293・宮本武蔵「空の巻」「喧嘩河原(1)(2)」


朗読「293空の巻34.mp3」10 MB、長さ: 約 10分 53秒

喧嘩河原けんかかわら

 よくよく居心地いごこちがよいとみえ、おすぎばばが半瓦はんがわらいえ起臥おきふしはじめてから、月日つきひはいつか一年いちねんはんめぐっている。
 その一年いちねんはんあいだ、ばばはなにをしていたかというと、からだが、がっしりなおってからは、
おもわずながいお世話せわになりましたわいの。もうおいとまをせにゃならぬ)
 と、今日きょう明日あすはと、いいくらしてたにぎない。
 しかし、ひまおうにも、主人あるじ半瓦弥次兵衛はんがわらやじべえとは、めったにかおわすこともない。たまたま、いたとおもえば、
(まあまあ、そうのみじかいことをいわずに、ゆるりと、かたきをさがしなされ。身内みうちものも、えずこころがけているのだから、っつけ、武蔵むさし居所いどころをつきとめ、ばば殿どのに、助太刀すけだちしようというているのに)
 そういわれると、彼女かのじょもまた、ここののきからせる。
 はじめのうちは、およそ江戸えどという土地とち風俗ふうぞくを、きらっていた彼女かのじょも、この半瓦はんがわらいえ一年いちねんはんごすうちに、
江戸えどひと親切しんせつさ)
 をみて、
なんという、ままなくらし)
 と、ほそめて、この土地とち人間にんげんながめるようになっていた。
 わけても、半瓦はんがわらいえはそうだった。ここには百姓出ひゃくしょうでなまものもいるし、せきはらくずれの牢人ろうにんも、おやかね蕩尽とうじんしてげて極道者ごくどうものも、おととい牢屋ろうやから入墨者いれずみものもいるが――それが弥次兵衛やじべえという戸長こちょうもとに、大家族式だいかぞくしき生活せいかついとなみ、ざッかけない、あらっぽい、きわめてしだらな――なかにも整然せいぜんたる階級かいきゅうって、
おとこみがきあう)
 ということを御神燈みあかしてて、一種いっしゅ六方者むほうもの道場どうじょう世帯せたいとしているのだった。
 この六方者道場むほうものどうじょうには、親分おやぶんした兄哥あにきがあり、兄哥あにきした乾児こぶんがあり、その乾児こぶんのうちにも古参新参こさんしんざん区別くべつがやかましく、ほか客分格きゃくぶんかくだの、仲間なかま礼儀作法れいぎさほうも、だれてたともなく、非常ひじょう厳密げんみつであった。
(ただあそんでござるのが退屈たいくつだったら、わかもの世話せわなどみてくれると有難ありがたい)
 と、弥次兵衛やじべえにいわれたところから、おすぎばばは、一間ひとまにあって、沢山たくさんもの洗濯せんたくとか、縫物ぬいものなどを、お針子はりこあつめてては、整理せいりしてやっている。
(さすがに、さむらいのご隠居いんきょだ。本位田ほんいでんとやらも、相当そうとう家風かふうった家筋いえすじとみえる)
 ものは、うわさった。おすぎばばの厳格げんかく起居ききょ家政かせいぶりは、ひどくかれらを感嘆かんたんせしめた。また、それが六方者道場むほうものどうじょう風紀ふうきただすうえに役立やくだった。
 六方者むほうものということばは、無法者むほうものにもつうじる。つかなが大小だいしょう突出つきだし、二本にほんずねと、二本にほんのこじりをってあるおとこ姿すがたからまち綽名あだななのである。
宮本武蔵みやもとむさしというさむらいまわったら、すぐあのばば殿どのらせてやれ」
 半瓦はんがわら身内みうちは、ひとしくこうこころがけていたが、すでに一年いちねんはんからになるが、その武蔵むさしようとしてこの江戸えどにはかなかった。
 半瓦弥次兵衛はんがわらやじべえは、おすぎばばのくちから、その意志いし境遇きょうぐういて、はなはだしく同情どうじょういだいたのである。で、かれった武蔵むさしかんは、当然とうぜん、おすぎばばの武蔵観むさしかんであった。
「えらい婆殿ばばどのだ。にくむべき野郎やろう武蔵むさしとやらだ」
 そうしてかれは、おすぎばばのために、うら空地あきち一室いっしつててやったり、いえにいるは、朝夕ちょうせき挨拶あいさつたりして、賓客ひんきゃくつかえるように、このばばを大事だいじにした。
 乾児こぶんが、かれたずねた。
「おきゃく大事だいじになさるのはいいが、親分おやぶんともあろうものが、どうして、そんなに鄭重ていちょうになさるんですかえ」
 すると、半瓦はんがわらはこうこたえた。
「このごろおれは、他人たにんおやでもとしよりをると、親孝行おやこうこうがしたくなるんだ。……だからおれが、どんなに、自分じぶんんだおやには、親不孝おやふこうだったかわかるだろう」

 まちなかの野梅のうめった。江戸えどにはまださくらはほとんどなかった。
 わずかに、やまがけに、山桜やまざくらしろられる。近年きんねん浅草寺せんそうじまえに、さくら並木なみき移植いしょくした奇特家きとくかがあって、まだ若木わかぎではあるが、ことしはだいぶつぼみったという。
「ばば殿どの、きょうはひとつ、浅草寺せんそうじへおともしようとおもうが、はないか」
 半瓦はんがわらさそいに、
「おう、観世音かんぜおんは、わしも信仰しんこうじゃ。ぜひれてってたも」
「では――」
 と、いうので、おすぎばばもくわえて、乾児こぶんこも十郎じゅうろうに、お稚児ちご小六ころく二人ふたり弁当べんとうなどたせて、京橋堀きょうばしほりからふねった。
 お稚児ちごといえばやさしげにきこえるが、これがむこきずのあるにくのかたじまりな、いかにも喧嘩早けんかっぱやうまれつきに出来できているような小男こおとこで、はうまい。
 ほりから隅田すみだのながれへすと、半瓦はんがわらは、重筥じゅうばこけさせて、
「おばあさん、じつ今日きょうは、わしのおふくろの命日めいにちなのです。墓詣はかまいりといっても、故郷くに遠国おんごくなので、浅草寺せんそうじへでもおまいりして、なにひとつ、今日きょういことをしてかえろうとおもうのだ。……だから遊山ゆさんのつもりで、一献ひとつりましょう」
 と、さかずきって、ふなべりからをのばし、大川おおかわみず杯洗はいせんにしてさっとしずくってばばした。
「そうか。……それはそれはやさしいおこころがけじゃな」
 おすぎはふと、自分じぶんにもやがて命日めいにちかんがえた。それはすぐ、又八またはちかんがえることでもあった。
「さ、すこしはけるでしょう。みずうえだが、わしらがついているから、安心あんしんしてうておくんなさい」
御命日ごめいにちなのに、さけをのんでも、わるいことはござりませぬか」
六方者むほうものは、うそかざりの儀式ぎしき大嫌だいきらい。それに此方人こちとらは、門徒もんとだから、物知ものしらずでいいのです」
ひさしゅう、さけまなんだ。――さけはたべても、このように、暢々のびのびとはのう」
 おすぎは、さかずきかさねた。
 隅田宿すみだじゅくほうからながれてくるこの大河たいが満々まんまんとしてひろかった。下総しもうさりのきしほうには、鬱蒼うっそうとしたもりかさなり、河水かわみずあらわれているあたりは、みずもまっさお日陰ひかげとろになっている。
「オオ、うぐいすきぬいて」
梅雨頃つゆごろには、昼間ひるまも、ひるほととぎすがきぬくが……まだ時鳥ほととぎすは」
「ご返杯へんぱいじゃ。……親分様おやぶんさま、きょうはばばもよい供養くようのおこぼれにあずかりましたわえ」
「そう、よろこんでくれると、わしも有難ありがたい。さあ、もっとかさねぬか」
 すると、いでいるお稚児ちごが、うらやましそうに、
親分おやぶん、こっちへも、すこまわしてもらいてえもので」
「てめえは、がうまいかられてたのだ。きにますとあぶねえから、かえりにはふんだんにめ」
我慢がまんつらいものだ。大川おおかわみずがみんなさけえる」
「お稚児ちご、あそこであみっているふねせて、さかなすこめ」
 心得こころえて、お稚児ちごぎよせて、漁師りょうしにかけうと、なんでもってきなされと、漁師りょうし船板ふないたけてみせる。
 山国やまぐにいたおすぎばばには、をみはるほどめずらしかった。
 船底ふなぞこにバチャバチャきているさかなると、こいますがある。すずき、はぜにくろだいがある。手長てながえびやなまずもある。
 半瓦はんがわらは、白魚しらうおをすぐ醤油しょうゆにつけてべ、彼女かのじょにもすすめたが、
なまぐさは、ようべぬ」
 と、ばばはくびって、おぞけをふるった。
 ふねもなく、隅田河原すみだかわら西にしへついた。河原かわらがると、波打なみうぎわもりなかに、すぐ浅草観音堂あさくさかんのんどう茅葺かやぶき屋根やねえた。