289・宮本武蔵「空の巻」「草雲雀(1)(2)」


朗読「289空の巻30.mp3」10 MB、長さ: 約 11分 01秒

草雲雀くさひばり

 かえ旅籠はたごは、わかりきったつもりでいたらしいが、むこずにんでるうちに、
「おや、ちがったかな?」
 城太郎じょうたろうはじめて、自分じぶんけているみちに、うたがいをいだき、まえうしろをまわして、
ときには、こんなところあるかなかったぞ」
 と、やっとがついたようなかおつきである。
 このへんには、ふるとりであと中心ちゅうしんに、いっかく武家町ぶけまちがある。とりで石垣いしがきは、かつて他国たこくぐん占領せんりょうされて、ひどくこわされたままれているが、一部いちぶ修復しゅうふくして、いまではこの地方ちほう支配しはいする大久保長安おおくぼながやす役宅やくたく住居じゅうきょになっている模様もようである。
 戦国以後せんごくいご発達はったつした平城ひらじろとちがい、きわめて旧式きゅうしきな――土豪時代どごうじだいとりでなので、ほりめぐらしてないし、したがって城壁じょうへきえない。唐橋からはしもない。ただ、ばくとした一面いちめん藪山やぶやまであった。
「あっ? ……だれだろう……あんなところから人間にんげんが?」
 城太郎じょうたろうたたずんでいたみち片側かたがわは、とりでしためぐっている侍屋敷さむらいやしきへいであった。
 そして一方いっぽうは、田圃たんぼぬまであった。――
 そのぬま田圃たんぼはずれからすぐ、けわしい藪山やぶやまうらが、えたようにきゅうそびっている。
 みちもないし、石段いしだんえないから、おそらく、このへんとりで搦手からめてであろう。――だのにいま城太郎じょうたろうていると、その藪山やぶやま絶壁ぜっぺきから、つならして、りて人間にんげんがある。
 つなさきには、カギがついているとみえて、そのつなはしまでりてくると、あしさきで、いわさぐり、したからってカギをはずし、またさらにしたつなをのばして、スルスルとりてる。
 ――そしてついに、田圃たんぼやまさかいまでがってると、その人影ひとかげはいったん其処そこらの雑木ぞうきやぶなかえなくなってしまった。
「なんだろ?」
 城太郎じょうたろう好奇心こうきしんは、自分じぶん宿場しゅくばからとおところまよってていることをもわすれさせてしまった。
「……?」
 だがもう、かれがいくらをまるくしていても、なにえてなかった。
 それだけにまた、かれ好奇心こうきしんは、そこをりかねた様子ようすで、往来おうらい樹陰こかげにひたとをつけて、やがて田圃たんぼあぜわたって、自分じぶんまえそうなのする――先刻さっき人影ひとかげちぬいていた。
 かれ期待きたいはずれなかった。ずいぶんときってからであったが、やがて、畦道あぜみちからのそのそと此方こっち人間にんげんえる。
「……なんだ薪拾まきひろいか」
 他人たにんやまたきぎぬす土民どみんは、一背負ひとせおいのたきぎのために、よるえらんで、随分ずいぶんあぶないがけえるが、もしそんなものだったら――と城太郎じょうたろうはふとつまらないちくたびれをかんじた。しかしふたたび、おどろくべき事実じじつのあたりにせられて、かれ好奇心こうきしんは、満足まんぞくとおえ、恐怖きょうふふるえにおそわれた。
 ――田圃たんぼあぜから往来端おうらいはしがった人影ひとかげは、かれちいさいかげが、かげにへばりついているともらず、悠々ゆうゆうかれそばとおってったが、そのせつな、城太郎じょうたろうはよくも、
「あっ!」
 というこえさなかったものである。
 なぜなら、それはたしかに城太郎じょうたろう先頃さきごろからたくしている奈良井ならい大蔵だいぞうちがいないからである。
 けれどかれはまたすぐ、
「いや、人間違ひとまちがいだろ?」
 と、自分じぶん瞬間しゅんかんのものを、そうとした。
 そうしてみると、間違まちがいかともしんじられた。――彼方かなたへすたすたとうし姿すがたれば、くろぬのかおをつつみ、くろ膝行袴たっつけ脚絆きゃはんもはいて、あし身軽みがるなわらじ穿きではないか。
 そして背中せなかには、なにやらおもたげなつつみを確乎しっか背負せおっている。その頑健がんけんかたといい、こしぼねといい、どうして、五十ごじゅうえた奈良井ならい大蔵だいぞうであるものか――と、おもわれぬでもなかった。

 ていると、さき人影ひとかげは、また、往来おうらいからひだりおかほうむかって、がってく。
 べつにふかかんがえもなく、城太郎じょうたろうあといてあるいていた。
 どっちにしても、かれも、かえ方角ほうがくをきめて、あるさなければならない場合ばあいにあったので、ほかにみち人影ひとかげはなし、漫然まんぜん、そのおとこあといてったら、宿場しゅくば燈火あかりえてるだろう――ぐらいな思案しあんにすぎなかったのである。
 ところが。
 さきおとこは、横道よこみちへはいると、かついでいたふくろのようなものを、おもそうに、道標みちしるべしたにおろして、いし文字もじんでいた。
「あら? ……へんだな……やっぱり大蔵様だいぞうさまているひとだ」
 それから城太郎じょうたろうは、いよいよ不審ふしんして、今度こんどはほんとに、かくれに、そのおとこ尾行つけてみるになった。
 おとこが、もうおかみちのぼっているので、あとから、道標みちしるべ文字もじんでみると、

  首塚くびづかまつ
  このうえ

 と、ってある。
「ああ、あのまつか」
 そのこずえは、おかしたからもあおがれた。あとからそっとってみると、さきいたおとこはすでに、まつ根方ねかたこしをおろし、煙草たばこをつけてっている。
「いよいよ、大蔵様だいぞうさまにちがいないぞ」
 と、城太郎じょうたろうつぶやいた。
 なぜならば、そのころ、ここらの田舎いなかひと町人ちょうにんが、滅多めった煙草たばこなどっているはずがない。煙草たばこあじおしえたのは、南蛮人なんばんじんだそうであるが、日本にほん栽培さいばいするようになってからでも、高価こうかなので、上方かみがたあたりでも、よほど贅沢ぜいたくものでなければわない。だんばかりでなく、日本人にほんじんからだはまだ喫煙きつえんがいれないので、めまいをおこしたり、あわをふいたりするものおおいので、美味うまいけれど、魔薬まやくであるとかんがえられている。

 だから、奥州おうしゅう伊達侯だてこうなどは、六十余万石ろくじゅうよまんごく領主りょうしゅであり、だい煙草たばこ好者すきしゃといわれているが、祐筆ゆうひつ御日常書ごにちじょうがきによると、

  あさ、おさんぷく
  ゆうおんふく
  御寝ぎょしん、ごいっぷく

 などとしるされてある。
 そんなことは、城太郎じょうたろうったわけのものでないが、城太郎じょうたろうにも、滅多めったものうべきものでないことはわかっている。――また、それを奈良井ならい大蔵だいぞうが、日常時にちじょうときをきらわず、陶器製とうきせい煙管きせるっていたこともていた。もっとも大蔵だいぞうっているのは、木曾一きそいち大家たいけ主人しゅじんであるから、不審ふしんにはおもわなかったが、いま首塚くびづかまつしたで、スパリスパリとっている蛍火ほたるびほどな煙草たばこには、おそろしい疑念ぎねんがわいた。
なにをしてるんだろ?」
 かれは、冒険ぼうけんれてて、いつのまにか、かなりちかくの物陰ものかげまで、ってながめていた。
 やがてのこと。
 悠々ゆうゆうと、煙草入たばこいれを仕舞しまうと、おとこはぬっくとがった。そしてかぶっているくろぬのったので、かおもよくえた。やはり奈良井ならい大蔵だいぞうなのである。
 覆面ふくめん使つかっていた黒布くろぬのを、手拭てぬぐいのようにこしはさむと、かれは、大地だいちにはびこっている巨松きょまつを、一周ひとまわりぐるりとめぐってあるいた。そしてどこからひろしたのか、には、いつのまにか、いっちょうくわっている。
「……?」
 くわつえてて、大蔵だいぞうはしばらくよる景色けしきでもながめるようにっている。城太郎じょうたろうもそれでづいた。このおかは、町場まちばのある本宿ほんじゅくと、とりで屋敷やしきばかりの住宅地じゅうたくちとのさかいになっているおかであった。
「うむ」
 大蔵だいぞうは、ひとりでうなずいた。そしてやにわに、まつ北側きたがわにある一個いっこいしころがし、そのいしのあったしたがけて、ざくと、一鍬ひとくわれはじめた。