295・宮本武蔵「空の巻」「喧嘩河原(5)(6)」


朗読「295空の巻36.mp3」9 MB、長さ: 約 10分 05秒

わっぱどもっ。あそぶなら河原かわらあそべ、寺内じないはいって乱暴らんぼうするじゃないっ」
 番僧ばんそうは、縁側えんがわって、こう呶鳴どなった。
 んで子供こどもらは、目高めだかれのように、その縁側えんがわへとあつまって口々くちぐちに、
「たいへんだよ、おぼうさん」
何処どこかのおさむらいさんと、何処どこかのおさむらいさんたちが、河原かわら喧嘩けんかしてるよ」
一人ひとり四人よにんで」
かたないて」
「はやくってごらんよ」
 番僧ばんそうたちは、くとすぐ草履ぞうりあしろして、
「またか」
 と、つぶやいた。
 すぐそうとしたが、半瓦はんがわらやおすぎたちをかえりみて、
「お客様方きゃくさまがた、ちょっと失礼しつれいいたします。なにせい、このへん河原かわらは、喧嘩けんかには足場あしばがよいので、なんぞというと、はたいの場所ばしょになったり、おびしだの、なぐいだの、えずあめのふるところでしてな。――そのたびに、お奉行所ぶぎょうしょから始末書しまつしょもとめられますので、見届みとどけておかぬと」
 子供こどもたちはもう、河原かわらもりきわって、なにかこえをあげて昂奮こうふんしている。
斬合きりあいか」
 きらいでない半瓦はんがわら乾児こぶん二人ふたりも、その半瓦はんがわらも、けてった。
 おすぎばばは、一番後いちばんあとからもりけて、河原境かわらざかいって見渡みわたした。――だが、彼女かのじょあしがおそかったので、彼女かのじょがそこへてみたときは、なにも、それらしいものえなかった。
 また、あれほどさわいでいた子供こどもも、した大人おとなも、そのほかこの界隈かいわい漁村ぎょそん男女だんじょも、みなもりきわがくれに、しいんと、生唾なまつばをのんでしまって、声一こえひとてるものがない。
「……?」
 ばばはいぶかしくおもったが、すぐ彼女かのじょも、おなじようにいきをひそめ、ただ凝視ぎょうしを、じっとすえていた。
 わたすかぎり、いしころとみずばかりなひろ河原かわらであった。みずんだそらおないろをしていた。つばめかげが、その天地てんちひと自由じゆうけている。
 ――るといま、そのきれいなながれと、いしころのみちんで、彼方かなたからましたかおをしてあるいて一名いちめいさむらいがある。人影ひとかげといっては、それしか見当みあたらない。
 さむらいはまだうらわかおとこで、大太刀おおたちっているのと、牡丹色ぼたんいろ舶載地はくさいじ武者羽織むしゃばおりているていがひどく派手はでやかであった。そして、かくも大勢おおぜいに、木陰こかげからられているのを、ってからずにいるのか、いっこう無関心むかんしんらしく、ふと、立止たちどまった。
「……ア。ア」
 と、そのとき、ばばのちかくにいた傍観者ぼうかんしゃが、ひくこえをもらした。
 ばばも、はっと、をひからした。
 牡丹色ぼたんいろ武者羽織むしゃばおりちどまったところから、約十間やくじゅっけんほどあとに、よっつの死骸しがいが、さんをみだして、りふせられていたことがわかった。喧嘩けんか勝敗しょうはいはもうそれでついていたのである。四人よにんたいして、一人ひとりわか武者羽織むしゃばおりほうが、決定的けっていてきに、ちをめたものらしい。
 ところが、まだその四人よにんのうちには、薄傷うすで程度ていどで、多少たしょう呼息いきのあるものがあったとみえ、牡丹色ぼたんいろ武者羽織むしゃばおりが、ハッと振向ふりむくと、そこの死骸しがいから、人魂ひとだまのように、まみれな一箇いっこが、
「まだッ、まだッ。勝負しょうぶはまだだっ。げるなっ」
 と、いかけてた。
 武者羽織むしゃばおりは、なおって、尋常じんじょうちかまえていたが、たまのような負傷ておいが、
「まだ、お、お、おれはまだ、きてるぞっ」
 わめいて、りかかると、此方こなたは、一歩いっぽ退いて、相手あいておよがせ、
「これでも、まだかっ」
 西瓜すいかったように、人間にんげんかおれてしまった。ったかたなは、武者羽織むしゃばおり背中せなかっていた「物干竿ものほしざお」とよぶ長剣ちょうけんであったが、肩越かたごしに、つかったも、げた手元てもとも、にはえないほどなわざであった。

 かたなぬぐっている。
 それから、ながれで、あらっている。
 度々たびたび、このへんで、斬合きりあいつけているものでも、その落着おちつきぶりに、嘆息ためいきをもらしたが、またあまりにも、凄愴せいそうなものにたれて、なかにはているだけで、あおざめてしまったものもある。
「…………」
 とにかくだれも、そのあいだ一語いちごはっしるものもなかった。
 いた牡丹色ぼたんいろ武者羽織むしゃばおりばして、
岩国川いわくにがわみずのようだ。……故郷くにおもすなあ」
 と、つぶやいて、しばらく、隅田河原すみだかわらのひろさや、みずをかすめてかえつばめしろはら見送みおくっていた。
 ――やがてかれは、きゅうあしはやめた。もう死骸しがいいかけてうれいはなかったが、のち面倒めんどうかんがえたらしい。
 河原かわら水瀬みなせに、かれは、いっそう小舟こぶねつけた。いているし、恰好かっこう乗物のりものおもったのであろう。それへって、つないでいるつなきかけるのであった。
「やいっ、さむらい
 半瓦はんがわら乾児こぶんの、こも十郎じゅうろうとお稚児ちご小六ころく二人ふたりだった。
 こうあいだからいきなり呶鳴どなって、河原かわら水際みぎわしてき、
「そのふねを、どうするだ」
 と、とがめた。
 武者羽織むしゃばおりからだには、ちかづくとまだ血腥ちなまぐさいにおいがかんじられた。はかまにもわらじのにも、かえがこびりついていた。
「……いけないのか」
 きかけた繋綱もやいはなして、そのかおがにっとわらうと、
「あたりめえだ。これは、おれたちの持舟もちぶねだ」
「そうか。……駄賃だちんをやったらよろしかろう」
「ふざけるな、おれたちは、船頭せんどうじゃあねえ」
 たったいま、そこで四人よにん一人ひとりてたさむらいたいして、こういうくちがきけるあらさは、お稚児ちごこもくちりて、関東かんとう勃興文化ぼっこうぶんかがいうのである。新将軍しんしょうぐん威勢いせい江戸えどつちがいうのである。
「…………」
 わるかったとはいわない。
 しかし、牡丹色ぼたんいろ武者羽織むしゃばおりも、それに横車よこぐるませなかったとえ、小舟こぶねからると、だまってまた河原かわら下流しもほうあるした。
小次郎こじろうどの。――小次郎こじろうどのじゃないか」
 おすぎはそのまえせまってっていた。かおあわすと、小次郎こじろうは、やあといって、はじめて凄愴せいそう青白あおじろさを、かおからててわらった。
「いたのか。こんなところに。――いや、そのあとは、どうしたかとおもうていたが」
せている半瓦はんがわらあるじわかものと、観世音かんぜおん参詣さんけいにの」
「いつであったか、そうそう、叡山えいざんでおにかかったおり江戸えどへといていたので、いそうなものとおもうていたが、こんなところでとは」
 と、りかえって、呆気あっけにとられているこもやお稚児ちごでさしながら、
「では、あれが婆殿ばばどのれのものか」
「そうじゃ。親分おやぶんというおひと出来できている人間にんげんじゃが、わかものたちは、ひどくぞろいでの」
 ばばが小次郎こじろう馴々なれなれしく立話たちばなしをはじめたことは、衆目しゅうもくをそばだたせたばかりでなく、半瓦はんがわら弥次兵衛やじべえも、意外いがいであった。
 で、半瓦はんがわらはそれへて、
「なにか唯今ただいま乾児こぶんものが、不作法ぶさほうもうしあげたらしゅうございますが」
 と、丁寧ていねいび、
「てまえどもも、もうかえろうとしているところなんならば、おいそぎのさきまで、ふねでおおくもうしましょう」
 と、すすめた。