35・宮本武蔵「地の巻」「光明蔵(4)花田橋(1)」


朗読「地の巻35.mp3」15 MB、長さ: 約11分10秒

 三年さんねんぶりに、かれ天守閣てんしゅかくて、また城主じょうしゅ輝政てるまさまえされた。
 三年前さんねんまえには、庭先にわさきえられたが、今日きょうは、太閤丸たいこうまる広縁ひろえんいたじきをあたえられ、そこへすわった。
「どうだな、当家とうけ奉公ほうこうするはないか」
 と輝政てるまさはいった。
 武蔵たけぞうは、れいをのべ、あまることではあるが、今主人いましゅじん意思いしはないとこたえて、
「もしわたしが、このしろ御奉公ごほうこうするならば、天守閣てんしゅかくかずのに、うわさのような変化へんげものがあらわれるかもれませぬ」
「なぜ?」
「あの大天守だいてんしゅうちを、燈心とうしんあかりでよくますと、はり板戸いたどに、斑々はんぱんと、うるしのようなくろものがこびりついています。よくるとそれはすべて人間にんげんです。このしろうしなった赤松一族あかまついちぞくのあえなき最期さいご血液けつえきかもれません」
「ウム、そうもあろう」
わたし毛穴けあなは、そそけち、わたしは、なんともいえぬいきどおりをおこしました。この中国ちゅうごくとなえた祖先赤松一族そせんあかまついちぞく行方ゆくえはどこにありましょう。ぼうとして、去年こぞ秋風あきかぜうようなはかな滅亡めつぼうげたままです。しかし、そのは、姿すがたこそかわれ、子孫しそんからだに、いまもなおきつつあります。不肖ふしょう新免武蔵しんめんたけぞうもその一人ひとりです。ゆえに、当城とうじょうわたしめば、かずのに、亡霊ぼうれいどもがふるいち、らんをなさないともかぎりませぬ。――らんをとげて、赤松あかまつ子孫しそんが、このしろもどせば、またひと亡霊ぼうれいがふえるだけです。殺戮さつりく輪廻りんねをくりかえすだけでしょう。平和へいわをたのしんでいる領民りょうみんにすみません」

「なるほど」
 輝政てるまさは、うなずいた。
「では、ふたた宮本村みやもとむらへもどり、郷士ごうしおわるつもりか」
 武蔵たけぞうは、だまって微笑びしょうした。しばらくしてから、
流浪るろうのぞみでござります」
「そうか」
 沢庵たくあんのほうへむかって、
かれに、時服じふく路銀ろぎんをやれ」
「ご高恩こうおん沢庵たくあんからも、有難ありがたくおれいもうします」
「おことから、あらたまってれいをいわれたのは、はじめてだな」
「ははは、そうかもれませぬ」
わかいうちは、流浪るろうもよかろう。しかし、何処どこっても、ちと、郷土きょうどとはわすれぬように、以後いごは、せい宮本みやもと名乗なのるがよかろう、宮本みやもととよべ、宮本みやもとと」
「はっ」
 武蔵たけぞう両手りょうては、ひとりでにゆかち、ぺたと平伏へいふくして、
「そういたします」
 沢庵たくあんが、そばから、
も、武蔵たけぞうよりは、武蔵むさしまれたほうがよい。暗黒蔵あんこくぞう胎内たいないから、きょうこそ、光明こうみょううまれかわった誕生たんじょう第一日だいいちにち。すべてあらたになるのがよろしかろう」
「うむ、うむ!」
 輝政てるまさは、いよいよ、機嫌きげんがよく、
「――宮本武蔵みやもとむさしか、よいだ、いわってやろう。これ、さけをもて」
 と、侍臣じしんへいいつける。
 せきをかえて、よるまで、沢庵たくあん武蔵むさしは、お相手あいてをいいつかった。ほかの家来けらいおおあつまったなかで、沢庵たくあんは、猿楽舞さるがくまいなどをりだした。えばうで、たちまちそこに愉楽三昧ゆらくざんまい世界せかいをつくる沢庵たくあん面白おもしろそうな姿すがたを、武蔵むさしは、つつしんでながめていた。
 二人ふたりが、白鷺城はくろじょうたのは、あくであった。
 沢庵たくあんも、これから行雲流水こううんりゅうすいたびむかい、当分とうぶんはおわかれとなろうというし、武蔵むさしもまた、きょうを第一歩だいいっぽとして、人間修行にんげんしゅぎょうと、兵法鍛錬へいほうたんれん旅路たびじあがりたいという。
「では、ここで」
 城下じょうかまでて、わかれかけると、
「あいや」
 たもとをとらえ、
武蔵むさし、おぬしには、まだもう一人会ひとりあいたいひとがあるはずではないか」
「? ……、だれですか」
「おぎんどの」
「えっ、あねは、まだきておりましょうか」
 夢寐むびも、わすれてはいないのである。武蔵むさしは、そういうとすぐくもらせてしまった。

花田橋はなだばし

 沢庵たくあんのことばによると、三年前さんねんまえ武蔵むさし日名倉ひなぐら番所ばんしょおそったときは、あねのおぎんはもうそこにはいなかったので、なんとがめもうけず、そのは、種々いろいろ事情じじょうもあって宮本村みやもとむらへはかえらなかったが、佐用郷さよごう縁者えんじゃいえ落着おちついて、いま無事ぶじくらしているというのである。
いたかろ」
 沢庵たくあんは、すすめた。
「おぎんどのも、いたがっておる。したが、わしはこういってたせてたのじゃ。――おとうとは、んだとおもえ、いや、んでおるはずじゃ。三年経さんねんたったら、以前いぜん武蔵たけぞうとはちがったおとうとれててやるとな……」
「では、わたしのみでなく、姉上あねうえまで、おすくくださいましたのか。大慈悲おおじひ、ただかようでござりまする」
 武蔵むさしむねのまえで、をあわせた。
「さ、案内あんないしよう」
 うながすと、
「いや、もうったもおなじでござります。いますまい」
「なぜじゃ?」
「せっかく、大死一番だいしいちばんして、かようにうまかわって、修業しゅぎょう第一歩だいいっぽむかおうと、こころかためております門出かどで
「ああ、わかった」
おおくをもうげないまでも、ご推量すいりょうくださいませ」
「よく、そこまでのこころになってくれた。――じゃあ、まかせに」
「おわかれもうします。……せいあれば、またいつかは」
「む。こちらも、ゆくくもながれるるみず。……えたらおう」
 沢庵たくあんはさらりとしたもの。
 わかれかけたが、
「そうじゃ、ちょっと、をつけておくがの、本位田家ほんいでんけばばと、ごん叔父おじとが、おつうと、おぬしをはたすまでは、故郷くにつちまぬというてたびておるぞよ。うるさいことがあろうもれぬが、かまわぬがよい、――またひげ青木丹左あおきたんざ、あの大将たいしょうも、わしが喋舌しゃべったせいではないが、不首尾ふしゅびだらけで、ながのおいとま、これもたびをうろついておろう。――なにかにつけ、人間にんげん道中どうちゅうも、難所なんしょ折所せっしょ、ずいぶんをつけて、あるきなさい」
「はい」
「それだけのことだ。じゃあ、おさらば」
 と沢庵たくあん西にしへ。
「……ご機嫌きげんよう」
 そのへいって、武蔵むさしはいつまでも、つじから見送みおくっていたが、やがて、ひとりとなって、ひがしほうあゆみだした。
 孤剣こけん
 たのむはただこの一腰いちよう
 武蔵むさしは、をやった。
「これにきよう! これをたましいて、つねみがき、どこまで自分じぶん人間にんげんとしてたかめうるかやってみよう! 沢庵たくあんは、ぜんおこなっている。自分じぶんは、けんみちとし、かれうえにまでえねばならぬ」
 と、そうおもった。
 青春せいしゅん二十一にじゅういちおそくはない。
 かれあしには、ちからがあった。ひとみには、わかさと希望きぼうが、らんらんとしていた。また時折ときおりかさのつばをげ、らぬ――またはかれぬ人生じんせいのこれからの長途ちょうとへ、生々いきいきしたをやった。
 すると――
 姫路ひめじ城下じょうかはなれてすぐである。花田橋はなだばしわたりかけると、はしたもとからはしっておんなが、
「あっ! ……あなたは」
 とたもとをつかんだ。
 おつうであった。
「や?」
 と、おどろかれを、うらめしげに、
武蔵たけぞうさん、あなたは、このはしを、よもやおわすれではありますまいね。あなたのぬうちは、百日ひゃくにちでも千日せんにちでもここにっているといったおつうのことはおわすれになっても――」
「じゃあ、そなたは、三年前さんねんまえからここにっていたのか」
っていました。……本位田家ほんいでんけばばさまねらわれて、一度いちどは、ころされそうになりましたが、からくも、いのちびろいをして、ちょうど、あなたと中山峠なかやまとうげでおわかれしてから二十日はつかほどあとから今日きょうまで――」
 はしたもとえる道中どうちゅう土産みやげ竹細工たけざいくのきゆびさして、
「あのいえへ、事情わけはなし、奉公ほうこうしながら、あなたの姿すがたっておりました。きょうは、日数にっすうにしてちょうど九百七十日目きゅうひゃくななじゅうにちめ約束やくそくどおり、これからさきは、一緒いっしょれてってくださるでしょうね」