294・宮本武蔵「空の巻」「喧嘩河原(3)(4)」


朗読「294空の巻35.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 47秒

 人々ひとびと河原かわらりた。ばばはすこっている。としのせいかふねからあしうつすのに、よろめく気味きみであった。
「あぶない、をとろう」
 半瓦はんがわらをひくと、
「なんの、やめてくだされ」
 ばばる。
 としよりあつかいがもとからきらいなたちなのである。乾児こぶんこも十郎じゅうろうとお稚児ちご小六ころくは、ふねをつないであとからいた。河原かわら渺々びょうびょうとしてかぎいしころとみずであった。
 するとその河原かわらいしころをおこして、かにでもつかまえているらしい子供こどもが、たまたま、かわからがっためずらしい人影ひとかげて、
「おじさん、っとくれ」
「ばばさん、っとくれよ」
 と、半瓦はんがわらとおすぎのまわりにあつまってて、うるさく強請せがむ。
 子供こどもきとみえて、半瓦はんがわら弥次兵衛やじべえはうるさがりもせず、
「なんだかにか。かになんざいらねえよ」
 子供こどもらは、一斉いっせいに、
かにじゃないよ」
 と、着物きものすそをふくろにしたり、ふところにれたり、っているものしめして、
だよ、だよ」
 とあらそっていう。
「なんだ、やじりか」
「ああ、やじりだよ」
浅草寺せんそうじのそばのやぶに、人間にんげんうまめたつかがあるよ。おまいりするひとは、そこへこのやじりげておがむよ。おじさんもげてくれよ」
やじりらない。だが、ぜにをやるからいいだろう」
 半瓦はんがわらが、ぜにあたえると、子供こどもたちはまた、らかって、やじりっていたが、すぐ附近ふきんわら屋根やねいえから、子供こどもたちのおやて、ぜにだけをげてった。
「ちぇっ」
 半瓦はんがわらは、いやがしたとみえ、舌打したうちして、をそらしたが、ばばは恍惚こうこつと、ひろ河原かわらながめに見惚みとれていた。
「このへんから、あのようにやじりがたんとるところをると、この河原かわらにも、合戦かっせんがあったのじゃろうのう」
「よくはらぬが、荏土えどしょうといわれていたころいくさがたびたびあったらしいな。とおくは、治承じしょうむかし源頼朝みなもとのよりともが、伊豆いずからわたって、関東かんとうへいをあつめたのもこの河原かわら。――また、南朝なんちょう御世みよころ新田しんでん武蔵守むさしのかみ小手指こてさしはら合戦かっせんからわたって、足利あしかががたかぜをびたのもこのあたりだし――ちかくは、天正てんしょうころ太田おおた道灌どうかん一族いちぞくだの、千葉氏ちばし一党いっとうが、いくたびもおこり、幾度いくどほろんだあとが――このさき石浜いしはま河原かわらだそうな」
 はなしながら、あるすと、こも十郎じゅうろうとお稚児ちごのふたりは、もう浅草寺せんそうじ御堂みどうふちって、さきこしかけている。
 れば、てらとはのみの、ひどい茅葺堂かやぶきどう一宇いちうと、そうむあばらが、どううらにあるだけにぎない。
「……なんじゃ、これが江戸えどしゅうがよくいう金龍山浅草寺きんりゅうざんせんそうじかいな」
 ばばは、一応失望いちおうしつぼうした。
 奈良京都ならきょうとあたりのふる文化ぶんか遺跡いせきには、あまりにも原始的げんしてきであった。
 大川おおかわみずは、洪水こうずいときもりあらってひたるとみえ、御堂みどうのすぐそばまで、平常へいじょうでも、わかみずがひたひたとせていた。御堂みどうかこみな千年せんねん年経としたったような喬木きょうぼくであった。――何処どこかでその喬木きょうぼくたおおのおとが、怪鳥かいちょうでもくように、時々ときどき、コーン、コーンとひびく。
「やあ、おいでなされ」
 不意ふいに、あたまうえで、挨拶あいさつするこえきこえた。
(――だれ?)
 とおどろいて、ばばがをあげてみると、御堂みどう屋根やねうえすわって、かや屋根やね修繕しゅうぜんをしている観音堂かんのんどう坊主ぼうずたちであった。
 半瓦はんがわら弥次兵衛やじべえかおは、こんなまちはしにもられているとえる。したから挨拶あいさつかえしながら、
「ご苦労様くろうさま。きょうは、屋根やねでござりますかな」
「はあ、このへんには、おおきなとりんでおりますでな、つくろってもつくろっても、かやをついばんでは、ってってしまうので、雨漏あまもりがしてよわりますわい。……いまりますゆえ、しばらく、おやすみくださいませ」

 神燈みあかしをあげて、どうなかすわってみると、なるほど、これではあめろう、かべからも屋根裏やねうらからもほしのように、ひるあかりがれてみえる。

  如日虚空住にょにちこくうじゅう
  或被悪人逐わくひあくにんちく
  堕落だらく金剛山こんごうせん
  念彼観音力ねんぴかんのんりき
  不能損一毛ふのうそんいちもう
  或値怨賊遶わくじおんぞくにょう
  各執刀加害かくしゅうとうかがい
  念彼ねんび観音力かんのんりき
  げん即起慈心そくきじしん
  或遭わくそう王難苦おうなんく
  臨刑欲寿終りんぎょうよくじゅじゅう
  念彼観音力ねんぴかんのんりき
  刀尋とうじん段々壊だんだんね

 半瓦はんがわらならんだおすぎは、たもとから、数珠ずずをとりし、もう無想むそうになって、普門品ふもんぼんとなえていた。
 はじめは低声こごえであったが、そのうちに半瓦はんがわら乾児こぶんがいることもわすてた有様ありさまで、朗々ろうろうこえたかまるにつれて、かお形相ぎょうそうも、ものかれたようにかわってしまう。
 一巻いっかんおわると、ちふるえるゆび数珠じゅずみ、
「――衆中八万四千衆生しゅうちゅうはちまんよんせんしゅじょう皆発無かんぱつむ等々とうとう阿耨多羅三藐あのくたらさんみゃくさん菩提心ぼだいしん。――南無大慈大悲なむだいじだいひ観世音菩薩かんぜおんぼさつ――なにとぞ、ばばが一念いちねんをあわれみたまい、一日いちにちもはやく、武蔵むさしたせたまえ。武蔵むさしたせたまえ。武蔵むさしたせたまえ」
 それからまた、にわかに、こえからだしずめて、ひれしながら、
又八またはちめが、よいになり、本位田ほんいでんさかえまするよう」
 彼女かのじょいのりがおわった様子ようすをさしのぞいて、堂守どうもりそうが、
「あちらへ、かしておきました。渋茶しぶちゃなどおがりくださいまし」
 半瓦はんがわら乾児こぶんも、ばばのために、しびれをさすりながらがった。
 乾児こぶん十郎じゅうろうは、
「もう、ここなら、んでもようございましょう」
 ゆるしをうけると早速さっそく堂裏どううらにあるそう住居じゅうきょ縁側えんがわに、弁当べんとうをひろげ、ふねもとめたさかななどをいてもらって、
「このへんに、さくらはねえが、花見はなみたようながするぜ」
 と、お稚児ちご小六ころく相手あいてに、すっかり落着おちつきこむ。
 半瓦はんがわらは、布施ふせをつつんで、
「お屋根料やねりょうしに」
 と、若干なにがしかを寄進きしんしたが、ふとかべえる参詣者さんけいしゃ寄進札きしんふだのうちに、をみはった。
 寄進きしんおおくは、今彼いまかれがつつんだ程度ていどかねか、それ以下いかがくであったが、なかにたったひとり、ずばけた篤志家とくしかがある。

  黄金十こがねじゅうまい
        しなの奈良井宿ならいしゅく 大蔵だいぞう

「おぼうさん」
「はい」
「さもしいことをいうようだが、黄金十枚こがねじゅうまいといっちゃ当節大金とうせつたいきんだ。いったい奈良井ならい大蔵だいぞうというのは、そんな金持かねもちかな」
「ようぞんじませんが、昨年さくねんとしくれに、ぶらりとご参詣さんけいなさいまして、関東一かんとういち名刹めいさつが、このおすがたはいたましい、ご普請ふしんおりには、お材木代ざいもくだいはしくわえてくれといって、いてかれましたので」
気持きもちのいい人間にんげんもあるものだな」
「ところが、だんだんきますと、その大蔵様だいぞうさまは、湯島ゆしま天神てんじんへも、金三枚きんさんまい寄進きしんなさいました。神田かんだ明神みょうじんへは、あれはたいら将門まさかどこうまつったもので、将門公まさかどこう謀叛人むほんにんなどとつたえられているのは、はなはだしいまちがいだ。関東かんとうひらけたのは、将門公まさかどこうのおちからもあるのに――といって黄金二十枚こがねにじゅうまい献納けんのうしたということでございますが、には、ふしぎな奇特人きとくにんもあるもので……」
 と――そのとき河原かわら寺内てらうちとのさかいもりを、むこずに、ばらばらとんで狼藉ろうぜき跫音あしおとがあった。