310・宮本武蔵「空の巻」「土匪来(3)(4)」


朗読「310空の巻51.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 00秒

しかるな」
 と、佐渡さどは、住職じゅうしょく気遣きづかいを、かえってたしなめて、
さむらいうそをつかぬ。いま菓子かしらすであろう」
 と、従者じゅうしゃに、すぐいいつけた。
 伊織いおりは、それをもらうと、すぐ懐中ふところれてしまった。佐渡さどがそれをて、
「なぜ、ここでべぬか」
 と、たずねると、
先生せんせいが、ってるから」
「ホ……先生せんせいとは?」
 佐渡さどは、かおをした。
 もうようはないといった容子ようすで、伊織いおりこたえずに、その部屋へやから素迅すばしッこく飛出とびだしてしまった。長岡佐渡ながおかさどわらいながら寝所しんじょへはいってゆく姿すがたへ、住職じゅうしょくは、再三再四さいさんさいし低頭平身ていとうへいしんしていたが、やがて、いかけるように、庫裡くりて、
小僧こぞう、どうしたか」
いまあわ背負せおって、かえってゆきましたが」
 と、そこにいるものこたえ。
 みみますと、くらそと何処どこかを、頓狂とんきょう葉笛はぶえおとながれてゆく――

ぴき、ぴー
ぴッぴッき、ぴーの
ぴよすけ、ぴゅー

 伊織いおりは、いいうたらないのが残念ざんねんだった。馬子まごうたうたは、おとらないのである。
 おぼんになると、おどりにうたうこの地方ちほう歌垣うたがきから転訛てんかしたようなうたも、葉笛はぶえには複雑ふくざつすぎてだめだった。
 結局けっきょくかれは、神楽囃子かぐらばやし律調しらべあたまえがきながら、くちて、しきりとみょうおときたててみちとおさをわすれてたが、やがて法典ほうてんはらちかくまでたかとおもころ
「おやっ?」
 と、くちびるを、つば一緒いっしょして、同時どうじにがさがさとかたわらのやぶいこんでしまった。
 二筋にすじ野川のがわは、そこからひとつになって、部落ぶらくほうながれている。その土橋どばしのうえにさん四人よにん大男おおおとこが、かおせてなにかひそひそごえわしているのである。
 伊織いおりは、その人間にんげんたちをたとたんに、
「――あっ、た」
 と、さきおととしのあき晩頃くれごろの、ことおもしたのであった。
 つこのへん母親ははおやは、ふたことめにはすぐ、
山神やまがみさまの輿こしれて、やましゅうへくれっちまうぞ)
 と、しかる。
 ちいさいあたまみついたそのこわさを――伊織いおりわすれていない。
 ずっとむかしは、その山神様やまがみさま白木しらき輿こしが、ここから八里はちり十里じゅうりさきやまやしろに、何年目なんねんめかの順番じゅんばんまわってると、えられたもので、土民どみんは、らせをうけると、かせめた五穀ごこくやら、大事だいじむすめまでも、因果いんがをふくめて化粧けしょうさせ、わざわざ松明たいまつ行列ぎょうれつつくって、そこへおさめにったものだそうであるが、何時いつごろからか、山神様やまがみさま正体しょうたいは、やはり人間にんげんだとわかってから、土民どみんのほうもずるをきめこんでおこたってしまった。
 ところが、戦国以来せんごくいらいは、その山神様やまがみさま徒党ととうが、やまやしろ白木しらき輿こしをおいてらせても、貢物みつぎないので、猪突ししつやりだの、熊射くまうゆみだの、おのだの手槍てやりだの、なるべく土民どみんただけでもちぢがってしまいそうな武器ぶきたずさえ、三年さんねんとか二年目にねんめとか、物資ぶっしたくわえられている状態じょうたいておいて、自身じしんほうから、部落部落ぶらくぶらくへ、出張しゅっちょうしてるようになってた。
 このへんには、その兇匪きょうひれが、さきおととしのあきやってた。――そのときさんたる光景こうけいで、幼心おさなごころにもこわかった記憶きおくが、いま――土橋どばしうえ人影ひとかげるとともに、いなずまのようにかれあたまおこされたのであった。

 ――やがてのこと。
 彼方かなたからまた、一群ひとむれ人間にんげんが、隊伍たいごつくってけてた。
「おうい」
 と、土橋どばしうえかげぶ。
「おおうい」
 と、こえこたえる。
 こえは、いくつも、方々ほうぼうからきこえてて、夜霞よがすみてへながれてゆく。
「……?」
 伊織いおりは、いきづまるようなをみはって、やぶなかからのぞいていた。いつのまにか、土橋どばし中心ちゅうしんとして、約四やくし五十名ごじゅうめい土匪どひくろにかたまっているのだった。そして、一群ひとむれ一群ひとむれが、なにやらくびせて凝議ぎょうぎしていたが、手筈てはずととのったものとみえ、
「それ――」
 と、首領しゅりょうらしいおとこをさしげると、いちぐんのように、そのすべてが、むらほうむかって、一散いっさんけてった。
「たいへんだ!」
 と、伊織いおりは、やぶなかから、くびばして、おそろしい光景こうけいえがいた。
 平和へいわ夜霞よがすみにつつまれて、ねむりにちていたむらには、たちまち、消魂けたたましい夜鶏よどりごえおこり、うしき、うまがいななき、老人としよりどものわめくのが、にとるようにきこえだした。
「そうだ……徳願寺とくがんじとまっているおさむらいさまへ」
 伊織いおりは、やぶびだした。
 そしてこの大変たいへんを、そこへらせようとおもって、健気けなげにも、あともどりかけると、もう人影ひとかげえないとばかりおもっていた土橋どばしかげから、
「やいっ」
 人間にんげんこえがした。
 伊織いおりは、つンのめるように、げだしたが、大人おとなあしにはおよばなかった。そこに張番はりばんしていた二人ふたり土匪どひのために、えりがみをつかまえられてしまった。
「どこへく」
「なんだ、てめえは」
 ――こえをあげて、わアといてしまえばいいのである。だが、伊織いおりには、けなかった。自分じぶんえりがみをるしあげているたくましいうでを、生半可なまはんか引掻ひっかきなどしたので、土匪どひは、このちいさいものにもうたがいぶかいひからした。
「こいつ、おれたちをかけて、何処どこかへ、らせにくつもりかなにかだぞ」
「そこらのたたッこんでしまえ」
「いや、こうしてこう」
 土橋どばししたへ、かれ蹴落けおとされた。すぐあとからりて土匪どひは、かれを、橋杭はしぐいくくりつけてしまった。
「よし」
 と、見捨みすてて、二人ふたりうえがってった。
 ごうん、ごうん……とてらかねりだした。もうてらでも、土匪どひ襲来しゅうらいったものとみえる。
 むらほうに、がった。土橋どばししたながれるみずが、のようにあかまってみえる。嬰児あかごごえはしる。おんな悲鳴ひめいがながれてくる。
 そのうちに、伊織いおりあたまうえを、ぐわらぐわらと、くるまわだちかよった。五名ごめい土匪どひは、牛車ぎゅうしゃや、うまに、ぬすんだ財物ざいぶつ満載まんさいして、そこをとおるのだった。
畜生ちくしょうッ」
「なにを」
「おらのかかかえせ」
生命いのちしらずめ」
 なにか――土橋どばしうえはじまった。土民どみん土匪どひとの格闘かくとうだった。すさまじいうめごえ跫音あしおとが、そこでみだれう。
 ――とうまに、伊織いおりまえへ、あけにまみれた死骸しがいが、ひとつまたひとつ――とつづけさまに蹴落けおとされてて、かれかおへ、しぶきをびせかけた。