285・宮本武蔵「空の巻」「下り女郎衆(3)火悪戯(1)」


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 まさか、江戸えど移住いじゅうして女郎衆じょろしゅう同勢どうぜいと、道連みちづれになるもないので、小次郎こじろうさき一人ひとりあるしたが、あとのこった角屋すみや大家内だいかないは、一人ひとり落伍者らくごしゃのためにみな其処そこちかねて、
「つい、そのへんまで、わたしたちのなかに、姿すがたえていたのに」
「どうしたのであろ?」
「ひょっと、げたのではあるまいか」
 などとしきりにうわさしては、さんものは、わざわざさがしにみちもどってった。
 そのさわぎに、小次郎こじろうへわかれをべて、此方こっちかおけた親方おやかた甚内じんないは、
「おいおいおなおげたとは、だれがいったいげたのだ」
 自分じぶん責任せきにんでもわれたように、おなおばれたとしよりは、
朱実あけみというおんなでございますよ。……ほれ、親方様おやかたさまが、木曾路きそじかけて、女郎じょろうにならぬかといって、おかかえになった、たびむすめで」
えないのか――その朱実あけみが」
げたのじゃないかと、いまわかものふもとまでつけにきましたが」
「あのむすめなら、なに証文しょうもんって、身代金みのしろきんしたわけじゃなし、女郎じょろうになってもよいから、江戸えどまでれてってくれろというし、容貌きりょうめるたまだからかかえようと約束やくそくしたまでのこと。ここまでの旅籠代はたごだいすこしばかりそんそんだが、まあ仕方しかたがない。そんなものほうっておいて、かけようぜ」
 今夜八王子泊こんやはちおうじどまりとなれば、あしたは江戸えどはいることができる。
 すこしは、よるにかかっても、其処そこまではと、親方おやかた甚内じんないは、ててさきつ。
 すると、みちかたわらから、
みなさん、どうもすみません」
 と、さがしぬいていた朱実あけみ姿すがたをあらわして、もうあるしている一行いっこうなかじって、自分じぶんともいてあるきだした。
「どこへっていたのさ」
 と、おなおしかるし、
「おまえさん、だまって横道よこみちっちゃいけないよ。げるつもりならいいけれど」
 と、朋輩ほうばい女郎じょろうたちはいかに心配しんぱいしたかということを、さも大仰おおぎょうにいって、たしなめる。
「でもネ……」
 と、朱実あけみは、しかられても、おこられても、わらってばかりいた。
「わたしのったひととおったから、うのはいやでしょう、だから、うしろのやぶなかへ、あわててかくれてしまったの。そしたら、したがけで、このとおすべっちまって……」
 着物きものやぶいたことだの、ひじをすりむいたことばかりいって、みませんとはいっているが、すこしもまないようなかおつきはしていない。
 さきあるいていた甚内じんないは、ふと小耳こみみにはさんで、
「おい、むすめ
「わたしですか」
「ああ、朱実あけみといったっけな。おぼえにくい名前なまえだな。ほんとに女郎衆じょろしゅうになるなら、もっと、びいいにしなくちゃこまるが、おめえほんとに遊女ゆうじょになる覚悟かくごか」
遊女ゆうじょになるのに、覚悟かくごなんているでしょうか」
「ひと月勤つきつとめてみて、いやになったら、やめるというようなわけにはゆかないからなあ。なにしろ遊女ゆうじょになったら、きゃくもとめることは嫌応いやおうはいえないのだ。それだけの決心けっしんがなくちゃこまる」
「どうせ、わたしなんか、おんな大事だいじ生命いのちともいうものを、おとこやつに、滅茶苦茶めちゃくちゃにされたんですから――」
「だからといって、もっと滅茶苦茶めちゃくちゃにしていいというほうはない。江戸えどくまでのあいだに、よくかんがえておくがいいよ。……なあに、途中とちゅう小遣こづかいや旅籠銭はたごせんぐらいは、なにかえしてくれとは、いいはしないから」

火悪戯ひいたずら

 ゆうべ高雄たかお薬王院やくおういん草鞋わらじいた何処どこかの御隠居ごいんきょがある。
 下男げなんはさばこになわせ、もう一人ひとり十五じゅうごぐらいな少年しょうねんともれ、
参詣さんけい明日あしたとし、お宿やどにあずかりもうしたい」
 と、黄昏たそがごろ薬王院やくおういん玄関げんかんったものである。
 今朝けさきて、とも少年しょうねんれ、一山いっさんめぐってひるちかくにかえってたが、ここも上杉うえすぎ武田たけだ北条以後ほうじょういご戦乱せんらんてているのをて、
御修理ごしゅうり屋根やねりょうにも」
 と、黄金三枚こがねさんまい寄進きしんして、すぐ草鞋わらじをはきかけた。
 薬王院やくおういん別当べっとうは、この奇特きとくひとすくなからぬ寄進きしんおどろいて、倉皇そうこう見送みおくりに
「お名前なまえをどうぞ」
 と、たずねたところ、ほかそうが、
「いえ、宿帳やどちょうにいただいてございます」
 と、それをしめした。
 ると、

  木曾きそ御岳山下おんたけさんした百草房ひゃくそうぼう    奈良井屋大蔵ならいやだいぞう

 とあるので、
「――あああなたさまが」
 と別当べっとう見上みあげて、ゆうべからの粗略そりゃくを、かえすがえす口惜くやしげにった。
 奈良井ならい大蔵だいぞうというは、全国到ぜんこくいたところ神社仏閣じんじゃぶっかく寄進札きしんふだかけるであった。かなら黄金何枚こがねなんまいずつか――霊場れいじょうには、黄金何十枚こがねなんじゅうまいという寄進きしんをしているところもあった――それは道楽どうらくか、売名ばいめいか、まったくの奉公心ほうこうしんか、本人以外ほんにんいがいわからないが、とにかく、いまなかかわった奇特家きとくかとして、別当べっとうつとにそのいているものとみえる。
 ――で、にわかに、ひきめてみたり、宝物たからもの御覧ごらんにと、すすめたりしたが、大蔵だいぞうはもうともものもんて、
「しばらく江戸えどにおるつもりですから、またそのうち拝観はいかんましょう」
 と、辞儀じぎしてる。
「では、山門さんもんまで、おおくもうしあげましょう」
 と、別当べっとういてて、
今夜こんやは、府中ふちゅうでおとまりなされますか」
「いや、八王子はちおうじでとおもうているが」
「それならおらくまいれまする」
八王子はちおうじいま誰方どなた所領しょりょうでござりますな?」
「ついこのごろから大久保長安様おおくぼながやすさま御支配ごしはいになりました」
「ああ、奈良奉行ならぶぎょうからうつった――」
佐渡さどのお金山奉行かねやまぶぎょうも、御支配ごしはいだそうで」
「えらい才人さいじんだからの」
 やまりると、たかいうちに、大蔵以下だいぞういか三人さんにんは、もう繁華はんか八王子二十五宿はちおうじにじゅうごしゅく往来おうらい姿すがたせて、
城太郎じょうたろう、どこへとまろうかな?」
 と、巾着きんちゃくのように、こしいてあるいているかれ振向ふりむく。
 城太郎じょうたろうは、ただちにこたえた。
「おじさん、おてらそうよ」
 そこで、まちなかでも一番大いちばんおおきな旅籠はたごえる家構いえがまえをえらんで、
「ごやっかいになるよ」
 大蔵だいぞう人品じんぴんもよし、はさばこまでかつがせてあるいている旅客りょかくなので、
「おはやいおきで」
 中庭なかにわへだてたおくとおして、したへもかないあつかいである。
 だが、やがてれて、どやどやときゃくころおいになると、主人あるじ番頭ばんとうかおそろえてていうには――
「まことにご無理むりなおねがいでございますが、よんどころのない大勢おおぜい相客あいきゃくで、下座敷したざしきはかえっておさわがしゅうございましょうから、ひとつ二階にかいへお部屋へやがえを……」
 と、恐縮きょうしゅくして、たのむのだった。
「ああ、いいとも。ご繁昌はんじょう結構けっこうだ」
 大蔵だいぞうは、気軽きがる承知しょうちして、手廻てまわりの荷物にもつたせ、きゅう二階にかいしとなったが、それとちがいに、ここへはいってたのは角屋すみや女郎衆じょろしゅう同勢どうぜいであった。