、こしびるさむらいのたましいであるから――それをものもそのこころをもってがねはならぬぞ――と何日いつかされておりました」
「む。いかにもな」
「それゆえ、光悦こうえつは、よいかたなると、このくに泰平たいへいおさまるひかりるようだともうし――悪剣あくけんにすると、さやはらうまでもなく、がよだつと、きらいました」
「ははあ」
 と、おもあたって、
「では、拙者せっしゃこしものには、そんな悪気わるぎ御亭主ごていしゅかんじられたのではありませんか」
「いや、そうしたわけでもございませんが、てまえが、この江戸えどくだって、おおくの侍衆さむらいしゅうから、おかたなあずかってみますと、だれあって、かたなのそういう大義たいぎわかってくれるおひとがないのでござります。ただ、よっどうはらったとか、このかたなは、兜金はちがねから脳天のうてんまでったとか、れることだけが、かたなだとしているようなふうでござります。で――、てまえはほとほと、この商売しょうばいいやになりかけましたが、いやいやそうでないとおもなおし、数日前すうじつまえから、わざと看板かんばんきかえて、おんたましい研所とぎどころしたためましたが、それでもなお、たのみにきゃくは、れるようにとばかりいってえますので、くさらしていたところなので……」
「そこへ、拙者せっしゃまでが、又候またぞろ同様どうようなことをいってたので、それでおことわりなされたのか」
「あなたさま場合ばあいは、またちがいまして――じつさきほど、おこしものたせつなに、あまりにひどいこぼれと、むらむらと、ぬぐいきれない無数むすう精霊しょうりょう血脂あぶらに――失礼しつれいながら、えきなき殺生せっしょうをただほこ素牢人すろうにんが――といやな気持きもちたれたのです」
 耕介こうすけくちりて、光悦こうえつこえがそこにしているように、武蔵むさしは、さし俯向うつむいていていたが、やがて、
「おことばの数々かずかず、ようわかりました。――なれどおあんくださるまい、物心ものごころついてよりれているかたななので、そのかたな精神こころとくかんがえてみたこともなかったが、今日以降きょういこうは、よくむねめいじておきまする」
 耕介こうすけは、すっかり気色けしきくして、
「ならば、いでさしげましょう。いや、あなたさまのようなさむらいのたましいを、がせていただくのは研師とぎし冥加みょうがもうすもので」
 と、いった。

 いつか燈火あかりともっている。
 かたなとぎたのんで、武蔵むさしもどろうとすると、
失礼しつれいですが、かわりの差料さりょうをおちでござりますか」
 と、耕介こうすけがいう。
 ないとこたえると、
「では、たいしてかたなではございませんが、一腰ひとこし、そのあいだだけ、たくにあるものをおもちくださいまし」
 と、おく部屋へやまねく。
 そしてかたな箪笥だんす刀箱かたなばこから、耕介こうすけえらした数本すうほんをそれへならべて、
「どれでも、おしたものを、どうぞ」
 と、いってくれた。
 武蔵むさしは、くら心地ここちがして、えらるのにまよった。もとよりかれも、かたなしかったが、今日きょうまで、かれ貧嚢ひんのうではそれをのぞんでみる余裕よゆうすらなかった。
 けれど、かたなには、必然ひつぜん魅力みりょくがある。武蔵むさしいま数本すうほんなかからにぎったかたなには、さやうえからにぎっただけでも、なにかしら、それをった刀鍛冶かたなかじたましいにこたえてくるようながした。
 いてると、あんのじょう、吉野朝時代よしのちょうじだいさくかとおもわれるにおいのうるわしいかたなである。武蔵むさし自分じぶんいま境遇きょうぐう気持きもちには、やや優雅ゆうがぎるかとおもったが、燈下とうかにそれを見入みいっているまに、もうそのかたなからはなすのもしいがして、
「では、これを――」
 と、所望しょもうした。
 拝借はいしゃくするといわなかったのは、もう是非ぜひかかわらず、かえ気持きもちおこらなかったからである。名工めいこうった名作めいさくには、ひと気持きもちをそこまでつかむおそろしいちから必然ひつぜんあるのであった。武蔵むさしこころのうち、耕介こうすけ返辞へんじつまでもなく、どうかしてこれを、自分じぶん持物もちものにしたいとおもった。
「さすがに、おたかい」
 耕介こうすけあとかたなを、仕舞しまいながらいった。
 武蔵むさしは、そのあいだも、所有慾しょゆうよく煩悶はんもんした。ってくれといえば、莫大ばくだいかたなであろうし……などとおもまどったが、どうしてもおさえきれなくなって、いいした。
耕介こうすけどの、これを拙者せっしゃに、おゆずりくださるわけにはゆかないでしょうか」
差上さしあげましょう」
「おだいは」
「てまえがもとめた元値もとねでよろしゅうございます」
「すると何程なにほど
金二十枚きんにじゅうまいでございます」
「…………」
 武蔵むさしは、よしないのぞみと、よしない煩悶はんもんを、ふといた。そんなかねのあるではなかった。で、かれはすぐ、
「いや、これは、おかえしいたしましょう」
 と、耕介こうすけまえもどした。
「なぜですか」
 と、耕介こうすけはいぶかって――
「おいにならずとも、いつまでも、おもうしておきますから、どうかお使つかいなさいまして」
「いや、りておるのは、なおさらこころもとない。一目見ひとめみただけでも、ちたいという慾望よくぼうにくるしむのに、てぬかたなわかりながら、しばしの間身あいだみびて、またそちらへかえすのはつろうござる」
「それほど、おしましたかな……」
 と耕介こうすけは、かたな武蔵むさしとをくらべていたが、
「よかろう、それまでに、いなされたかたななら、此刀これはあなたへよめにあげるとしよう。そのかわりに、あなたも手前てまえに、なにか、おうじたことをしてくださればよい」
 うれしかった。武蔵むさし遠慮えんりょなく、まずもらうことをさきめた。それかられいかんがえるのであったが、無一物むいちぶついち剣生けんせいには、なにむくいるものがなかった。
 すると耕介こうすけが、あなたは彫刻ちょうこくをなさるそうで、そんなことを、光悦こうえつからいていましたが、なにか、観音像かんのんぞうのようなものでも、ご自分じぶんったものがあったら、それを手前てまえください。それと取換とりかえということにして、かたな差上さしあげましょう――と、かれ工面顔くめんがおを、すくうようにいってくれた。