314・宮本武蔵「空の巻」「征夷(6)(7)」


朗読「314空の巻55.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 13秒

 土民どみんたちが、附近ふきん物陰ものかげかくまないうちに、武蔵むさしは、土塀どべいをこえて、ただ一人ひとり土匪どひ本拠ほんきょとしている農家のうかなかへはいってった。
 土匪どひ首領しゅりょうと、おもなるものは、ひろ土間どまなかたむろして、酒甕さかがめひらけ、わかおんなをとらえて、いつぶれていた。
「あわてるな」
 土匪どひ首領しゅりょうは、なにかおこっていた。
多寡たかがひとりの邪魔者じゃまものたからって、おれのわずらわすまでのことはあるめえ、てめえたちかたづけてい」
 そんな意味いみらしい言葉ことばだった。そしていまここへきゅうげに手下てしたを、あたまからしかりとばしているのだった。
 ――そのとき首領しゅりょうは、異様いようこえをすぐそといた。あぶったにわとりにくき、さけ仰飲あおっていたまわりのぞくも、
「やっ、なんだ?」
 一斉いっせいち、また無意識むいしきのうちに、得物えものをつかんだ。
 その瞬間しゅんかんかれらの前面ぜんめんは、こころなんのまとまりもないうつろになっていた。そして不気味ぶきみ絶叫ぜっきょうきこえた土間どま入口いりぐちにばかりられていた。
 武蔵むさしはそのときくにいえ横手よこてはしっていた。そして母屋おもや窓口まどぐちつけると、やり足懸あしがかりとし、いえうちんで、土匪どひ首領しゅりょううしろへった。
「おのれかっ、ぞく首領かしらは」
 こえ振向ふりむいたとたん、かれむねいたは、武蔵むさししたやりとおされていた。
 獰猛どうもうなそのおとこは、
「うわっ」
 と、にまみれながら、そのやりをつかんでちかけたが、武蔵むさしかるはなしたので、むねやりてたまま土間どまころちた。
 もうかれには、つぎにかかってぞくからくったかたながあった。それで一人ひとりびせ、一人ひとりくと、はちるように、土匪どひはわれがちに土間どまそとした。
 そのれへ、武蔵むさしは、かたなげつけて、すぐそのへまた、死骸しがいむないたからやりいてった。
「うごくな」
 鉄壁てっぺきでも――といういきおいでかれやりよこにしたままそとした。竿さお水面すいめんったように、土匪どひれは、さっとわかれたが、もうやり自由じゆうひろさである。武蔵むさしかしくろしなうほど、それをっていた、またいてはねとばした、またうえからなぐりつけた。
 かなわぬとおもった土匪どひは、土塀どべいもんむかってしたが、そこは得物えものったむらものひしめいていたので、へいをこえて、そところちた。
 おおくは、そこでみなむらものころされた。おそらくげたものも、不自由ふじゆうにならなかったものすくなかったであろう。むらものは、いもわかきも、おんなも、うまれてはじめてのこえして、しばらくは凱歌がいかくるい、すこつと、わがや、わがつまや、父母ふぼたちをつけって、うれきにっていた。
 するとだれかが、
あと仕返しかえしがこわい」
 といった。土民どみんたちは、またそれに動揺どよめきだしたが、
「もう、このむらにはぬ」
 と、武蔵むさしさとしたので、やっと落着おちついたかおいろをもどした。
「――だがおまえたちは、過信かしんするな。おまえたちの本分ほんぶんは、武器ぶきではないくわなのだ。穿きちがえて、なまなかな武力ぶりょくほこると、土匪どひよりおそろしい天罰てんばつくだるぞ」

たか」
 徳願寺とくがんじとまりあわせていた長岡佐渡ながおかさどは、ずにっていた。
 むらは、はらぬま彼方かなたに、すぐ間近まぢかえていたが、もうしずまっていた。
 ふたりの家臣かしんは、
「はっ、見届みとどけてまいりました」
 と、くちそろえていった。
ぞくは、げたか。むらもの被害ひがいは、どんなふうだ」
「われわれが、けつけるいとまなく、土民どみんたちが、自分じぶんで、ぞくなかばをころし、あといちらしましたようにござります」
「はてな?」
 佐渡さどは、のみこめないかおつきである。もしそうだとすれば、佐渡さどは、自分じぶん主人細川家しゅじんほそかわけ領土りょうど民治みんじについても、だいぶかんがえさせられることがある。
 とにかく今夜こんやはもうおそい。
 そうかんがえて、佐渡さどは、臥床ふしどはいってしまったが、翌朝よくあさ江戸えどかえなので、
「ちと、まわりになるが、ゆうべのむらとおってまいろう」
 と、こまをそこへけた。
 徳願寺とくがんじ寺僧じそう一名いちめい案内あんないいてた。
 むらへかかると、佐渡さどは、二人ふたり従者じゅうしゃかえりみて、
「そちたち昨夜さくやなに見届みとどけてたのか。いまみちばたでかけたぞく死骸しがいは、百姓ひゃくしょうったものとはえんが」
 と、不審ふしんいた。
 むらものは、ずに、けたいえやそんな死骸しがいかたづけていたが、佐渡さど馬上姿ばじょうすがたると、みないえなかげこんだ。
「あ、これ。なにかわしをおもちがいしておるぞ。だれかすこしはなしわかりそうな土民どみん一名いちめいつれてい」
 徳願寺とくがんじそうが、どこからか一人連ひとりつれてた。佐渡さどはそれではじめて昨夜さくや真相しんそうることが出来でき
「そうだろう」
 と、うなずいた。
「して、その牢人ろうにんというのは、なんというものか」
 佐渡さどが、かさねてくと、その土民どみんくびをかしげて、いたことがないという。佐渡さどは、ぜひりたいというので、寺僧じそうはまた、あるいて、かえってた。
宮本武蔵みやもとむさしというものだそうでござります」
「なに、武蔵むさし
 佐渡さどはすぐ、ゆうべの少年しょうねんおもおこして、
「では、あのわっぱが、先生せんせいんでいたものだの」
平常へいじょう、あの子供こども相手あいてに、法典ほうてんはら荒地あれち開墾かいこんし、百姓ひゃくしょうのまねごとなどをしておる、ふうかわった牢人ろうにんにござります」
たいな、そのおとこを」
 佐渡さどは、つぶやいたが、――藩邸はんていっている用事ようじおもおこされて、
「いや、またまいろう」
 と、こまをすすめた。
 村長むらおさもんまでると、ふと佐渡さどをひいたものがある。今朝建けさたてたばかりのような、真新まあたらしい制札せいさつに、墨色すみいろまで水々みずみずと、こういてあるのだった。

むら者心得ものこころえべきこと
  くわけんなり
  けんくわなり
  つちにいてらんをわすれず
  らんにいてつちをわすれず
  ぶんっていちかえ
    又常またつね
  世々せぜみちにたがわざること

「ウウム……だれいたか、この高札こうさつは」
 村長むらおさて、平伏ひれふしながらこたえた。
武蔵むさしさまでござりまする」
「おまえたちに、わかるのかこれが……」
今朝けさむらしゅうが、みなあつまっているなかで、このわけを、よくいてくださいましたで、どうやらわかりまする」
「――寺僧じそう
 佐渡さど振向ふりむいて、
もどってよろしい。ご苦労くろうであった。残念ざんねんじゃが、こころく。またるぞ、おさらば」

 と、こまはやめてった。