290・宮本武蔵「空の巻」「草雲雀(3)(4)(5)」


朗読「290空の巻31.mp3」13 MB、長さ: 約 14分 41秒

 くわりだした大蔵だいぞうは、わきもふらずに、つちりのけた。
 みているうちに、人間にんげんからだったままであらかたはいるぐらいなあなになった。――そこでかれは、こしくろ手拭てぬぐいで、ひと汗拭あせふいた。
「……?」
 くさむらのいしかげに、いしみたいになって、をまろくしていた城太郎じょうたろうは、その人間にんげんが、大蔵だいぞうにちがいないとてはいるが、それでもまだ、自分じぶんっている奈良井ならい大蔵だいぞうとは、ひとがちがうがしてならなかった。なかに、奈良井ならい大蔵だいぞうというものが、二人ふたりいるようながしてるのだった。
「……よし」
 大蔵だいぞうは、あななかにはいって、地面じめんからくびだけして、そういった。
 あなそこを、あしかためているのだった。
 自分じぶんめて、つちをかぶるつもりなら、めなければならない――と城太郎じょうたろうかんがえていたが、そんな心配しんぱいはいらなかった。
 あなからすと、かれまつしたいてあったふくろのようなおもものを、あなのそばまで、ずるずるってて、ふくろくびくくってあるあさひもいている。
 風呂敷ふろしきかとおもったら、それはかわ陣羽織じんばおりであった。陣羽織じんばおりしたに、もう一重ひとえまくみたいなぬのつつんであるものけると、おどろくべき黄金こがね海鼠なまこがあらわれた。ふたりのたけふしのあいだに、かした黄金こがねながしたもので、竹流たけながしの竿金さおきんともよぶ地金じがねで、それが何本なんぼんもあった。
 それだけかとおもっていると、かれはこんどはおびいて、腹巻はらまきだの、背中せなかだの、からだじゅうから、慶長判けいちょうばんげてあるかねを、何十枚なんじゅうまいとなくりこぼした。それを手早てばやあつめて黄金こがね地金じがねといっしょに、陣羽織じんばおりにくるむと、あななかいぬ死骸しがいでも蹴込けりこむように、ずしーんとおとした。
 つちをかぶせる。
 あしみつける。
 そしていしを、もとのとおりな位置いちへすえ、あたらしい土塊つちくれが、そこらに目立めだたぬように、枯草かれくさえだなどをきちらし、こんどは、自分じぶん身装みなりを、平常へいじょう奈良井ならい大蔵だいぞうえているのだった。
 草鞋わらじ脚絆きゃはんや、不用ふようになったものは、くわにくくしけて、ひとのはいらないやぶなかげこんだ。そして十徳じゅっとく十徳じゅっとくむねへ、雲水うんすいけているような頭陀袋ずだぶくろをさげ、草履ぞうりまで穿きかえると、
「アア、一骨ひとほねだった」
 つぶやいて、おか彼方かなたへ、さっさとりてってしまった。
 そのあとで、城太郎じょうたろうはすぐ、めになった黄金こがねのあとにってみた。どうても、りかえしたらしいあとのこっていない。かれ魔術師まじゅつしてのひらつめるように、大地だいちていた。
「……そうだ。さきかえっていないと、へんおもわれるぞ」
 町場まちば燈火あかりえているので、もうかえみち見当けんとうはついている。かれは、大蔵だいぞうとちがうみちをえらんでかぜみたいにおかからけだした。
 何喰なにくわぬかおをして、旅籠はたご二階にかいへあがり、自分じぶんたちの部屋へやはいってゆくと、いいあんばいにまだ大蔵だいぞうもどっていない。
 ただ、行燈あんどんしたに、下男げなん助市すけいちが、はさばこへよりかかって、孤影悄然こえいしょうぜんと、よだれをたらしてねむっていた。
「おい、すけさん、風邪かぜひくよ」
 わざと、おこすと、
「あ。城太じょうたか……」
 助市すけいちは、をこすって、
「こんなおそくまで、御主人様ごしゅじんさまへも無断むだんで、わりゃあ何処どこっていたのだ」
なにいってんだい」
 城太郎じょうたろうはやりかえして、
「おいらはもう、とっくのむかしかえっていたじゃないか。ぼけて、りもしないくせに」
うそをつけ。わりゃあ、角屋すみやおんなっぱりして、そとったというじゃねえか。――いまから、そんなまねしやがって、末恐すえおそろしいやつだ」
 もなかった。
 そこへ奈良井ならい大蔵だいぞうが、
いまもどったよ」
 障子しょうじけてはいってた。

 どうあるいても、十二じゅうに三里さんりはある。のあるうちに江戸えどこうとすれば、よほど早立はやだちをしなければならない。
 角屋かどや一行いっこうは、まだくらいうちに八王子はちおうじった。奈良井ならい大蔵だいぞうくみは、悠々ゆうゆう朝食ちょうしょくをしたため、
「さて」
 と宿やどでたのが、もうのたかい時分じぶん
 はさばこ下男げなんと、城太郎じょうたろうとは、れいによって、おともいていたが、きょうの城太郎じょうたろうは、ゆうべの事実じじつがあるので、なんとなく、大蔵だいぞうたいするぶりがちがっていた。
城太じょうた
 大蔵だいぞうはふりいて、かないかれかおつきへ、
「どうした、きょうは」
「へ? ……」
「どうかしたのか」
「どうもしません」
「ひどく、きょうにかぎって、むっつりしているじゃないか」
「はい……、大蔵様だいぞうさまじつは、こうしていてはお師匠様ししょうさまにいつえるかわからないから、おいら、おじさんとわかれてさがそうとおもうんだけれど……いけないかな」
 大蔵だいぞうにべなくいった。
「いけないな」
 すると城太郎じょうたろうは、いつものように、馴々なれなれしくすがりかけたが、きゅうめて、
「どうして」
 と恟々おずおずいう。
いっぷくしよう」
 大蔵だいぞうはそういって、武蔵野むさしのくさこしをおろした。そしてはさばこかついでいる助市すけいちへ、さきけとってせる。
「おじさん、おいら、どうしても、お師匠様ししょうさまをはやくさがしたいもの。だから一人ひとりで、あるいたほうがいいとおもって――」
「いけないというのに」
 むずかしいかおしめしながら、大蔵だいぞう陶器すえもの煙管きせるで、すぱりとくゆらしながら、
「おまえは、きょうから、おれのになるのだ」
 と、いった。
 問題もんだい重大じゅうだいなので、城太郎じょうたろうつばをのんだ。だが、大蔵だいぞうはもうにやにやわらっているので、冗談じょうだんをいわれたのだとかいして、
「いやなこった。おじさんのになんかなるのはいやだ」
「どうして」
「おじさんは、町人ちょうにんだろ。おいらは武士さむらいになりたいんだもの」
奈良井ならい大蔵だいぞうも、あらえば、町人ちょうにんではない。きっと、えら武士ぶしにさせてやるから、わしの養子ようしになれ」
 どうやら本気ほんきらしいので、城太郎じょうたろうぶるいをおぼえながら、
「なぜおじさんは、きゅうにそんなことをいいすのだい?」
 ――すると大蔵だいぞうは、いきなり城太郎じょうたろうせて、ぎゅっと、羽交締はがいじめにみながら、かれみみへ、くちをつけて、小声こごえにいった。
たな! 小僧こぞう
「……え?」
たろう!」
「……な、なにをさ」
「ゆうべ、おれがしたことを」
「…………」
「なぜた!」
「…………」
「なぜひとの秘密ひみつる!」
「……ごめんよ、おじさん、ごめんよ。だれにもいわないから」
おおきなこえすな。もうてしまったことだから、叱言こごとはいわぬ。そのかわりに、わしのになれ。それがいやなら、可愛かわいやつだが、ころしてしまわなければならぬのだ。――どうだ、どっちがいい?」

 ほんとにころされるかもれないとおもった。うまれてはじめてこわいというものに出会であった気持きもちであった。
「ごめんよ、ごめんよ。ころしちゃいやだい。ぬのはいやだい」
 おさえられた雲雀ひばりのように、城太郎じょうたろうは、大蔵だいぞううでなかかるくもがいた。おおきくあばれると、すぐにしかぶさってくるようにおそれもするのであった。
 そのくせ大蔵だいぞうは、けっして、かれ心臓しんぞうがつぶれるほどつよちからめつけているのではない。
 やんわりと、ひざのなかへかかえこんで、
「じゃあ、おれのになるか」
 と、まばらなひげ城太郎じょうたろうほおりつけていう。
 そのひげいたい。
 そのやんわりとしたちからがとてもおそろしい。大人臭おとなくさいにおいがからだしばってしまう。
 どうしてだろう。城太郎じょうたろうにもわからなかった。危険きけんというだけなら、これ以上いじょうあぶないには何度なんど出会であっているし、それにたいしては、むしろむこずな性質たちなのに、こえないで、嬰児あかごのように、大蔵だいぞうひざからげることができなかった。
「どっちだ。どっちがいい?」
「…………」
「おれのになるか、ころされたほうがいいか」
「…………」
「これ、はやくいえ」
「…………」
 城太郎じょうたろうはとうとうベソをはじめた。きたなかおをこするものだから、なみだくろいしずくになって小鼻こばなのそばにたまっている。
「なにをくか。おれのになれば、しあわせじゃあないか。武士さむらいになりたければ、なおさらのことだ。きっといい武士ぶし仕立したててやる」
「だって……」
「だってなんだ」
「…………」
「はっきりいえ」
「おじさんは……」
「うむ」
「でも」
れったいやつおとこというものは、もっとなんでもはっきりものをいうものだ」
「……だってね……おじさんの商売しょうばいは、泥棒どろぼうだろ」
 もし大蔵だいぞうが、かるくでもかかっていなければ、途端とたんかれは、くもをかすみとしていたにちがいないが、そのひざふかふちのように、つこともできなかった。
「あはははは」
 大蔵だいぞうは、きじゃくるを、ぽんとたたいて、
「だから、おれのになるのは、いやだっていうのか」
「……う、うん」
 城太郎じょうたろうがうなずくと、かれはまた、かたをゆすってわらいながら、
「おれは、天下てんかぬすものかもしれないが、けちな追剥おいはぎ空巣あきすねらいたあちがう。家康いえやす秀吉ひでよし信長のぶながも、みな天下てんかった人間にんげんじゃないか。――おれにいてながていると、いまにわかってる」
「じゃあおじさんは、泥棒どろぼうでもないの」
「そんなわりわない商売しょうばいはしない。――おれはもっとふと人間にんげんさ」
 もう城太郎じょうたろう思案しあんでは、どうこたえていいか、りなかった。
 大蔵だいぞうは、ひざうえから、ぽんとかれはなして、
「さあ、かずにあるけ。きょうからはわしのだ。可愛かわいがってやるかわりに、おくびにも、ゆうべのことをひとに喋舌しゃべるな。――喋舌しゃべるとすぐ、そのくびってしまうぞよ」