309・宮本武蔵「空の巻」「土匪来(1)(2)」


朗読「309空の巻50.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 35秒

土匪来どひらい

 長岡ながおか佐渡さどは、度々たびたびこのてら姿すがたせる大檀那おおだんな一人ひとりだった。かれは、名将めいしょうきこえのたか三斎公さんさいこう――豊前小倉ぶぜんこくら城主細川じょうしゅほそかわ忠興ただおき家職かしょくであるから、てらは、もちろん縁者えんじゃ命日めいにちとか、公務こうむ小閑しょうかんに、つえいてるのである。
 江戸えどからしち八里はちりあるので、一泊いっぱくになる場合ばあいもある。従者じゅうしゃはいつも侍三名さむらいさんめい小者一名こものいちめいぐらい召連めしつれ、身分みぶんからすればきわめて質素しっそであった。
寺僧じそう
「はい」
「あまりかもうてくれるな。こころづくしはよろこばしいが、てら贅沢ぜいたくをしようとはおもわぬでの」
おそれいります」
「それよりは、わがままに、くつろがせてもらいたい」
「どうぞおままに」
無礼ぶれいゆるされよ」
 佐渡さどは、よこになって、しろびんづらへ手枕たまくらをかった。
 江戸えど藩邸はんていは、かれからだ寸暇すんかもなく忙殺ぼうさつさせる。かれは、寺詣てらまいりを口実こうじつに、ここへのがれてくるのかもしれない。野風呂のぶろびて、田舎醸いなかづくりのいっしゃくをかたむけたあと手枕たまくらのうつらうつらに、かわずこえいていると、なにもかも現世げんぜのものでなくなるようにわすれてしまう。
 こよいも佐渡さど此寺こことまって、遠蛙とおかわずいていた。
 寺僧じそうは、そっと、銚子ちょうしぜんげてゆく。従者じゅうしゃは、壁際かべぎわすわってあかりのまたたきに、手枕たまくら主人しゅじんが、風邪かぜをひきはすまいかと、あんかおにながめていた。
「ああよい心地ここち。このまま涅槃ねはんはいるかのようじゃ」
 手枕たまくらをかえたしおに、さむらいが、
「おかぜをすといけません。夜風よかぜつゆをふくんでおりますから」
 注意ちゅういすると、佐渡さどは、
てておけ。戦場せんじょうきたえたからだ夜露よつゆをするような気遣きづかいはない。このくらかぜなかには、はなのにおいが芬々ふんぷんとする――其方そちたちにもにおうか」
「とんと、わかりませぬ」
はなのきかぬおとこばかりじゃの。……ははははは」
 かれわらごえおおきいせいでもあるまいが、そのとき四辺あたりかえるこえがハタとんだ。
 ――とおもううち、
「こらっ、わっぱッ! そんなところへってお客様きゃくさまのお居間いまをのぞいてはならん」
 佐渡さど哄笑こうしょうよりも、はるかにおおきい寺僧じそうごえが、書院しょいん横縁よこえんきこえた。
 さむらいたちは、すぐって、
なんじゃ」
何事なにごとじゃ?」
 とまわした。
 そのかげると、だれか、ちいさな跫音あしおとがバタバタと庫裡くりほうげてったが、とがめたそうは、あとのこって、あたまげていた。
「おびいたしまする、なんせい土民どみんおやなし、おのがしくださいませ」
のぞでもしておったのか」
「そうでござります。ここから一里いちりほどさき法典ほうてんはらんでいた馬子まごのせがれでございますが、祖父おじい以前いぜんさむらいであったとかで、自分じぶんおおきくなるまでに、さむらいになるのだと口癖くちぐせもうしております。――で、貴方あなたがたのようなお武家様ぶけさまかけると、ゆびくわえて、のぞをするのでこまりまする」
 座敷ざしきなかころんでいた佐渡さどは、そのはなしにふとなおって、
「そこの御房ごぼう
「はい。……アアこれは長岡様ながおかさまで、おざめに」
「いやいやとがてではない。――そのわっぱとやら、おもしろそうなやつ徒然つれづれはな相手あいてには、ちょうどよい。菓子かしでもらせよう。これへ、んでおくれぬか」

 伊織いおりは、庫裡くりて、
「おばさん、あわがなくなったからりにたよ。あわれておくれ」
 と、一斗いっともはいる穀袋こくぶくろくちけて、呶鳴どなっていた。
「なんじゃこの餓鬼がきは。まるでしたものでもりにるように」
 おおきなくら台所だいどころから、てらばあやは呶鳴どなりかえした。
 いっしょにあらもの手伝てつだっていた納所なっしょぼうも、くちをそろえて、
「お住持じゅうじが、かあいそうじゃかられとっしゃるので、くれてるのじゃぞ。なんだ、おおきなつらして」
「おらのかおおおきいかい」
物貰ものもらいは、あわれなこえしてるものだ」
「おらは、物乞ものごいじゃない。和尚おしょうさんに、遺物かたみ巾着きんちゃくあずけてあるんだもの。――あのなかにゃあ、おかねもはいっているんだぞ」
野中のなか一軒家いっけんやの、馬子まごのおやじが、どれほどなおかねを餓鬼がきのこすものか」
「くれないのかい、あわを」
「だいいちおまえは阿呆あほうだぞ」
「なぜさ」
「どこのうまほねかわからない狂人牢人きょうじんろうにんにこき使つかわれて、あげくに、ものまでおまえがあさってあるくなどとは」
おおきなお世話せわだい」
にもはたけにもなりッこないあんな土地とちほじくりかえして、むらしゅうみなわらってござるぞ」
「いいよウだ」
「おまえもすこし、狂人きょうじんにかぶれてきたな。あの牢人者ろうにんものはお伽草子とぎぞうし黄金おうごんつかでもほんにして、たれにするまで、りちらしているだろうが、おまえはまだはなンぼのくせに、いまから自分じぶん墓穴ぼけつるのははやいじゃないか」
「うるさいな、あわしておくれよ、はやく、あわをおくれよ」
「アワといわないで、アカといってみろ」
「アカ」
「んべ! ……だ」
 納所なっしょぼうは、調子ちょうしって揶揄からかいながら、たまいて、ぬっとかおした。
 ぐしゃっと、雑巾ぞうきんのようなものが、そのかおりついた。納所坊なっしょぼうは、きゃっと悲鳴ひめいをあげてあおざめた。かれ大嫌だいきらいなおおきなイボがえるであった。
「このお玉杓子たまじゃくしめ」
 納所坊なっしょぼうはおどりして、伊織いおり首根くびねッこをつかまえた。そこへおくとまっている檀家だんか長岡佐渡様ながおかさどさまがおしになっている――というべつな寺僧じそうむかえであった。
「なにか、粗相そそうでもあったのか」
 と、住持じゅうじまでが、あんがおしてそこへたが、いえいえただ佐渡様さどさま徒然つれづれんでこいとっしゃるまでで――といて、
「それならよいが」
 と住持じゅうじはほっとしたが、なお、心配しんぱいらないとみえて、伊織いおりっぱって、自身じしん佐渡さどまえれてた。
 書院しょいん隣室りんしつには、もうよるものべてある。老体ろうたい佐渡さどは、よこになりたかったところだが、どもがきとみえて、伊織いおりが、ちょこなんと住職じゅうしょくのそばにすわったのをみると、
幾歳いくつじゃな」
 と、たずねた。
十三じゅうさん。ことしから、十三じゅうさんになりました」
 と伊織いおりは、相手あいて心得こころえている。
さむらいになりたいか」
 と、かれると、伊織いおりは、
「うん……」
 とうなずいた。
「では、わしの屋敷やしきい。水汲みずくみから、草履取ぞうりとりつとめあげたら、すえ若党わかとう取立とりたててやろうほどに」
 というと、伊織いおりは、だまってった。そんなはずはない、きまりがわるいのじゃろう、明日あした江戸えどれてかえる――とかさねて佐渡さどがいうと、伊織いおりは、納所なっしょぼうがしたように、アカンベーをして、
殿様とのさま、お菓子かしをくれなければうそつきだぜ。はやくおくれよ、もうかえるんだから」
 住職じゅうしょくあおくなって、からはなしたかれを、ピシャリとった。