33・宮本武蔵「地の巻」「弱い武蔵(3)光明蔵(1)」


朗読「地の巻33.mp3」14 MB、長さ: 約10分13秒

 武蔵たけぞうだ。宮本村みやもとむら武蔵たけぞうだ。
 近寄ちかよってから、づいたこえである。番士ばんしたちは、わああっと、二度目にどめ武者声むしゃごえをあげ、
くびるな、つよいぞ」
 いましった。
 武蔵たけぞうは、くわっと、殺気さっきたいして殺気さっきえるをした。
「これだぞッ」
 おおきないわを、両手りょうてにさしあげ、になっている人間にんげんたちの一角いっかくむかって、どすんとほうりつけた。
 そのいしは、になった。鹿しかみたいにそこをびこえて、武蔵たけぞうはしっていた。げるのかとおもうと、反対はんたいに、番所ばんしょのほうへむかって、獅子ししのようなかみ逆立さかだててけてゆく。
「ヤヤ彼奴あいつ、どこへ?」
 番士ばんしたちは、ッけにとられた。のくらんだ蜻蛉やんまのように、武蔵たけぞうんでゆくのだ。
くるッているんだ」
 だれかが、そうさけぶ。
 三度目さんどめときこえをあげて、番所ばんしょのほうへいかけてゆくと、武蔵たけぞうは、もうその正面しょうめん木戸きどからなかへ、おどりこんでいた。
 そこは、おりだ、死地しちである。――しかし武蔵たけぞうには、いかめしくならんでいる武器ぶきも、さくも、役人やくにんえなかった。
「あッ、何者なにものだ」
 と、みついてきた目付役人めつけやくにんを、たッたいっけんのもとにたおしてしまったのも、彼自身かれじしん意識いしきしない。
 中木戸なかきどはしらを、りうごかし、それをいてりまわした。相手あいて頭数あたまかずなど問題もんだいでない。ただくろ集合しゅうごうしてかかってるものが相手あいてだった。それを、ただおよその見当けんとうなぐりつけると、無数むすうやり太刀たちが、れてはちゅうび、またてられた。
姉上あねうえっ――」
 うらまわる。
姉者人あねじゃひと!」
 と、そこらの建物たてものばしったのぞいてゆく。
「――武蔵たけぞうじゃ、姉者人あねじゃひとッ」
 まっているは、かかえている五寸角ごすんかくはしらで、のきごとにやぶった。番人ばんにんっているにわとりが、けたたましく絶叫ぜっきょうして、役宅やくたく屋根やねがって、天変地異てんぺんちいでもたようにきぬいている。
姉者人あねじゃひとッ――」
 かれこえは、にわとりのようにシャれてしまった。おぎんは、どこにもえないのだった。あねをよぶこえ次第しだい絶望的ぜつぼうてきになってきた。
 牢屋ろうやらしいきたな小屋こやかげから、一人ひとり小者こものが、いたちのようにげだすのをつけた。しおで、ぬるぬるになった角柱かくちゅうを、そのあしもとへほうりなげて、
てッ」
 と、武蔵たけぞうびついた。
 意気地いくじなくきだすかおを、ぴしゃッとりつけて、
姉上あねうえは、どこにいるか。その牢屋ろうやおしえろ。いわねば、蹴殺けころすぞ」
「こ、ここには、おりませぬ。――一昨日おとといはんのいいつけで、姫路ひめじのほうへ、うつされました」
「なに、姫路ひめじへ」
「へ……へい……」
「ほんとか」
「ほんとで」
 武蔵たけぞうは、またっててきへ、その番人ばんにんからだげつけて、小屋こやかげへ、ぱっと退いた。
 が、六本ろっぽんそこらへちた。自分じぶんすそにも一本いっぽんとまっている。
 瞬間しゅんかん――
 武蔵たけぞうは、栂指おやゆびつめんで、じいっと、ぶのをていたが、突然とつぜんさくのほうへはしって、飛鳥ひちょうのようにそとおどえた。
 ドカアン!
 と、その姿すがたむかってはなたれた種子島たねがしまおとが、谷底たにそこからこだますりげた。
 げだしたのだ! 武蔵たけぞう途端とたんに、やまいただきから転落てんらくしてゆくいわのように、している!
 ――こわいもののこわさをれ。
 ――暴勇ぼうゆう児戯じぎ無知むちけだものつよさ。
 ――もののふのつよさであれ。
 ――生命いのちたまよ。
 沢庵たくあんのいった言葉ことばのきれぎれが、疾風しっぷうのようにけてゆく武蔵たけぞうあたまなかを、おな速度そくどけめぐっていた。

光明蔵こうみょうぞう

 そこは、姫路ひめじ城下じょうかはずれ。
 花田橋はなだばししたで、また、はしのあたりで、かれは、おつうるのをっていた。
「どうしたのだろう?」
 おつうは、えない。――約束やくそくをしてわかれたからもう七日目なのかめだ。ここで百日ひゃくにちでも千日せんにちでもっているといったおつうなのに。
 かりそめにも、約束やくそく言葉ことばをつがえた以上いじょうは、それをててわすれてゆくもちにはなれない武蔵たけぞうであった。武蔵たけぞうは、ちしびれた。
 かたがた、かれには、この姫路ひめじうつされてたというあねのおぎんが、どこに幽閉ゆうへいされているか、それをさぐるのも、目的もくてきのひとつであった。花田橋はなだばしほとりに、かれのすがたがないときは、城下町じょうかまちのここかしこを、こもをかぶって、物乞ものごいのように彷徨さまよっているだった。
「やあ、出会でおうた」
 突然とつぜんかれむかって、ってそうがある。
武蔵たけぞう
「あっ」
 かお姿すがたえて、だれにもこれならられまいとしていた武蔵たけぞうは、そうばれてびっくりした。
「さあ、い」
 手首てくびをつかんだそのそうは、沢庵たくあんであった。ぐいぐいとって、
世話せわをやかせずと、はやい」
 何処どこへかれてこうとするのである。このひと手向てむかちからはなかった。武蔵たけぞうは、沢庵たくあんくままにあるいた。また、うえか、それとも今度こんどはん牢獄ろうごくか。
 おそらく、あね城下じょうかひとやつながれているのであろう。そうなれば、姉妹きょうだいひとつはすうてなだとおもう。どうしてもない一命いちめいとすれば、せめて、
あね一緒いっしょに――)
 武蔵たけぞうはひそかにこころねがった。
 白鷺城はくろじょう巨大きょだい石垣いしがき白壁しらかべが、のまえにあおがれた。大手おおて唐橋からばしをずかずかと沢庵たくあんさきってわたってくのである。
 鋲打びょううち鉄門てつもんのかげに、やりぶすまの光芒こうぼうかんじると、さすがに、武蔵たけぞうもためらった。
 沢庵たくあんは、手招てまねきして、
「はやくぬか」
 多門たもんとおってゆく。
 内堀うちぼりもんへかかる。
 まだ泰平たいへい落着おちつれない大名だいみょう城地しろちであった。藩士はんしたちも、なんどきでもいくさにかかれる緊張きんちょう姿すがたをもっていた。
 沢庵たくあんは、役人やくにんびたてて、
「おい、れてたよ」
 と武蔵たけぞうわたし、そして、
たのむぞ」
 とねんをこめていうのである。
「は」
「――だが、をつけないといかぬぞよ、これはきばいてない獅子ししだからな。まだ多分たぶん野性やせいなのだ。いじりかたわるいとすぐにみつくぞ」
 いいすてて、まるから太閤丸たいこうまるのほうへ案内あんないなしに、ってしまった。
 沢庵たくあんにことわられたせいか、役人やくにんたちは、武蔵たけぞうからだへ、ゆびれないで、
「――どうぞ」
 と、うながす。
 だまっていてゆくと、そこは風呂場ふろばだ、風呂ふろはいれとすすめるのである。すこし勝手かってのちがうがする。それに、お杉婆すぎばばさくにかかったとき風呂ふろではにが経験けいけん武蔵たけぞうっている。
 うでんでかんがえていると、
「おみになられたら、衣服いふくはこちらに用意よういしてござるゆえ、おしかえなされい」
 と、小者こものが、黒木綿くろもめん小袖こそではかまいてった。
 ればそれには、懐紙かいし扇子せんす粗末そまつながら、大小だいしょうせてあるではないか。