291・宮本武蔵「空の巻」「草分の人々(1)(2)」


朗読「291空の巻32.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 04秒

草分くさわけ人々ひとびと

 本位田ほんいでん又八またはちははが、江戸表えどおもてたのは、そのとし五月末頃ごがつまつごろであった。
 気候きこうは、めっきりあつくなっていた。ことしは空梅雨からつゆか、ひとつぶあめえない。
「こんな草原そうげんよしおお沼地ぬまちへ――なんでまたこんなにいえつのじゃろ?」
 江戸えどて、彼女かのじょ第一印象だいいちいんしょうは、そんなつぶやきであった。
 きょう大津おおつてから約二やくに月近げつちかくもかかって、彼女かのじょはやっといまいたのである。みち東海道とうかいどうをとってたものらしく、途中とちゅうでは、持病じびょうやら信心詣しんじんまいりやら、道草みちくさおおいので、みやこをばかすみとともにでしかど――といううたどおりはるけくふりかえられる。
 高輪たかなわ街道かいどうには、近頃植ちかごろうえた並木なみきや、一里塚いちりづかもできていた。汐入しおいりから日本橋にほんばしへゆくみちは、あたらしい市街しがい幹線道路かんせんどうろなので、わりあいにあるきよいが、それでも、いし材木ざいもくをつんだ牛車ぎゅうしゃがひっきりなしにとおるのと、人家じんか普請ふしんや、埋地うめち土運つちはこびなどで、あしもともわるく、あめもふらないので、濛々もうもうと、しろほこりっている。
「――ア、なんじゃ?」
 彼女かのじょは、目角めかどてて、普請中ふしんちゅうあたらしい民家みんかなかめつけた。
 なかわらこえがした。
 左官屋さかんやかべっているのである。さきからんできた壁土かべつちが、彼女かのじょ着物きものをよごしたのであった。
 としっても、こういうことには我慢がまんのならないばばであった。ついこの年頃としごろまで、郷里きょうりでは、本位田ほんいでん隠居いんきょとおった権式けんしきぐせが、とたんにっとるのである。
往来おうらいものへ、壁土かべつちをはねかえしながら、びもせず、わろうているというほうがあろうか」
 郷里きょうりはたけでこういえば、小作こさくむらものは、慴伏しょうふくしたものであった。しかし、御新開ごしんかい江戸えどにわかながれてて、あらつちをこねている左官屋職人さかんやしょくにんは、をうごかしながらはなわらった。
「なんだって。――へんなばばあが、なにか、ぶつぶついってるぜ」
 お杉婆すぎばばは、いよいよおこって、
いまわろうたのは、いったいだれじゃ」
「みんなだよ」
「なんじゃと」
 ばばがかたをいからせるほど職人しょくにんたちはわらっていた。
 としがいもない――よせばいいのにと、あしめた往来おうらいものは、はらはらしていたが、ばばの性格せいかくがそれではすまなかった。
 だまって、彼女かのじょ土間どまなかはいってった。そして左官さかんたちが、足場あしばにしてっているいたをかけながら、
「おのれであろうが」
 と、いたはずした。
 左官さかんたちは、漆喰しっくいいたどろびて、いたうえからころげちた。
「こん畜生ちくしょう
 きると、左官さかんたちは、ひとつかみにしてしまいそうなけんまくで、おすぎばばのまえったが、
「さあ、そとい」
 ばばは、脇差わきざしをかけて、すこしもとしよりらしいひるみはせない。
 そのいきおいに、職人しょくにんたちは、をのまれてしまった。こんなばあさんがあろうかと意外いがいであった。すがたや言葉ことばづかいからかんがえて、さむらいのおふくろであることはれているし、へたな真似まねをしては――と、きゅうおそれをなしたかおいろである。
「このあといまのような無礼ぶれいをしやると、承知しょうちせぬぞよ」
 これでいいのだ、ばばはがすんだとみえて、往来おうらいった。往来おうらいもの彼女かのじょのきかないらしいうし見送みおくってちらかった。
 すると、くず泥足どろあしにひきずった左官屋さかんや小僧こぞうが、ふいに普請場ふしんばよこからしてって、
「この、ばばめ」
 いきなり、手桶ておけを、彼女かのじょからだへぶちまけて、かくれてしまった。

なにするかっ」
 いたときは、もう悪戯いたずら下手人げしゅにんはいなかった。
 自分じぶんびた壁土かべつちづくと、彼女かのじょかおは、無念むねんそうなうちに、しそうなかおしかめて、
なにわらう?」
 と、こんどは、わらっている往来おうらいものむかって、いいちらした。
「げらげらと、なにがおかしゅうて、わらさるのじゃ。いぼれは、わしのみではないぞえ。おぬしらも、やがてはとしるのじゃぞ。はるばると遠国おんごくからえてたこのとしよりを、親切しんせついたわろうとはせず、つちびせたり、をむいて嘲笑あざわらうたりするのが江戸えどしゅう人情にんじょうか」
 ののしるために、往来おうらいはよけいあしめ、また愈々いよいよわらごえすことが、お杉婆すぎばばにはわからぬらしい。
「お江戸えど江戸えどと、日本にほんじゅうではいま、このうえもない土地ところのように、えらいうわさじゃが、なんのことじゃ、てみれば、やまくずし、葭沼よしぬまめ、ほりってはうみっているあわただしいほこりばかり。おまけに人情にんじょううて、ひとがらの下品げびていることは、きょうから西にしにはられぬことじゃ」
 これで、ばばすこむねがすいたとみえる。なおわら群衆ぐんしゅうてて、忌々いまいましげに、あしをはやめてった。
 まちはどこをても、木口きぐちかべあたらしくて、ぎらぎらとるし、空地あきちると、まだめきれないつちしたから、よしあしれてしている。かわいたうしふんは、はなにはいるがするのであった。
「これが江戸えどか」
 彼女かのじょは、事々ことごとに、江戸えどらなかった。新開発しんかいはつ江戸えどなかでいちばんふるものが、自分じぶん姿すがたのようにおもわれた。
 実際じっさい、ここのつち活動かつどうしているものは、ことごとくがわかものかぎられていた。店舗てんぽっている主人しゅじんわかいし、騎馬きばあるいている役人やくにんも、編笠あみがさおさえて大股おおまたぐるさむらいも、労働者ろうどうしゃも、工匠こうしょうも、物売ものうりも、歩卒ほそつ部将ぶしょうも、すべてがわかかった。わかもの天地てんちだった。
たずねるものでもないたびなら、こんなところに、一日いちにちとて、てくれるのではないが……」
 ぶつぶついっているまに、ばばはまた、あしめた。ここもまた、ほりっているので、みちがらなければならなかった。
 したつちやまは、どんどんと、土車つちぐるまはこばれてゆく。そうして、よしあしうまってゆくそばから、大工だいくいえみ、大工だいくのはいっているうちに、もう白粉おしろいおんなが、暖簾のれんかげまゆいていたり、さけったり、生薬きぐすり看板かんばんをかけたり、呉服反物ごふくたんものみあげていたりしていた。
 ここらは以前いぜん千代田村ちよだむら日比谷村ひびやむらのあいだをとおっている奥州街道おうしゅうかいどう田圃道たんぼみちひらけているので、もっと、江戸城えどじょう周囲しゅういれば、太田おおた道灌どうかん以後いご天正てんしょう御入国以来ごにゅうこくいらいのまとまった大名小路だいみょうこうじ屋敷町やしきまちもあって、多少たしょう城下じょうかとしての落着おちつきもあるのであったが、ばばはまだ、そこへはあしんでいない。
 そして、昨日今日きのうきょう急拵きゅうごしらえにできかかっている新開地しんかいちて、江戸えど全体ぜんたいかんがえているので、ひどく落着おちつかないのであった。
 りかけている空堀からぼりはしのたもとに、ふとみると、一軒いっけんのほったて小屋ごやがある。四方しほう蓆張むしろばりで、たけおさえにち、入口いりぐちけて、そこから一本いっぽん小旗こばたている。
 ると、一字いちじ
「ゆ」
 といてある。
 永楽えいらく銭一枚せんいちまいを、湯番ゆばんにわたして、ばばは、にはいった。あせをながすのが目的めあてではなかった。竿さおりて、つまあらいをした着物きもの小屋こやよこし、それのかわくあいだ、襦袢じゅばん一枚いちまいで、洗濯物せんたくものしたにほそいすねをかかえて、往来おうらいをながめていた。