307・宮本武蔵「空の巻」「この師この弟子(1)(2)」


朗読「307空の巻48.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 23秒

このこの弟子でし

 ここ五日青空ごにちあおぞらをみせて、高音こうおんすすきのつちかわきかけてたかとおもうとまた、野末のずえてからのびをした密雲みつうんが、るまに坂東一帯ばんどういったいを、日蝕にっしょくのようにくらくしてしまった。伊織いおりは、そらて、
先生せんせい、こんどは、ほんものがってきたよ」
 と、心配しんぱいそうにいった。
 いううちにも、すみのようなかぜく。かえところかえおくれた小鳥ことりは、ハタキおとされたようにち、草木くさきはみな葉裏はうらしろせておののつ。
一降ひとふるかな?」
 武蔵むさしくと、
一降ひとふりどころじゃないぜ、このそらは――。そうだ、おらはむらまでってよう。先生せんせい道具どうぐをまとめて、はや小屋こや引揚ひきあげたほうがいいよ」
 そらていう伊織いおり予言よげんは、いつもはずれたことがない。いまも、武蔵むさしへそういいのこすと、野分のわきをよぎるとりのように、かくれしてくさうみをどこともなくけてった。
 たして、かぜあめも、伊織いおりのいったとおり、いつものとはかわって、兇暴きょうぼうつのってくる。
「――何処どこったのか」
 武蔵むさしはひとり小屋こやかえったが、あんじられて時々外ときどきそとた。
 きょうの豪雨ごううつねちがう。おそろしい雨量うりょうである。そして一瞬いっしゅんにハタとやむ。やんだかとおもうとまえにもしてってくる。
 よるになった。
 あめはよもすがらこの湖底こていとしてしまうかとばかりりぬいた。ほっ小屋ごや屋根やねはいくたびもぶかとあやぶまれ、屋根裏やねうらいてある杉皮すぎかわが、いっぱいにりこぼされた。
こまったやつ」
 伊織いおりはまだかえらない。
 けてもなおえない。
 いやしらみかけて、きのうからの豪雨ごううのあとを見渡みわたすと、なおのこと、伊織いおりかえりは絶望ぜつぼうされた。日頃ひごろ曠野こうやは、一面いちめん泥海どろうみとなっている。所々ところどころくさが、浮洲うきすのようにえるだけだった。
 ここの小屋こやは、ややたかところえらんであるので、さいわいに、おかされないが、すぐした河原かわらは、濁流だくりゅうながれて、さながら大河たいが奔激ほんげきである。
「……もしや?」
 武蔵むさしはふとあんした。その濁流だくりゅうながされてゆく種々さまざまものて、ゆうべ闇夜やみよかえろうとした伊織いおりが、あやまって、おぼれでもしてしまったのではあるまいか――と聯想れんそうされたからである。
 だが、かれはそのとき、ごうごうとそらみず暴風雨あらしなかで、伊織いおりこえをどこかにいた。
「せんせーいっ。……先生せんせいーッ」
 武蔵むさしは、とり浮巣うきすみたいにみえる彼方かなたに、伊織いおりらしいかげた。いや伊織いおりにちがいない。
 何処どこったのか、かれうしってかえってたのだ。うしには自分じぶんのほかに、なになわからげたおおきな荷物にもつを、後先あとさきくくしつけている。
「おおう……?」

 とているまに、伊織いおりは、うし濁流だくりゅうれた。
 濁流だくりゅうあかいしぶきとうずたちまかれうしをつつんでしまう。ながされながされ、やっと、此方こなたきしくとうしかれも、ぶるいしながら、小屋こやのあるところがってた。
伊織いおり! 何処どこったのだ」
 なかおこるように――なかばほっとしたように、武蔵むさしがいうと、伊織いおりは、
何処どこへって、おら、むらって、ものをうんとってたんじゃないか。この暴風雨あらしは、きっと半年分はんとしぶんるとおもったから。――それに暴風雨ぼうふううがやんでも、この洪水みずはなかなか退かないにきまってるもの」

 武蔵むさしは、伊織いおり悧発りはつなのにおどろいたが、かんがえてみればかれ悧発りはつなのではない、自分じぶんどんなのである。
 天候てんこう悪兆候あくちょうこうをみたら、すぐ食物しょくもつ準備じゅんびかんがえておくことは、もの常識じょうしきで、伊織いおりは、嬰児あかごときから、こういう場合ばあいを、何度なんども、経験けいけんしているにちがいない。
 それにしても、うしからろした食物しょくもつは、すくないものではない。むしろき、桐油あぶらびきのかみいて伊織いおりが――
「これはあわ、これは小豆あずき、これは塩魚しおうお――」
 と、いくつものふくろをならべ、
先生せんせい、これだけあれば、ひとつきやふたつきみず退かなくっても、安心あんしんだろ」
 と、いう。
 武蔵むさしにはなみだたまった。健気けなげよともかたじけないともいいようがない。自分じぶんはここを開拓かいたくして、農土のうど寄与きよするものと、ただ気概きがいのみをたかいて、自分じぶんえるのをわすれていたが、そのえは、このちいさいものって、からくもしのがれているのだった。
 だが、自分じぶんたち師弟していを、狂人呼きょうじんよばわりしているむらものが、どうして、食物しょくもつほどこしてくれたろうか。むら者自身ものじしんさえ、この洪水こうずいでは、自身じしんえにおののいているにちがいない場合ばあいに。
 武蔵むさしが、その不審ふしんただすと、伊織いおりこともなげに、
「おらの巾着きんちゃくあずけて、徳願寺様とくがんじさまからりてた」
 と、いう。
徳願寺とくがんじとは?」
 とくと、この法典ほうてんはらから一里余いちりあまさきてらで、いつもかれ亡父ちちが、
(おれのあとひとりでこまったときは、この巾着きんちゃくなかにある砂金さきんすこしずつつかえ)
 といわれていたのをおもし、つねに、肌身はだみっていたその巾着きんちゃくあずけて、てら庫裡くりからりてたのだ――と、伊織いおりがおこたえる。
「では遺物かたみではないか」
 と武蔵むさしがいうと、
「そうだ、ふるいえいちゃったから、おとっさんの遺物かたみは、あれと、このかたなしかない」
 と、こし野差刀のざしでる。
 その野差刀のざしも、武蔵むさし一見いっけんしたことがあるが、うまれからの野差刀のざしではない。無銘むめいとはいえ、名刀めいとうはいってよいしなである。
 おもうに、この亡父ちち遺物かたみとして、肌身はだみたせておいた巾着きんちゃくにも、すこしの砂金さきんばかりでなく、なに由緒ゆいしょあるものではなかろうか――それを食物しょくもつあたいに、巾着きんちゃくぐるみあずけてたのは、やはりどもらしいが――また、可憐いじらしい、と武蔵むさしおもった。
おや遺物かたみなど、滅多めったに、ひとわたすものではない。いずれわしが、徳願寺とくがんじって、もらかえしてやるが、以後いごは、手離てばなすではないぞ」
「はい」
「ゆうべは、そのてらに、めてもらったのか」
和尚おしょうさんが、けてからかえれといいましたから」
朝飯あさめしは」
「おらもまだ。先生せんせいも、まだだろう」
「ウム。まきはあるか」
まきなら、くれてやるほどあるよ。――このえんしたは、みんなまきだよ」
 むしろいて、床下ゆかしたくびむと、日頃ひごろ開墾かいこんするうちにこころがけてはこんだ根瘤ねこぶだの、たけだのが、やまをなすほどたくわえてある。
 こんなおさなものにでも経済けいざい観念かんねんがある。だれがそれをおしえたか。まちがえばすぐ未開みかい自然しぜん生活せいかつであった。
 粟飯あわめしをたべおわると、伊織いおりは、武蔵むさしまえ一冊いっさつ書物しょもつってて、
先生せんせいみず退かないうちは、どうせ仕事しごとにもられないから、ほんおしえてください」
 と、かしこまっていった。
 そとは、その終日しゅうじつまない暴風雨あらしであった。