297・宮本武蔵「空の巻」「かんな屑(3)(4)」


朗読「297空の巻38.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 14秒

 稽古日けいこびは、月三回つきさんかいさんめて、そのになると、半瓦はんがわらいえ小次郎こじろう姿すがたえた。
伊達者だてしゃなかにまた一倍いちばい伊達者だてしゃくわわった」
 と、近所きんじょではうわさした。小次郎こじろう派手姿はですがたは、何処どこにいても、人目立ひとめだった。
 その小次郎こじろうが、枇杷びわなが木太刀きだちって、
つぎ。――つぎ!」
 と、ばわりながら、紺屋こうやで、大勢おおぜい稽古けいこをつけている姿すがたは、なおさら、ざましかった。
 いつになったら元服げんぷくするのか、もう二十三にじゅうさん四歳よんさいにもなろうというのに、相変あいかわらず前髪まえがみてず、片肌かたはだぬぐと、うばうような桃山ももやま刺繍ぬい襦袢じゅばんだすきにも、紫革むらさきがわもちいて、
枇杷びわたれると、ほねまでくさるともうすから、それを覚悟かくごでかかってい。――さっ、つぎものないか」
 身装みなりあでやかなだけに、言葉ことば殺伐さつばつなのが、よけいすごくひびく。
 それに稽古けいことはいえ、この指南者しなんしゃは、すこしも仮借かしゃくしないのだ。きょうまでにこの空地あきち道場どうじょうは、稽古初けいこはじめをしてから三回目さんかいめだが、半瓦はんがわらいえには一人ひとり重傷じゅうしょうと、五人ごにん怪我人けがにんができて、おくうなってている。
「――もうやめか、だれないのか。やめるならわしはかえるぞ」
 れい毒舌どくぜつ出始ではじめると、
「よしっ、一番いちばんおれが」
 と、たまりのなかから、ひとりの乾児こぶんが、口惜くやしがってちかけた。
 小次郎こじろうまえて、木剣ぼっけんひろおうとすると、――ぎゃっと、そのおとこは、木剣ぼっけんたずにへたばってしまった。
剣法けんぽうでは、油断ゆだんというものをもっとむ。――これはその稽古けいこをつけたのだ」
 小次郎こじろうは、そういって、まわりにいるさん四十人よんじゅうにんかおまわしている。みな生唾なまつばをのんで、かれきびしい稽古けいこぶりにおののいた。
 へたばったおとこを、井戸端いどばたかついでって、みずをかけていた乾児こぶんたちは、
「だめだ!」
んだのか」
「もう呼吸いきはねえ」
 あとからものもあって、がやがやさわいでいたが、小次郎こじろうは、見向みむきもしなかった。
「これくらいなことにおそれるようでは、剣術けんじゅつ稽古けいこなどはしないがいい。おまえらは、六方者むほうものだの伊達者だてものだのといわれて、ややもすると、喧嘩けんかするではないか」
 革足袋かわたびで、空地あきちつちんであるきながら、かれ講義口調こうぎくちょうでいう。
「――かんがえてみろ、六方者むほうもの。おまえらは、あしまれたからといっては喧嘩けんかをし、かたなのこじりにさわったといってはすぐにうがだ――いざ、あらためて、真剣勝負しんけんしょうぶとなると、からだかたくなってしまうのだろう。女出入おんなでいりや意地張いじばりの、ツマらぬことには生命いのちてるが、大義たいぎてるゆうたない。――なんでも、感情かんじょうはなっぱりでつ。――それじゃあいかん」
 小次郎こじろうは、むねばして、
「やはり修行しゅぎょう自信じしんでなければ、ほんものの勇気ゆうきでない。さあ、ってみろ」
 その広言こうげんへこましてやろうと、一人ひとりうしろからなぐりかかった。しかし、小次郎こじろうからだひくしずみ、不意ふいおそったおとこまえへもんどりった。
「――いてえっ」
 と、さけんだままそのおとこすわってしまった。枇杷びわ木剣ぼっけんが、こしほねあたったとき、がつんといった。
「――もう今日きょうはやめ」
 小次郎こじろうは、木剣ぼっけんほうして、井戸端いどばたあらいにった。たったいま自分じぶん木剣ぼっけんなぐころした乾児こぶんが、井戸いどながしに、みたいにしろっぽくなってんでいたが、そのかおのそばで、ざぶざぶとあらっても、死人しにんには、どくという一言ひとこともいわなかった。――そして、はだれると、
近頃ちかごろ、たいへんな人出ひとでだそうだな、葭原よしわらとやらは。……おまえたちはみなあかるいのだろう。だれ今夜案内こんやあんないせぬか」
 と、わらっていった。

 あそびたいときは、あそびたいというし、みたいときは、ませろという。
 てらいともえるが、率直そっちょくだともいえる。小次郎こじろうのそういう気性きしょうを、半瓦はんがわらはいいほうっている。
葭原よしわらをまだねえんですか。そいつあ一度いちどってなくちゃいけねえ。手前てまえがおともをしてもいいがなにしろ死人しにん一人出来ひとりできちまって、そいつの始末しまつをしてやらなけれやなりませんから――」
 と、弥次兵衛やじべえ乾児こぶんのお稚児ちごこも両名りょうめいかねあずけて、
「ご案内あんないしてあげろ」
 と、小次郎こじろうけてした。
 かけるさいかれらは親分おやぶん弥次兵衛やじべえからくれぐれも、
今夜こんやは、てめえたちがあそぶんじゃねえ。先生せんせいのご案内あんないをして、よくせておもうすのだぞ」
 といわれてたが、かどるとすぐわすれて、
「なあ兄弟きょうだい、こういう御用ごようなら、毎日仰まいにちおおせつかってもいいなあ」
先生せんせい、これから時々ときどき葭原よしはらてえと、っしゃっておくんなさい」
 と、はしゃいでいる。
「はははは。よかろう、時々ときどきいってやる」
 小次郎こじろうさきあゆむ。
 れる途端とたんに、江戸えどくらだった。京都きょうとはしにもこんなくらさはない。奈良なら大坂おおさかも、もっとよるあかるいが――と江戸えど一年いちねんあまりになる小次郎こじろうでも、まだ足元あしもと不馴ふなれだった。
「ひどいみちだ。提燈ちょうちんってればよかったな」
くるわ提燈ちょうちんなんぞってゆくとわらわれますぜ。先生せんせい、そっちはほりつちりあげてある土手どてだ。したをおあるきなさい」
「でも、水溜みずたまりがおおいではないか。――いまよしなかすべって、草履ぞうりらした」
 ほりみずが、忽然こつねんと、あかした。あおぐと、川向かわむこうのそらあかい。いっかく町屋まちやうえには、柏餅かしわもちのような晩春ばんしゅんつきがあった。
先生せんせい、あそこです」
「ほう……」
 をみはったとき三人さんにんはしわたっていた。小次郎こじろうわたりかけたはしをもどって、
「このはしは、どういうわけだな」
 と、くい文字もじていた。
「おやじばしっていうんでさ」
「それはここにいてあるが、どういうわけで」
庄司甚内しょうじじんないってえおやじがこのまちひらいたからでしょう。くるわ流行はやっている小唄こうたに、こんなのがありますぜ」
 こも十郎じゅうろうは、くるわかされて、ひくこえうたした。

  おやじがまえたけれんじ
  その一節ひとふしのなつかしや
  おやじがまえたけれんじ
  せめて一夜いちやちぎらばや
  おやじがまえたけれんじ
  いく千代ちよちぎるもの
  ちぎるもの……
  かたきになくな
  れぬたもと

先生せんせいにも、しましょうか」
なにを」
「こいつで、こうかおかくしてあるきます」
 と、稚児ちごこものふたりは、茜染あかねぞめ手拭てぬぐいはらって、あたまからかぶった。
「なるほど」
 と、小次郎こじろう真似まね袴腰はかまごしいていた小豆あずきいろ縮緬ちりめんを、前髪まえがみのうえからかぶって、あごしたにたっぷりむすんでげた。
伊達だてだな」
「よう似合にあう」
 はしわたると、ここばかりは、往来おうらいまり、格子格子こうしごうし人影ひとかげも、るようであった。