305・宮本武蔵「空の巻」「一指さす天(1)(2)」


朗読「305空の巻46.mp3」11 MB、長さ: 約 11分 41秒

一指いっしさすてん

弟子でしにする」
 武蔵むさしは、そので、三之助さんのすけ言葉ことばをつがえた。
 三之助さんのすけよろこびは、非常ひじょうなものだった。子供こどもは、よろこびをつつまない。
 二人ふたりは、一度いちどいえもどった。――明日あしたはもうここをるというので、三之助さんのすけは、こんな茅屋あばらやでも、自分じぶんまで三代さんだいんだ小屋こやかとながめて、もすがら、祖父おじいおもや、祖母おばあ亡母ははのことなどを、武蔵むさしはなしてかせた。
 そうして、あくあさ
 武蔵むさしは、支度したくして、さきのきていた。
「――伊織いおり伊織いおり。はやくい。ってくようなものなにもあるまい。あっても、未練みれんのこすな」
「はい。今参いままいります」
 三之助さんのすけは、うしろから、してた。のみのままの支度したくである。
 いま武蔵むさしが、「伊織いおり」とかれんだのは、かれ祖父そふが、最上家もがみけしんで、三沢伊織みさわいおりといい、代々伊織だいだいいおりしょうしていえだといたので、
(おまえも、わしの弟子でしとなって、さむらいかえったしおに、祖先そせんいだがよい)
 と、まだ元服げんぷくにははや年齢としであったが、ひとつの心構こころがまえをいだかせるために、ゆうべからそうぶことにしたのであった。
 しかし、今飛いまとして姿すがたると、あしにはいつもの馬子草鞋まごわらじ穿き、背中せなかには、粟飯あわめし弁当風呂敷べんとうふろしき背負せおって、しりきり着物一枚きものいちまい、どうながめても、さむらいではない、かえる旅立たびだちである。
うまとおくのってってつないでおけ」
先生せんせいってください」
「いや、まあいいから、彼方あっちつないでかえってい」
「はい」
 きのうまでは、なにかの返辞へんじも、ヘイであったが、今朝けさからはきゅうに、ハイにかわっている。子供こどもは、自分じぶんあらためることに、なんのためらいもたなかった。
 とおくへうまつないで、伊織いおりはまた、そこへかえってた。武蔵むさしは、まだ軒下のきしたっている。
なにてるんだろう?)
 伊織いおりには、不審ふしんであった。
 武蔵むさしは、かれつむりに、せて――
「おまえは、この藁屋わらやしたうまれた。おまえのかない気性きしょうくっしないたましいは、この藁屋わらやそだててくれたものだ」
「ええ」
 と、武蔵むさしをのせたまま、ちいさいつむりはうなずいた。
「おまえの祖父そふは、二君にくんつかえぬ節操せっそうをもって、この野小屋のごやにかくれ、おまえのちちは、そのひと晩節ばんせつまっとうさせるために、百姓ひゃくしょうあまんじて、わか時代じだいを、孝養こうようおくり、そして、おまえをのこしてんだ。――けれどおまえはもう、そのおやおくって、きょうからは一本立いっぽんだちだ」
「はい」
えらくなれよ」
「……え、え」
 伊織いおりは、をこすった。
三代さんだい雨露あめつゆをしのがせてもらった小屋こやに、をついて、わかれをいえ、れいをのべろ。……そうだ、もう名残なごりはよいな」
 いうと、武蔵むさしは、屋内おくないへはいって、けた。
 小屋こやるまに、えあがった。伊織いおりは、あつをしてていた。そのひとみが、あまかなしげなので武蔵むさしは、いてかせた。
「このままにしてれば、あとには野盗やとう追剥おいはぎむにきまっている。それではせっかく忠節ちゅうせつひとあとが、社会よのなかどくするもの便宜べんぎになるからいたのだ。……わかったか」
「ありがとうございます」
 ているうちに、小屋こや一山ひとやまとなり、やがて、十坪じゅっつぼもないはいってしまった。
「さ。きましょう」
 伊織いおりはもうさきく。少年しょうねんこころは、過去かこはいには、なん感奮かんぷんもなかった。
「いや、まだまだ」
 武蔵むさしは、くびってみせた。

「まだって? ……これからまだ、なにをするんですか」
 伊織いおりは、いぶかしそう。
 その不審顔ふしんがおわらって、
「これから、小屋こやてにかかるんだよ」
 と、武蔵むさしがいう。
「え? どうしてだろ。……たったいま小屋こやいちまったのに」
「あれは、きのうまでのおまえの御先祖ごせんぞ小屋こや。きょうからてるのは、われわれ二人ふたり明日あしたから小屋こやだ」
「じゃあ、またここへむんですか」
「そうだ」
修行しゅぎょうにはないんですか」
「もうているではないか。わしも、おまえにおしえるばかりではなく、わし自身じしんが、もっともっと修行しゅぎょうしなければならないのだ」
「なんの修行しゅぎょう?」
れたこと、けん修行しゅぎょう武士ぶし修行しゅぎょう――それはまた、こころ修行しゅぎょうだ。伊織いおり、あのおのをかついでい」
 ゆびさすところくと、いつのにか、そこのくさむらのなかにはおのだののこぎりだのまた、農具のうぐなどだけが、ほのおをかけずに、のこされてあった。
 伊織いおりは、おおきなおのをかつぎ、武蔵むさしあゆあといてった。
 栗林くりばやしがある。そこにはまつすぎもあった。
 武蔵むさしは、はだぎ、おのふるってした。丁々ちょうちょうと、生木なまきにくしろぶ。
 ――道場どうじょうこしらえる? この平野へいや道場どうじょう修行しゅぎょうする?
 伊織いおりには、いくら説明せつめいされてもわか程度ていどしかわからなかった。たびないで、この土地とちとどまることがなんだかつまらない。
 どさっ――とたおれる。次々つぎつぎおのたおしてゆく。
 のさした武蔵むさし栗色くりいろ皮膚ひふには、くろあせがりんりとながした。この日頃ひごろからの惰気だき倦怠けんたい孤愁こしゅうなどはみなあせとなってながれるかのようだ。
 かれ昨日きのう未明みめい一個いっこ農民のうみんおわった伊織いおりちちはかのあるやまから――坂東平野ばんどうへいや未開みかいをながめて、勃然ぼつぜんと、今日きょうのことを、おもったのであった。
(しばらく、けんいて、くわとう!)
 という発願ほつがんだった。
 けんみがくべく――ぜんをする、しょをまなぶ、ちゃにあそぶ、く、仏像ぶつぞうる。
 くわなかにも、けん修行しゅぎょうはあるはずだとおもう。
 しかも、この広茫こうぼう大地だいちは、さながらそのまま行道ぎょうどう絶好ぜっこう道場どうじょうであり、またくわつちには、かなら開墾かいこんしょうじ、その余恵よけいは、幾百年いくひゃくねんすえまで、幾多いくた人間にんげんやしなうことにもなる。
 武者修行むしゃしゅぎょうは、由来ゆらい行乞ぎょうこつ本則ほんそくとしている。ひと布施ふせってまなび、ひと軒端のきばをかりて雨露あめつゆをしのぐことを、禅家ぜんけそのほか沙門しゃもんのように、あたりまえなこととしている。
 けれど、いっぱんとうとさは、一粒ひとつぶこめでもひとくき野菜やさいでも、自分じぶんつくってみてはじめてわかることである。それをしない坊主ぼうずのことばがまま口頭禅こうとうぜんとしかきこえないように、布施ふせきている武者修行むしゃしゅぎょうけんのみをみがいても、それを治国ちこくみちかすことをらず、また、社会せけんばなれな武骨一偏ぶこついっぺんになってしまいやすいことも当然とうぜんである――と武蔵むさしおもった。
 武蔵むさしは、百姓ひゃくしょうわざは、っている。ははともに、おさなころは、郷士屋敷ごうしやしき裏畑うらばたて、百姓ひゃくしょうのすることもしたものだった。
 けれど、今日きょうからする百姓ひゃくしょうは、朝夕あさゆうかてのためではない、こころかてもとめるのだった。また、行乞ぎょうこつ生活せいかつから、はたらいてらう生活せいかつまなぶためだった。
 さらにまた、野茨のいばら沼草ぬまくさ繁茂はんもにまかせ、洪水こうずい風雨ふうう暴力ぼうりょくにも、すべて自然しぜんたいして、あきらめのしかたない農民のうみんに――子々孫々ししそんそんほねかわばかりの生活くらしつたえてながらも、依然いぜんをひらかないかれらに、をもって、自分じぶんかんがえを、えつけてやろうというのぞみもかけた。
伊織いおりなわってて、材木ざいもくをしばれ。――そして河原かわらほういてゆけ」
 おのてて、ほっと、あせひじぬぐいながら、武蔵むさしめいじた。